ミニ四駆アニメ

 恥ずかしながら私の座右の銘はミニ四駆アニメのキャラクターのセリフからきている。1990年代半ばに子供達の間で動力付き自動車模型「ミニ四駆」の流行があった。子供の所有欲を駆り立てる特有のデザイン、強化パーツを通した創造性の刺激、そして専用コースでレースを行う競争性など、子供を忙しくさせる仕掛けが満載のコンテンツだった。ブームの絶頂期には漫画化やアニメ化も行われ、その当時6歳だった私もミニ四駆に夢中になった。しかし、ブームの真っ只中に私は父親の仕事の関係でアメリカの田舎に住むことになってしまった。途中まで見ていたミニ四駆アニメから離れることは本当に残念であり、日本の流行から置き去りにされた孤独感は昨日のことの様に思い出せる。

 そんな中、救いの手があった。日本にいる祖父母が録画したミニ四駆アニメをアメリカに送り続けてくれたのだ。兄が送られてきたビデオをビデオデッキに入れ、ソファに座ってミニ四駆のアニメを二人でよく見ていた。アメリカ生活の中でたまに触れる懐かしい日本文化は子供ながらに非日常的で強く脳裏に刻まれた。
 アニメの内容は、キャラクター間で各々が持つミニ四駆を競争させ、勝者を決めるというシンプルなものである。しかし、エッジの効いたキャラクター同士のミニ四駆レースの展開はとにかく手に汗を握った。主人公は熱血な性格の二人の兄弟で、主人公にふさわしい高い仕様とデザイン性のミニ四駆でスリリングな競争を展開していた。負けることや困難はあるものの、最後の最後は工夫と頑張りで勝利をつかんでいた。子供だった当時の私もアニメの主人公を見習い、、困難な状況でも工夫と頑張りで突き進もうとしていたように思う。
 ただし、アニメの中で最も印象に残った言葉は意外にもあるサブキャラクターのセリフだった。そのキャラクターの性格は能天気で、所有しているミニ四駆も仕様が低く、主人公たちとのレースで頻繁に負けていた。印象に残ったセリフはアニメの最終回に登場している。小学4年生のときに旅行で日本に一時帰国しており、最終回は日本の祖父母の家で見たことをはっきりと覚えている。自分がアメリカにいる間に世間のミニ四駆ブームが去ってしまい、不完全燃焼のやり場のない悲しい気持ちが忘れられなかったからだと思う。その日は昼間に近くのレンタルビデオ店で最終回のミニ四駆アニメを借り、窓の外が橙色の夕焼けが染まった頃に最終回を見ていた。
 最終回では主人公が強力な敵キャラクターに対して激闘の末の勝利を手にした。一方、そのサブキャラクターは完走したものの、当然のようにレースでは最下位だった。しかし驚くことに、サブキャラクターは完走しただけで喜ぶと同時にポジティブだった。僅差で負けて落ち込んでいる敵キャターは疑問を抱き、なぜ最下位なのに喜んでいられるのか問い詰める。そのサブキャラクターは説明する、「完走したってことは、また次のレースでチャンスがあるってことじゃねぇーか!」。なぜかは分からなかったが、ミニ四駆小僧はこの言葉に心を打たれた。事実、大人になっても時折思い出した。

 セリフを思い出すのは決まって人生が特に上手くいってない時期だったように思う。大人になる過程で、工夫と頑張りではどうしようできない取り返しのつかない失敗の数々を経験したからかもしれない。あるいは、如何なる状況においてもポジティブに次のチャンスを狙い続けられるサブキャラクターの姿勢の凄さに気がついたからかもしれない。いずれにせよ、最後の最後は、諦めないで腐らずに何事も完走だけはしていこうと決めている。どんな場面でも、チャンスを狙い続けることさえできれば何かが変わることを、もしくはその姿勢自体が重要であることをミニ四駆アニメが子供だった自分に教えてくれたからだ。

専門的・技術的職業従事者
投稿時の年齢:31
神奈川
投稿日時:2021年09月04日
ドラマの時期:
1998年
--月
--日
文字数:1562

筆者紹介

関東圏在住、チョコレートとダイエットコーラが生命線の30代前半メンズです。

生まれと育ちは東海地方。
幼少期はアメリカで過ごしています。
大学で上京して以降は関東圏にいます。
工学系大学院卒業後、国内外の海上設備で機械系エンジニアとして勤務。

現在はwebサービスの開発・管理をしています!

ミニ四駆アニメ

 恥ずかしながら私の座右の銘はミニ四駆アニメのキャラクターのセリフからきている。1990年代半ばに子供達の間で動力付き自動車模型「ミニ四駆」の流行があった。子供の所有欲を駆り立てる特有のデザイン、強化パーツを通した創造性の刺激、そして専用コースでレースを行う競争性など、子供を忙しくさせる仕掛けが満載のコンテンツだった。ブームの絶頂期には漫画化やアニメ化も行われ、その当時6歳だった私もミニ四駆に夢中になった。しかし、ブームの真っ只中に私は父親の仕事の関係でアメリカの田舎に住むことになってしまった。途中まで見ていたミニ四駆アニメから離れることは本当に残念であり、日本の流行から置き去りにされた孤独感は昨日のことの様に思い出せる。
 そんな中、救いの手があった。日本にいる祖父母が録画したミニ四駆アニメをアメリカに送り続けてくれたのだ。兄が送られてきたビデオをビデオデッキに入れ、ソファに座ってミニ四駆のアニメを二人でよく見ていた。アメリカ生活の中でたまに触れる懐かしい日本文化は子供ながらに非日常的で強く脳裏に刻まれた。
 アニメの内容は、キャラクター間で各々が持つミニ四駆を競争させ、勝者を決めるというシンプルなものである。しかし、エッジの効いたキャラクター同士のミニ四駆レースの展開はとにかく手に汗を握った。主人公は熱血な性格の二人の兄弟で、主人公にふさわしい高い仕様とデザイン性のミニ四駆でスリリングな競争を展開していた。負けることや困難はあるものの、最後の最後は工夫と頑張りで勝利をつかんでいた。子供だった当時の私もアニメの主人公を見習い、、困難な状況でも工夫と頑張りで突き進もうとしていたように思う。
 ただし、アニメの中で最も印象に残った言葉は意外にもあるサブキャラクターのセリフだった。そのキャラクターの性格は能天気で、所有しているミニ四駆も仕様が低く、主人公たちとのレースで頻繁に負けていた。印象に残ったセリフはアニメの最終回に登場している。小学4年生のときに旅行で日本に一時帰国しており、最終回は日本の祖父母の家で見たことをはっきりと覚えている。自分がアメリカにいる間に世間のミニ四駆ブームが去ってしまい、不完全燃焼のやり場のない悲しい気持ちが忘れられなかったからだと思う。その日は昼間に近くのレンタルビデオ店で最終回のミニ四駆アニメを借り、窓の外が橙色の夕焼けが染まった頃に最終回を見ていた。
 最終回では主人公が強力な敵キャラクターに対して激闘の末の勝利を手にした。一方、そのサブキャラクターは完走したものの、当然のようにレースでは最下位だった。しかし驚くことに、サブキャラクターは完走しただけで喜ぶと同時にポジティブだった。僅差で負けて落ち込んでいる敵キャターは疑問を抱き、なぜ最下位なのに喜んでいられるのか問い詰める。そのサブキャラクターは説明する、「完走したってことは、また次のレースでチャンスがあるってことじゃねぇーか!」。なぜかは分からなかったが、ミニ四駆小僧はこの言葉に心を打たれた。事実、大人になっても時折思い出した。
 セリフを思い出すのは決まって人生が特に上手くいってない時期だったように思う。大人になる過程で、工夫と頑張りではどうしようできない取り返しのつかない失敗の数々を経験したからかもしれない。あるいは、如何なる状況においてもポジティブに次のチャンスを狙い続けられるサブキャラクターの姿勢の凄さに気がついたからかもしれない。いずれにせよ、最後の最後は、諦めないで腐らずに何事も完走だけはしていこうと決めている。どんな場面でも、チャンスを狙い続けることさえできれば何かが変わることを、もしくはその姿勢自体が重要であることをミニ四駆アニメが子供だった自分に教えてくれたからだ。
専門的・技術的職業従事者
投稿時の年齢:31
神奈川
投稿日時:
2021年09月04日
ドラマの時期:
1998年
--月
--日
文字数:1562

筆者紹介

関東圏在住、チョコレートとダイエットコーラが生命線の30代前半メンズです。

生まれと育ちは東海地方。
幼少期はアメリカで過ごしています。
大学で上京して以降は関東圏にいます。
工学系大学院卒業後、国内外の海上設備で機械系エンジニアとして勤務。

現在はwebサービスの開発・管理をしています!