GCM1ガスタービンエンジン
今から6年ほど前、私は母親に祖父の家に連れていかれた。母親に仕事のことを聞かれ、社会人一年目だった私が曖昧な返事をしたことがきっかけだった。工学系の大学院卒業後、私は現場で機械に携わる仕事を選んだ。しかしながら仕事内容が想像と異なり、戸惑っていた。そこで心配性の母親が勝手に祖父に相談し、先の経緯となった。母親は昔から過干渉で、今回も再び事を面倒にされたと思い私は腹を立てていた。その日は祖父と母親の三人で食事をすることとなり、祖父が仕事のことを色々と鋭く聞いてきた。まだ仕事経験も浅く、説明下手な私はしどろもどろ答えたように思う。そして祖父は「そんなじゃあまだまだダメだ。一生懸命仕事しなさい。」と厳しい言葉を私にかけた。
祖父は勤勉家かつ寡黙で、家族皆で集まって食事をしていても隅の方で黙々と食べているイメージだった。もともと大手重工メーカーで開発の仕事をしていたらしく、定年間際には別のメーカーで経営の仕事をしていたことぐらいは知っていた。ひょうきんな性格の自分がノリで話すと、理詰め思考の祖父から「適当なことをじいに言うな」と怒られる印象が強かった。なので気軽に話かけることができず、上述した以上のことを長い間知らなかった。
三人で食事した数日後、一人暮らしをしていた私の自宅に祖父から資料が届いた。見てみると、祖父が務めていた会社の社内誌の一部を印刷したものだった。そこには1957年、祖父が二十代のときに携わった「GCM1」というガスタービンエンジン(圧縮空気を燃焼器で燃料を噴射して燃焼させ、発生させた高温・高圧のガスでタービンを回し、回転運動エネルギーを取り出す内燃機関。タービンを回した後、ガスを後方に噴出して推力を得る場合は航空機の動力源として使用される(J79)。タービンを回した後、圧縮空気を得る場合は始動用のエンジンとして使用される(GCM1)。)に関する開発ストーリーが記載されていた。GCM1はF-104戦闘機用の大型J79ガスタービンエンジンの始動用小型ガスタービンエンジンである。一般的にJ79の様な大型航空機用の推力を得るためのガスタービンエンジンは、最初に外部からタービンを回転させる力を借りる必要がある。そこでGCM1はJ79に始動用圧縮空気を供給する。
このGCM1ガスタービンエンジンの開発ストーリーを理解するためには、当時の情勢も理解する必要がある。日本は1945年に太平洋戦争に敗北したのち、GHQの「航空禁止令」により、航空機の研究・設計・製造が全面的に禁止された。その後、朝鮮戦争(1950年)戦闘機の修理需要やサンフランシスコ講和条約(1952年)による航空機産業の部分的な解除で、ようやく国内の航空機産業が少しずつ再開される。つまり、日本の航空機産業は世界の遥か後方にいた。そしてGCM1は戦後もっとも早い時期の何もないところから開発・設計されていたのだ。
GCM1開発ストーリーを読むと1957年の開発開始から1961年の開発終了まで、苦労の連続であったことが伺えた。燃焼器内で燃料をもやしきれない不具合、運転試験の最中に圧力が出ない問題、振動問題、そして始動停止サイクル運転試験時のタービンの不具合等、多くの困難を本当に優秀な方々で乗り越えたことが記載されている。燃焼器の試験中には「ゼロ戦」の堀越二郎氏や本庄季郎氏も観察しに来ていたそうだから驚きだ。終にGCM1は1961年に一旦形となったものの、始動停止サイクル回数はMIL規格(United States Military Standard)をギリギリで通過する200回程度が限界の仕様だったそうだ。当時米国のAiResearch社の同種エンジンが3000回サイクルの実力であったことから、世界との差は歴然としていたことがここからも分かる。始動停止サイクルの限界が200回であった理由は1200℃にも上る燃焼器内部に設置されている燃料を噴射する蒸発器の管の先が赤熱してしまっていたためだ(赤熱が不具合を促す理由:炭素鋼は900℃以上の箇所に赤熱脆性が生じ割れやすくなる。つまり赤熱している箇所は材料が脆くなり、始動停止サイクルを繰り返しながら冷却と加熱を行うと割れにつながると思われる)。しかしながら、開発チームの誰もが解決できないまま、一旦GCM1開発は終了する。
1961年に開発メンバーが解散した後も、祖父は燃焼器の不具合解決に取り組み続けたそうだ。そしてある日、赤熱している蒸発器に空気をいれて冷却する方法を思いつく。そして燃焼器から蒸発器の先の赤熱箇所に目がけて空気が入るように6ミリの孔を開けて試験したところ、とうとう赤熱を止めることができたという。本来、燃焼器は圧縮空気を燃料で燃やして温度を上昇させる機能をもっているため、部分的にも温度を下げて冷やすという発想はなかなかできないものである。実験だから色々気楽に試すことができたと祖父は説明している。結果的にGCM1は初期の頃の10倍の2000回サイクルの始動停止耐久試験にパスしたそうだ。その後GCM1は163台生産され、F-4戦闘機等の始動用エンジンとして半世紀以上に渡ってオーバーホール整備をされながら活躍したそうである。
GCM1開発の話を知り、祖父にモチベーションの原点はどこだったのか後日聞いた。すると、「子供の頃に飛ばしたおもちゃ飛行機が宙を滑空する姿に感動し、疑問を抱いたことからはじまった。」と教えてくれた。祖父が私に厳しい言葉をかけた理由が今となって少しだけわかった。私のところどころ雑で芯のない勢い任せの性格を見透かしていたのだろう。その性格を踏まえた上で、一貫性を持って理詰めで追求しなければ人生において何も見えてこないということを伝えたかったのだと思う。
それからというもの、私は改めて仕事の向き合い方や自分のモチベーションの原点を考え続けるようになった。その後、Arkchiveを立ち上げることを決心することになるのだが、これに関してはまた別の機会で話したい。
関東圏在住、チョコレートとダイエットコーラが生命線の30代前半メンズです。
生まれと育ちは東海地方。
幼少期はアメリカで過ごしています。
大学で上京して以降は関東圏にいます。
工学系大学院卒業後、国内外の海上設備で機械系エンジニアとして勤務。
現在はwebサービスの開発・管理をしています!
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