祖父との最期
「後悔の無いように生きたい」、「一日一日を大切に生きたい」、誰しも少しは思うところがあるだろう。人生の終盤にて痛感することも多いセリフであるが、私は比較的人生の序盤に痛感することとなった。
母方の祖父にとって私は初孫であり、家が近かかったこともあり、幼い頃からとても可愛がってもらったいた。休みのたびに毎週色んなところへ連れてもらった思い出がある。祖父がいることは日常であり、当たり前の光景であった。
そんな祖父であるが、私が小学生の頃に大腸ガンを患い、それほど余命も長くないだろうとの診断を受けた。とはいえ、抗がん剤治療を行うことで快方に向かっていた。20年、30年は無理でも、数年は問題ないだろうとの見立てであった。週に一回ほど入院先の病院にも定期的にお見舞いに行っており、比較的元気な姿がそこにはいつもあった。一時の辛そうな頃に比べると非常に元気そうで、毎週良くも悪くも変わりない様子であった。
お見舞いは毎週日曜だったが、その週はたまたま運動会で疲れていたこともあり、直前でお見舞いに行くことをやめた。「また来週行けばいいだろう」、ルーティンとなっていたお見舞いについてそう思ってしまったのだ。
その翌日、祖父は急逝した。日常から急に祖父がいなくなってしまったのだ。
余命わずかと申告されていれば、ちょっと疲れていてもお見舞いに行っただろうか。最期に交わした言葉は何だっただろうか。なんとなくのやり取りしかしていなかったのではないだろうか。自責とも言えぬやるせない感情が渦巻いていた。
いつ何が起こるかわからない、そのことは紛れもない事実である。取り返しのつかない後悔となってしまったが、「後悔の無いよう、毎日手を抜かず大切に生きる」ということを強く心に誓う出来事となった。
争いを避けながらも、全体最適を求めて奔走する性分です。
祖父との最期