記憶に残る学校の先生

私の中で記憶に残る人物として小学5・6年生の頃の担任だった「M先生」がいます。

私は父親の借金が原因で、小学校5年生の1学期を終えたときに、転校を余儀なくされました。
そしてこのM先生がいるK小学校に小学5年の2学期初めに転校したのです。


この頃の私は、生まれて初めての引っ越しと転校、父親の県外への出稼ぎなど、人生の中でもジェットコースターのように目まぐるしい怒涛の生活を送っていました。

多感な小学生だった私の心は非常に不安定であり、子供ながらに家の状況が一変したのを肌で感じていて何かと不安な日々でした。
正直、慣れ親しんだ小学校を転校することは嫌でしたし、新しい学校に対する気持ちは、期待よりも不安の方がはるかに大きかったです。

当時の私は母に甘やかされて育ったこともあり、自分の考え方を伝えるのが非常に苦手で周りの意見に流されて自分の意見を隠すような子供でした。

そんな不安を抱える小学生だった私の転校先のクラスの担任がM先生だったのはある意味、運が良かったといえます。

M先生は男性で年齢20代半ばくらいの若い先生だった記憶があります。
とても明るくて正義感に溢れた感情豊かな先生でした。
そんな先生だったのでどんな生徒にも平等に接することができて、同学年のどの生徒にも人気だったと思います。

M先生はとにかく明るくて声もハキハキしていました。
普段からM先生がいるだけで、先生の雰囲気に引っ張られてクラス全体が明るかったのを覚えています。
更にM先生のおかげか、当時のクラスメイトの中に嫌な生徒がなんと1人もいませんでした。

なので途中から転校してきた私もクラスに入り込みやすくて、すぐに友達ができました。
それもこれも本当にM先生のクラスの雰囲気作りが、とても良かったおかげだと言えます。

正義感の強いM先生はクラスの中で喧嘩があっても、すぐに飛んできて止めていました。
そして喧嘩した両方の生徒から言い分をじっくり聞いたあと、原因を指摘して改善策を言い聞かせ最終的には喧嘩両成敗にしていました。
お互いが仲直りして終わったことは水に流すようにと言っていたと思います。

良いとこばかり目立つM先生ですが、唯一の欠点があるとすれば着ていた服装が非常にダサかったです。
Gジャン風の上着に下はジャージでカッコ悪い眼鏡を着けていて、他の先生と比べてもファッションセンスがかなり悪かったことを想い出します。

そんなM先生は転校してきたばかりの自分のことを、非常に気にかけてくれていたようです。
その理由は毎学期に渡される通信簿の「担任からの一言」の記載文でわかります。
押し入れから引っ張り出してきて久々に見てみた当時の通信簿の中にこんな一文がありました。

M先生から「担任からの一言」
「5年生の途中から転校してきて不安だったなか、勉強やスポーツに音楽会など頑張って良い成績を上げていましたね。
友達もできるか心配していましたが、無事に〇〇君や〇〇君と仲良く遊んでいる姿を見て先生は安心しました。
少し落ち着かないことや、自分の考えなどをハッキリ表せないことも見受けられますが、頑張っている君を見ていると、いつかそれらも克服できると先生は信じています。頑張って!」

当時はこんなことが書かれているとは思ってもみませんでしたが、今改めて見返すとM先生は自分のことを分析して、良い部分も悪い部分も気にかけてくれていたのだと知ることができました。

もうひとつM先生のエピソードで思い出したことがあります。
M先生は「差別」という言葉やそういった行為が大嫌いだったと記憶しています。

クラスの中で少し脳の発育が遅れている生徒(仮でI君と呼ばせていただきます)が1人いたのですが、小学生の頃はそういった生徒を馬鹿にする生徒が、残念ながら数人はいるものです。
具体的に言うとテストの点数が悪かったI君のテスト用紙を取り上げて、みんなに見せるようにしながら「Iはテストの点数が〇点しか取れてないぞ!ハハハ」みたいな、晒し者にする・いじめ行動をする(本来、悪い子ではないけど悪ノリでやってしまったのでしょう)こともありました。

M先生はそういうことが大嫌いなのでそれを知ると、普段では見られないような鬼のような顔で、晒し行動をした生徒をめちゃくちゃに怒っていたと思います。
普段は明るくて楽しい人が怒ると、ギャップもありとんでもなく怖いことが多いので、怒っているM先生を見た自分も相当に怖がっていたような気がします。

それと今はあるか分かりませんが、当時の授業で「部落差別」を題材にした授業がありました。
M先生が特に熱心に教えてくれたと思うのですが、部落など勝手に人が作り出したものでそんな境界線みたいなものはあってはならない。
みな平等で同等の権利があるといった内容をおっしゃっていた記憶があります。
小学生ながらこの内容は難しくてすべて理解できていなかったですが、差別やいじめなどがいかに悪いことだということは、小学生の自分でも学べたと思います。

この差別の授業の後に、M先生が「自由」というテーマで好きなことを書いて提出しようという企画を行いました。
「自由」というテーマは恐らく「差別」からの解放といったメッセージが込められていたと思うのですが、この企画は成績とはまったく関係なかったですし、強制ではなく「任意提出」という形でした。
なので、面倒くさいのか最初は誰も提出しなかったです。
この時のM先生は少し寂しそうでした。

私はそんなM先生を見て、このまま誰も「自由」を書かないと、M先生が寂しい思いをしてしまうと思い、家に帰って一生懸命に自分なりの「自由」を用紙に書いて2日後にM先生に提出しました。

内容はびっくりの「桃太郎の話を改変したお笑い漫画」でした。
絵が好きで得意だった私は、当時、何を思ったのか分かりませんが、生まれて初めて漫画を描いて提出したのです。
お笑い漫画でしたが物語の最後の方に、無理やり差別反対的な内容のコマを書いて締めにした記憶があります。

そんな無茶苦茶な内容の自分なりの「自由」でしたが、M先生はものすごく喜んでくれて、褒めてくれました。
そしてそのまま漫画として「自由」という題名で用紙を印刷してクラス全員に配ったのです。

これが意外にも面白かったと大好評でした(笑)

家に持ち帰った生徒から、生徒の親にも見せたらめちゃくちゃ面白かったと言ってたと感想をもらった時は飛び上がるほど嬉しかったです。
それから調子に乗った私は何回か漫画を描いて「自由」として提出したと思います。

私の「自由」を見て、真似て漫画を描いて提出する子もいましたし、日記みたいな文を書いて提出する子もいたと思います。
たくさんの「自由」が書かれて提出されるにしたがって、M先生は印刷が大変だったと思いますが、とても喜んでくれたと胸を張っていえます。


当時、「自由」を提出した時にM先生に褒めてもらった特に印象に残った言葉があります。

M先生
「岡本、お前は自分の考え方や感情を表現するのが苦手なタイプと思っていたが、今回の「自由」は先生、正直ビックリしたぞ!やればできるじゃないか。漫画を描いて伝えるということは、誰でもできることじゃないし、すごく大事で立派な個性なんだよ。それに誰も「自由」を提出しないなか、お前が誰よりも先に提出してくれたことを先生はとても嬉しかったぞ!」

・・と言ってくれたのはとてつもなく嬉しかったです。生涯、忘れることはないでしょう。

自分の考え方や表現を隠さずに出してもいいんだ!ということを、この時のM先生の言葉で学んだ気がするのです。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:44
高知
投稿日時:2023年03月26日
ドラマの時期:
1990年
--月
--日
文字数:3250

筆者紹介

はじめまして!40代サービス系会社員のオカモトといいます。

高知県生まれの高知市育ち。
性格は社交的で明るいと思います。

価値観は貯金は心の余裕を産む。
人は基本みんな個人・他人・孤独。実は誰もが一人きりで生きてる人生。
でも二人でいる方が楽しいし三人四人で共感を生めばもっと楽しい人生になる!

社会は良くも悪くもドンドン前に進んでいます。
だから自分自身も成長していかないと社会に置いていかれます。
なので自分を常に成長させることを怠らない人になりたい。

記憶に残る学校の先生

私の中で記憶に残る人物として小学5・6年生の頃の担任だった「M先生」がいます。

私は父親の借金が原因で、小学校5年生の1学期を終えたときに、転校を余儀なくされました。
そしてこのM先生がいるK小学校に小学5年の2学期初めに転校したのです。

この頃の私は、生まれて初めての引っ越しと転校、父親の県外への出稼ぎなど、人生の中でもジェットコースターのように目まぐるしい怒涛の生活を送っていました。

多感な小学生だった私の心は非常に不安定であり、子供ながらに家の状況が一変したのを肌で感じていて何かと不安な日々でした。
正直、慣れ親しんだ小学校を転校することは嫌でしたし、新しい学校に対する気持ちは、期待よりも不安の方がはるかに大きかったです。

当時の私は母に甘やかされて育ったこともあり、自分の考え方を伝えるのが非常に苦手で周りの意見に流されて自分の意見を隠すような子供でした。

そんな不安を抱える小学生だった私の転校先のクラスの担任がM先生だったのはある意味、運が良かったといえます。

M先生は男性で年齢20代半ばくらいの若い先生だった記憶があります。
とても明るくて正義感に溢れた感情豊かな先生でした。
そんな先生だったのでどんな生徒にも平等に接することができて、同学年のどの生徒にも人気だったと思います。

M先生はとにかく明るくて声もハキハキしていました。
普段からM先生がいるだけで、先生の雰囲気に引っ張られてクラス全体が明るかったのを覚えています。
更にM先生のおかげか、当時のクラスメイトの中に嫌な生徒がなんと1人もいませんでした。

なので途中から転校してきた私もクラスに入り込みやすくて、すぐに友達ができました。
それもこれも本当にM先生のクラスの雰囲気作りが、とても良かったおかげだと言えます。

正義感の強いM先生はクラスの中で喧嘩があっても、すぐに飛んできて止めていました。
そして喧嘩した両方の生徒から言い分をじっくり聞いたあと、原因を指摘して改善策を言い聞かせ最終的には喧嘩両成敗にしていました。
お互いが仲直りして終わったことは水に流すようにと言っていたと思います。

良いとこばかり目立つM先生ですが、唯一の欠点があるとすれば着ていた服装が非常にダサかったです。
Gジャン風の上着に下はジャージでカッコ悪い眼鏡を着けていて、他の先生と比べてもファッションセンスがかなり悪かったことを想い出します。

そんなM先生は転校してきたばかりの自分のことを、非常に気にかけてくれていたようです。
その理由は毎学期に渡される通信簿の「担任からの一言」の記載文でわかります。
押し入れから引っ張り出してきて久々に見てみた当時の通信簿の中にこんな一文がありました。

M先生から「担任からの一言」
「5年生の途中から転校してきて不安だったなか、勉強やスポーツに音楽会など頑張って良い成績を上げていましたね。
友達もできるか心配していましたが、無事に〇〇君や〇〇君と仲良く遊んでいる姿を見て先生は安心しました。
少し落ち着かないことや、自分の考えなどをハッキリ表せないことも見受けられますが、頑張っている君を見ていると、いつかそれらも克服できると先生は信じています。頑張って!」

当時はこんなことが書かれているとは思ってもみませんでしたが、今改めて見返すとM先生は自分のことを分析して、良い部分も悪い部分も気にかけてくれていたのだと知ることができました。

もうひとつM先生のエピソードで思い出したことがあります。
M先生は「差別」という言葉やそういった行為が大嫌いだったと記憶しています。

クラスの中で少し脳の発育が遅れている生徒(仮でI君と呼ばせていただきます)が1人いたのですが、小学生の頃はそういった生徒を馬鹿にする生徒が、残念ながら数人はいるものです。
具体的に言うとテストの点数が悪かったI君のテスト用紙を取り上げて、みんなに見せるようにしながら「Iはテストの点数が〇点しか取れてないぞ!ハハハ」みたいな、晒し者にする・いじめ行動をする(本来、悪い子ではないけど悪ノリでやってしまったのでしょう)こともありました。

M先生はそういうことが大嫌いなのでそれを知ると、普段では見られないような鬼のような顔で、晒し行動をした生徒をめちゃくちゃに怒っていたと思います。
普段は明るくて楽しい人が怒ると、ギャップもありとんでもなく怖いことが多いので、怒っているM先生を見た自分も相当に怖がっていたような気がします。

それと今はあるか分かりませんが、当時の授業で「部落差別」を題材にした授業がありました。
M先生が特に熱心に教えてくれたと思うのですが、部落など勝手に人が作り出したものでそんな境界線みたいなものはあってはならない。
みな平等で同等の権利があるといった内容をおっしゃっていた記憶があります。
小学生ながらこの内容は難しくてすべて理解できていなかったですが、差別やいじめなどがいかに悪いことだということは、小学生の自分でも学べたと思います。

この差別の授業の後に、M先生が「自由」というテーマで好きなことを書いて提出しようという企画を行いました。
「自由」というテーマは恐らく「差別」からの解放といったメッセージが込められていたと思うのですが、この企画は成績とはまったく関係なかったですし、強制ではなく「任意提出」という形でした。
なので、面倒くさいのか最初は誰も提出しなかったです。
この時のM先生は少し寂しそうでした。

私はそんなM先生を見て、このまま誰も「自由」を書かないと、M先生が寂しい思いをしてしまうと思い、家に帰って一生懸命に自分なりの「自由」を用紙に書いて2日後にM先生に提出しました。

内容はびっくりの「桃太郎の話を改変したお笑い漫画」でした。
絵が好きで得意だった私は、当時、何を思ったのか分かりませんが、生まれて初めて漫画を描いて提出したのです。
お笑い漫画でしたが物語の最後の方に、無理やり差別反対的な内容のコマを書いて締めにした記憶があります。

そんな無茶苦茶な内容の自分なりの「自由」でしたが、M先生はものすごく喜んでくれて、褒めてくれました。
そしてそのまま漫画として「自由」という題名で用紙を印刷してクラス全員に配ったのです。

これが意外にも面白かったと大好評でした(笑)

家に持ち帰った生徒から、生徒の親にも見せたらめちゃくちゃ面白かったと言ってたと感想をもらった時は飛び上がるほど嬉しかったです。
それから調子に乗った私は何回か漫画を描いて「自由」として提出したと思います。

私の「自由」を見て、真似て漫画を描いて提出する子もいましたし、日記みたいな文を書いて提出する子もいたと思います。
たくさんの「自由」が書かれて提出されるにしたがって、M先生は印刷が大変だったと思いますが、とても喜んでくれたと胸を張っていえます。

当時、「自由」を提出した時にM先生に褒めてもらった特に印象に残った言葉があります。

M先生
「岡本、お前は自分の考え方や感情を表現するのが苦手なタイプと思っていたが、今回の「自由」は先生、正直ビックリしたぞ!やればできるじゃないか。漫画を描いて伝えるということは、誰でもできることじゃないし、すごく大事で立派な個性なんだよ。それに誰も「自由」を提出しないなか、お前が誰よりも先に提出してくれたことを先生はとても嬉しかったぞ!」

・・と言ってくれたのはとてつもなく嬉しかったです。生涯、忘れることはないでしょう。

自分の考え方や表現を隠さずに出してもいいんだ!ということを、この時のM先生の言葉で学んだ気がするのです。
サービス職業従事者
投稿時の年齢:44
高知
投稿日時:
2023年03月26日
ドラマの時期:
1990年
--月
--日
文字数:3250

筆者紹介

はじめまして!40代サービス系会社員のオカモトといいます。

高知県生まれの高知市育ち。
性格は社交的で明るいと思います。

価値観は貯金は心の余裕を産む。
人は基本みんな個人・他人・孤独。実は誰もが一人きりで生きてる人生。
でも二人でいる方が楽しいし三人四人で共感を生めばもっと楽しい人生になる!

社会は良くも悪くもドンドン前に進んでいます。
だから自分自身も成長していかないと社会に置いていかれます。
なので自分を常に成長させることを怠らない人になりたい。