ペットと罪
みなさんは何かペットを飼っていますか?
ペットって本当に可愛くて癒される存在だったりしますよね。
私も昔、実家で猫を飼っていた時期がありました。
この猫はもらってきたメスの猫で名前を「シーマ」といいました。
雑種でしたが色は白色でふわふわの毛がふさふさで、とても障り心地が良かったです。
生まれて初めて飼いだしたペットだったので、家族みんなでとても可愛がってあげた記憶があります。
当のシーマもとても人懐っこくて愛嬌があり甘えん坊な猫でした。
寝るときは人の布団に入ってきたり、立っている自分に対してジャンプしてきて強制的に抱っこしなければならなかったり、顔をスリスリとくっつけてきたりと本当に本当に可愛い猫でした。
シーマは散歩が好きで良く昼夜問わず良く散歩に出ていました。
家の窓やドアが閉まっていると散歩に行きたいと閉まった窓やドアをコンコンとこずいて開けるように催促してくる猫でした。
なのでこの頃の我が家は冬以外の季節は窓やドアの一部をシーマが通れるように常に開けているような家でした。寒い冬の時はさすがに寒かったのかあまり外には出たがりませんでしたが。
そんなシーマでしたが夕方のご飯時になるとご飯を食べに必ず家に帰ってくる猫でした。
犬や猫もですが動物って時計がないのになぜあんなに正確な時間に家に帰ってくるのか非常に不思議でした。
ですが私が中学三年生になったある日のこと、夕方のご飯時になってもシーマが帰ってこない時がありました。
心配になった私はシーマを探しに家の周りを名前を呼びながら探しましたがシーマは見つかりませんでした。
ちょっと臆病だったシーマは普段はそこまで遠くに行くような猫ではなかったので余計に心配になりました。
なので少し家から離れた場所もくまなく探しましたがそれでも見つかりません。
その頃の家の近くには国道がありとても交通量が多かったのですが、まさかそっちの方にシーマが行ったのかな?っと思い国道線沿いの道路脇をシーマの名前を呼びながら歩いてみました。
すると家から離れた国道脇の茂みの方から猫のような微かなうめき声がするのが聞こえました。急いで茂みの方へ駆け寄ってみると茂みの中でシーマがうずくまってかすかな声で鳴いているではありませんか!
口からは大量の血が出ていて体もボロボロです。
状況的にどうやら国道の車にはねられて命からがら茂みの中へ逃げ込んでそこで動けなくなったようでした。
その姿に動揺した私はどうしてよいか分からず家に助けを求めて走りました。
そして家にいた母や姉とともにシーマをいったん家に連れて帰りましたが傷が想像以上に酷く夕方に診察してくれる動物病院を探して連れていくことになりました。
そのおかげかシーマはなんとか一命はとりとめました。
でもしばらくの間、絶対安静となり傷が治るまでに数カ月を要したのでした。
なので傷が治り元通りに元気になったシーマを見たときは本当に安心しましたし嬉しかったですね。
それから一年後くらいだったでしょうか?
元気になっていつも通りの甘えん坊なシーマとお別れの時が来るのです。
そのお別れの理由がなんと「飼育放棄」だったのです。
実はこの頃はシーマの他にも複数の猫を飼っていたのですが、その猫たちが近所の他人の家の花壇の中におしっこや糞をするようになったのです。
するとせっかく奇麗に植えていた花壇の花や植物が枯れてしまい、近所の人がうちに怒鳴り込んできたのです。
お前の家の猫はどうなっとるんだっと。
しかも一回や二回ではなく何度も枯らしたようでこれは怒るのも当然だったと思います。
そして困ったことにこれの解決方法が無かったのです。
複数の猫を飼っていたので外に出さないようにしてしまうと猫たちが出たい出たいと窓をガリガリ掻き出しますし、もし完全に外に出さなければストレスで猫同士で喧嘩をする始末です。
かといって外に出すとして花壇に糞尿をさせないようにする手段がありませんでした。
怒った近所の人は我が家の賃貸の家主にも話をしにいったようです。
家主からもうちの猫たちをなんとかしないと家を出て行ってもらうと最後通告がきたのです。
これには母も姉も参ったようでした。
すぐに引き取ってもらえるような環境ではなかったし保健所に連れていくという選択肢は取りたくないしで、どうしてよいか分からなくなってしまいました。
そして我が家が話し合った結果、取った手段が「飼育放棄」でした。
保健所に連れていくくらいならせめて生き延びることを願って遠く離れたお寺の敷地内に猫たちを捨てるというものです。
今思うととんでもなく「無責任」だったと思います。
でもあの当時、まだ高校1年生だった私には解決策も思い浮かばず、ただ母と姉の決定に従うしかありませんでした。
この決定をした日は家族みんなで泣きまくった記憶があります。
いよいよお寺に猫たちを放棄する日になった時、私も姉に同行しました。
何も知らない猫たちは一匹ずつ車に乗せられていくのが何故なのか訳も分からなかったと思います。暴れるような猫はいませんでした。
車で猫たちを連れてお寺の駐車場に止めてドアを開けました。
すぐに飛び出す猫もいれば車にとどまり出ようとしない猫と二手に分かれました。
シーマはとどまる方の猫でした。
とどまった猫を一匹づつ外に出していき最後に残ったのがシーマでした。
私はシーマを抱えて外に無理やり出しました。
でもシーマは地面についた瞬間に走って車に戻りました。
まるですべてを解っているかのようでした。
ここに捨てないで・・。家に帰りたいと言っているようでした。
私と姉はそれを見て涙が溢れ出てきました。
それを見た私はもうシーマを抱えることができなくなってしまいました。
でも私より4つ年上の姉は自分がやらなきゃっと私の代わりに泣きながらシーマを抱えて外に連れて行きました。
私は黙ってそれを見ていました。
そして気を機を見計らって車に飛び乗り発進させ猫たちを置いてけぼりにしました。
後ろを見ると後をついて来ようとする猫がいたようでしたが、それがシーマだったのかは分かりません。
この時、心の中で何度も何度もごめんごめんっと繰り返し謝っていたのだけは覚えています。
その後、私はシーマたちを放棄したお寺に見に行こうと何度も思いましたが、自分の犯したことがとても酷いことと分かっていたので・・怖くて見に行くことは結局、できませんでした。
いま思い返すと本当に酷くて無責任なことをしたのだと自分に腹が立ちます。
・・がそれは猫たちにとっては何の懺悔にもなりません。
その後の猫たちはどうなったかは全く分かりません。
もしかしたら誰かに拾われた猫もいるかもしれません。
それでも私達、家族が犯した罪は一生償われることではないと思います。
あの甘えん坊で人懐っこかったシーマですら、きっと許してくれるハズもありません。
生き物を飼うことの責任は本当に重いことを教わった出来事でした。
はじめまして!40代サービス系会社員のオカモトといいます。
高知県生まれの高知市育ち。
性格は社交的で明るいと思います。
価値観は貯金は心の余裕を産む。
人は基本みんな個人・他人・孤独。実は誰もが一人きりで生きてる人生。
でも二人でいる方が楽しいし三人四人で共感を生めばもっと楽しい人生になる!
社会は良くも悪くもドンドン前に進んでいます。
だから自分自身も成長していかないと社会に置いていかれます。
なので自分を常に成長させることを怠らない人になりたい。
ペットと罪