アメリカの高校のブラスバンドを体験して感じたこと
1985年の9月から一年間、私たち家族は父の仕事の都合でアメリカのイリノイ州の某田舎町で生活することになりました。
当時高校生だった私は日本の高校を一年休学して現地の高校に通ったのですが、そこで受けていた授業の一つに「バンドクラス」というものがありました。
内容は日本の吹奏楽とほぼ同じなのですが、課外活動ではなく選択式の授業の一つです。
オーディションのようなものは無く、自分の楽器を持っていれば誰でも入ることができます。
ただし、その高校の音楽活動には、他にジャズバンド(ジャズのビッグバンド)とオーケストラ(クラシック音楽の管弦楽団)があり、これらはオーディションに合格しないと入れません。
ちなみに、音楽なら殆どなんでも好きな私ですが、日本の部活動の吹奏楽だけはあまり好きではありません。
体育会的な独特のノリが苦手なのに加えて、一部強豪校が行う無茶な練習に強い抵抗感を覚えるからです。
今回はここら辺のことも含めて、アメリカのバンドクラスを一年間体験して感じたことと、そこで出会った一人の友人のことについて書きたいと思います。
授業は基本的に合奏のみで、先生が指揮をして演奏についてあれこれ指示を出すという形ですすめられます。
何を演奏するのかというと、スポーツの季節(アメフト、バスケ)はその応援がメイン、そしてこれらが無い時期は、吹奏楽のオリジナル曲などを練習します。
演奏のレベルは、技術的な面では日本の平均的な高校と比較して遙かに低かったと思います。
コンクールで他校の演奏もある程度聴きましたが、恐らくアメリカの高校生全体がそんなものなのだと感じました。
最初の授業の時に、同じクラリネットの仲間達が皆ペラペラな音色な上に、指使いも十分にわからないまま吹いているのを見て本当に驚きました。
(後述するクラリネットの名手は、この日バリトンサックスを吹いていました)
ですが、技術的に低レベルだからといって、全てにおいて日本の吹奏楽よりダメなのかというと全くそんなことはありません。
先ず、ニューヨーク・ニューヨーク(映画の主題歌)やバードランド(ウェザー・リポートというフュージョンバンドの曲)のようなジャズ風の曲を演奏すると、日本の音大生より遙かに見事な演奏をします。
もちろん技術的には下手なのですが、音楽を演奏する上で技術以上に大切な、その楽曲で求められる固有の音色や音程、音の強弱、音が出るタイミングと切るタイミング、正しいテンポ等々を、彼らは生まれたときからジャズという音楽に慣れ親しんでいて体で覚えているので、ジャズとして聴けば素晴らしい演奏が可能なのです。
そして何よりも、彼らはどんなに下手でも堂々と演奏します。
合奏で上手く出来ない箇所があれば先生は当然怒りますが(30代位の女の先生で怒るとそれなりに迫力がありました)、日本の吹奏楽では当たり前の居残り練習なんて誰もしないしさせない、終業ベルが鳴れば先生も生徒も速攻で帰り支度を始め、次の日になれば皆ケロッと忘れて練習を始めます。
それで同じ箇所が上手く出来なければ再度先生は怒り、次の日は再度皆忘れるのループなのですが、ある日スルッと上手くいくことがあれば、皆で「イェー」と喜んで、それで終わりです
一方で日本の高校の吹奏楽のレベルの高さというのは、非常に無理な内容の練習に支えられています。
私が日本で通っていた高校の近くにはコンクール全国大会の常連校があり、何回か練習を見学に行ったことがあるのですが、放課後の練習は夜の9時までやっておりその他に朝練もあります。
音大を卒業したばかりの若い先生が非常に厳しい指導をしていて、上手くいかない箇所があると誰が悪いのかというところまで徹底追求して、メンバー全員が見ている前でその生徒のプライドが傷つくような暴言の繰り返し。
仲間たちもそんな様子を庇いもせず、上手く吹けない仲間をゲラゲラと嘲笑したりとか、見ているだけで辛く悲しくなりました。
私の音大時代のクラリネットの師匠は、こういう学校に頼まれて指導に行かれることが多く、高校生が厳しすぎる練習をさせられていることについて、生徒の将来を考えれば悪影響しかないと常に仰っていました。
しかしながら、日本の部活動はコンクール至上主義なため、どうしてもこういうことが起こります。
私の高校は弱小校で先生も良い意味でやる気が無かったので、比較的のびのびと練習をしていましたが、それでもアメリカの高校に比べればかなり厳しかったと思います。
再びアメリカの高校の話に戻って、コンクールについて少し書きます。
日本の吹奏楽コンクールは全体合奏のみですが、アメリカの私の高校があった地域では、合奏に加えてメンバー全員がソロ曲(ピアノの伴奏が付くもの等)を一曲演奏させられ、それぞれにS~Dの評価が付き、その総合点みたいなもの(メンバーの人数は学校毎に違うので、どうやって計算していたのかは不明ですが)を競っていたと思います。
このコンクールで私たちバンドクラスの合奏は確かAかBの評価をもらったと思いますが、私のクラリネットのソロ演奏はS評価をもらいました。
クラス全員の中でS評価をもらったのは3~4人程度だったのですが、日本で音大受験を考えるような人であれば、まずS評価がもらえると思います。
しかし、そんな私でも、このバンドクラスで、決してクラリネットパートのトップを取ることが出来なかったのです。
それは、このコンクールのクラリネットソロ演奏でもう一人S評価をもらった、デイブ(仮名)という少年がいたからです。
デイブは完全に別格でした。
バンドクラス以外でも、ジャズバンドではサックスパートのトップ、オーケストラでもクラリネットのトップを任されていました。(何故かスポーツの試合応援時のみバリトンサックスを担当していましたが)
そして彼は、バンドクラスの中でただ一人の黒人でした。(アフリカ系アメリカ人という表現の方が正しいですが、便宜上「黒人」と表記します、ジャズバンドにはもう一人黒人の生徒がいましたが、オーケストラにはデイブ一人でした)
デイブに会うまでは、私は黒人というとなんとなくワイルドで、音楽もノリノリで激しい演奏をするような先入観を持っていましたが、彼はモーツァルトとクラシック音楽を愛するとてももの静かな少年で、クラリネットの音色は誰よりも優しく柔らかく、音の繋がりも滑らかで、まるで美しい玉をコロコロと転がすように、自由自在にメロディーを紡ぐことができました。
彼の演奏技術は日本であれば最難関の音大にも楽々合格できるレベルであり、更に、技術とは別の音色のような部分では、日本のトッププロと比較しても彼の方が上であろうと思えた程です。
また、彼は大変知的な上に誰にでも優しい人物で、皆から好かれていました。
私が出会ったアメリカの高校生達は、もごもごとこもった感じの発音で早口で喋る人が多く(そういうのがかっこいいと思われていたようです)英語の発音を聞き取るのが大変だったのですが、彼は外国人にとっての外国語の難しさをよく理解していて、私と話しをする時はとりわけはっきりした発音でゆっくりと喋ってくれました。
ある日、彼と二人きりになった時に、私がなんとなく「なかなか英語が上手くならなくて」という話をすると、彼は「これは聞いた話なんだけど」と断って「君は話す前に日本語で考えてそれを英語に訳してる?それとも最初から英語で考えてる?」と質問してきました。
そして「日本語で考えずに英語で考えてそのまま話すようにすると上手になるらしいよ、聞いた話なんだけどね。」と言って照れくさそうに笑ったのです。
これは、実は彼の楽器演奏の上手さの秘密にも通じている、大変奥が深い本質を突いたアドバイスであったと思います。
そして、1986年の5月、一年間の音楽活動の締めくくりとして(アメリカでは9月が新学期で6月から夏休みです)、バンドクラス、ジャズバンド、オーケストラが合同で、ジャズ発祥の地であるニューオーリンズへ6泊7日の演奏旅行に行くことになりました。
一週間ライブ演奏を行いながら、地元のジャズ演奏を聴いたりプロのクリニックを受けたりという夢のようなイベントです。
しかし、その演奏旅行へ行く一週間位前の授業で事件は起こりました。
授業の冒頭で、先生はとても深刻な顔をして「このクラスで学業の成績が悪すぎてニューオーリンズへ行けなくなった者がいる」と話し始めました。
そして、低いドスの効いた声で「Dave」と一言名指しすると、見たことがないような恐ろしい顔でデイブのことを睨みつけたのです。
日本の平均的な高校生と比べても遙かに早熟で頭の良いデイブが、簡単なアメリカの高校の授業で落第点をとるなんて私には信じられませんでしたが、デイブは暗い顔をしてうなだれたまま一言も発しません。
「Don't worry Dave, we love you!(心配しないでデイブ、皆あなたのことが好きよ!)」とサックス担当の女の子が声を掛けると、クラス中が「イェー」と盛り上がりましたが、それでも先生はずっと怖い顔をしたままで、デイブはうなだれたままでした。
しかしその後、演奏旅行へ行く日がやってくると、デイブは当たり前のように皆の前に現れたのです。
先生もクラスメイト達もそのことには一切触れないまま、彼は皆と一緒にニューオーリンズへ行き、ライブでは見事な演奏を聴かせてくれました。
ただ、夜は先生も生徒も同じホテルに泊まっていた(4人部屋で部屋割りは先生が決めました)筈なのですが、彼は寝る時間になると、もう一人の黒人であったジャズバンドの男子と二人でそそくさと何処かへ行ってしまうようでした。
夢のような一週間が終わり、私の家族はいよいよ日本へ帰ることになり、お世話になった人達(父の仕事関係)に感謝を込めて、家族で食事を振る舞おうということになりました。
その時、我々家族と一番親しくしてくれた方が言ったことは、今でも決して忘れることができません。
「○○さんを呼んだら白人は一人も来ませんよ、何故なら彼が黒人だから。」
このアドバイスをしてくれた方は、帰国後もずっとお付き合いしてくれた本当に良い方で、あくまでも我々のことを心配してこんなことを言ってくれたのです。
この時、ニューオーリンズ演奏旅行で起こった一連の出来事が理解できたような気がしました。
これはあくまでも私の想像であり証拠は何も無いのですが、恐らく黒人の生徒と一緒に一週間も旅行することについて、クレームを付けた白人の親がいたのだと思います。
あるいは、誰も何も言わなかったとしても、当時のこの地方の社会常識として許されないことだったのかもしれません。
そこで、あくまでも建前で勉強の成績が悪いから行けないということにしたものの、先生は最初から連れて行くつもりで、クラスメイト達も皆それをわかっていたから、その後一切誰もそのことに触れなかったのだと思います。
それでも、他の生徒達と同じホテルの部屋に泊めることだけは出来なかったのでしょう。
一年間アメリカの高校のバンドクラスを体験して感じたことは、音楽を演奏する上で技術よりも大切なものがあること、コンクールの結果が最優先で詰め込み型になってしまう日本の吹奏楽教育の問題点、そして、日本だけで生活していたら恐らく気づくことのなかった、非常に根強い差別と偏見の問題です。
この時代のアメリカでも、法の上では人種差別は存在しません。
では、何処に差別があるのかというと、個々の心の中にあるのだと思います。
自分自身を振り返っても、「黒人はノリノリで激しい演奏をするような先入観を持っていた」と書きましたが、こんなのは立派な差別であり偏見です。
こういう心の中の差別と向き合うことが、差別の無い社会を実現する為の第一歩であると私は思います。
はじめまして、茨城在住の54歳男性です。
中学生の頃から音楽が大好きで、部活のブラスバンド、友人とのロックバンド、大学に入ってからはジャズのビッグバンド、と経験した挙げ句に音楽家を目指して音大に入り直したりしましたが夢はかなわず・・結局歳だけとってしまい、恥ずかしい人生をおくっております。
こんな私にも人生の大切な思い出はいくつかありますし、将来自分で読み返すことがあれば楽しいかなぁ、なんて思います。
よろしくお願いします。
アメリカの高校のブラスバンドを体験して感じたこと