いまを生きる
人と理解し合うことは容易ではない。
向き合って、何か話し合い、寄り添い合うことが簡単だったならもっと平和で穏やかな世界があったはずだ。
私の初婚は、中国の方との国際結婚だった。
まだ20そこそこだったが子供も2人授かり、生まれ故郷の違うもの同士でもわかり合い生きていた、つもりだった。
第二子妊娠中、元夫は日本の歴史に腹を立てて半狂乱になった。私が神社めぐりが好きであることがわかったことがきっかけだったと思う。日本人は自分たちの国に酷い行いをしたと言うのに善人ぶって慎ましやかに参拝していると避難し始めたのである。
そんなことをしてる暇があるならば過去の日本人の罪を償う態度を見せるべきだと言い出した。
戦後数十年後の日本に日本人として生まれた私にとっては寝耳に水であり、まるで国を代表しているかのような口ぶりで荒れる彼の姿に、分かり合える可能性を見出せなかった。
そんなこんなで、22歳の誕生日を目前に控えた10月、私は長男と、お腹の中の娘の2人を育てるシングルマザーとなったのだった。
ここでご理解いただきたいのは
私は愛国心で日本を贔屓することや他国を非難することはしないが
事実は事実として受け止め、今を生きるものとしてどの国の戦死者にもその遺族にも顔向けできるような平和がこの世に訪れるよう祈り、生きるただの日本人であることだ。
どこの国が悪い、良いという大それたことは言えない。
ひたすら慰霊の気持ちと敬意をもつことしか、できない現代人である。
離婚する時、私は自分の力で覚えた中国語を後悔していた。
ある憧れを追い、必死で覚えた言葉たちが元夫の口から汚い言葉として吐かれて耳に届く。
それを理解できてしまうから本当に嫌だった。
私にとって、言葉は形のない宝石のようなもの。それがどんどん傷ついていく。
こんなことなら、他の国の言葉なんて知らなければよかったとすら思った。
それから、2年半がすぎた。
すでに私には新しい婚約者がいて、私の子供たちは彼を父と慕って
夢にまでみた温かい家庭がここに咲いた。
そんなタイミングであのお店を思い出したのは、どうしてだろう。
新居から車で2分ほどの距離にあった、中国料理店。
かつて、一度だけ元夫と行ったことのあるお店。
そこは、私を突き放した元夫と同じ国で育った中国人の夫妻が経営していた。
「すっごい美味しい中華まんがたべたいよね…」
けっこうグルメを楽しむ婚約者のYと私は次の休日はどこにいくかと話しているうちに食べたいものを思い浮かべ合い、ふと私が思ったことを口にした。
個人的にはこの頃肉まんの季節になってコンビニではどんどん肉まんが美味しそうに宣伝されていたのでその中から一番美味しいものを探し出してお腹いっぱい食べたい…と庶民の贅沢を想像していたのだが
話が進むにつれて、せっかくなら本場のもの食べたいなんてことになった。
しかし、ここは日本。そしてど田舎。そんな本場のものを食べられる場所なんて…
「…あった」
あったのである。
記憶を遡る。
元夫と一度だけそのお店は行った。
店主とその女将さんは日本語が堪能ではないが日本語の対応をしながら良い意味でサバサバとした接客をしてた。
来店した私も元夫はメニューを見ていたが元夫が女将さんを呼び止めて中国語で中国人向けのメニューがないかを尋ねた時裏メニューが出てきたが、そこには「包子」があったはずだ。
日本で言う肉まんにあたるそれはどんな味だろうか。まだ食べたことがないそれを思い出して食べてみたくなった。
果たして日本人でも注文はできるのだろうか…?
行ってみてダメ、となるよりはまず電話をしてみようと思いスマホでお店を調べる。電話番号はすぐ出てきた。
私はその時何故か、中国語で電話をしていた。無意識だった。
(以下、中国語の会話を日本語に訳したものである)
「こんにちは、すみません少し聞きたいんですが」
「あぁこんにちは!どうしたんだい?」
気さくで優しい女将さんが電話に出た。
中国語の中でも少し私とは違う方言の中国語だったが聞き取りやすい。
「実は、以前お店に行った時に裏メニューを見たのですが、その時、連れの中国人が裏メニューを頼んでたんです。それ、日本人でも注文できますか?…あ、私は日本人なんですが…」
もしかしたら同じ祖国同士の者たちだけが味わえるものかもしれないと思い恐る恐る聞く。
「日本人だったのかい!気が付かなかったよ!いいよ、裏メニュー出すよ!注文するかい?」
「はい!確か包子がありましたよね…あれが食べたいです!」
スムーズに話が進む。
こんなに楽しく中国語を話したのは、いつぶりだろうか。
ほっこりしていると女将さんはきいてきた。
「中国語が上手だねぇ!なんでだい?今回も前一緒に来た中国人とくるのかい?」
「…えっと…」
すうっと心の空気が冷える。祖国の客が来るのはやはり嬉しいのか、女将さんは私の答えを待つ。
だが嘘はつけない。お店には婚約者と行くことにしている。
「今回は日本人2人で行きます、中国語は自分で勉強してて…」
ごにょごにょと話す私の声に何か察したのか
「じゃあ店に来てくれた時話を聞かせておくれ!」
そう話を終わらせてくれた。
包子はテイクアウトだがお店の中で少し待つことになっていた。仕上げは客が来てからやって、客に出来立てを渡すのだと言う。
受け取る日時を約束したのち、電話は終わった。
いままで、元夫と同じ国の人に、離婚の理由を話すのは嫌だった。怖くなってしまっていたのだ。
また、非難されるかもしれないことを恐れていた。
だがこの時は不思議な気持ちで、私は女将さんに軽く話してみたくなった。
受け取りに行く当日、私は手紙でこれまでの経緯を書いてお店に向かった。
お店に婚約者と私、2人で着くと
そこは客がおらず、よく見ると準備中の札がかかっている。
裏メニューのテイクアウトは準備中に…と言うことだろうか。なんだか申し訳ない気持ちにもなる。
店内に入り、你好ー!と声を出すと、奥から前に見たときと変わらない姿の女将さんが出てきた。店主は奥の厨房にいるようだ。
「こんにちは!予約してた者です、裏メニュー、すごく楽しみです!」
「いらっしゃいハジメマシテ、スワッテ、マッテネ、お水イル?」
拙さの残る日本語だが優しさが滲み出ている。
ありがたくお水をいただきながら、私は持参した手紙を女将さんに渡した。
内容は至ってシンプルに事実を伝えるものと、今日ここの料理を食べることをとっても楽しみにしていた事実。
「文字の方が伝えやすくて…」と中国語で伝えると、女将さんはニコッと笑って読んでくれた。
なんで話せるのか、前一緒に来た中国人はなぜいないのか、その答えになればそれでいいくらいの気持ちで書いた。
だが女将さんを見ると、目に、涙を浮かべていた。
読み終わる頃には指には強く、紙がくしゃっとなるくらい力が入っていて悔しそうな顔をしていた。
やってしまったか。
一瞬焦る。やはり、理解はしてもらえないのだろうか。
身構える私と、私たちを見守る婚約者。
婚約者も全てを知っているから、同じ緊張感で沈黙を耐えていたと思う。
数秒の沈黙の後、女将さんは中国語と日本語、両方が混ざりごちゃごちゃになりながら話し始めた。
「こんなことがあったなんて、信じられない…アンタ、お金、もらえなかった!?前の夫は、どうしてこんな酷いことした!?何があっても、家族を捨てることはダメネ!」
顔を赤くしながら、続ける。
「こんな…こんなことがあったのに、アンタは中国人の血が入った子供を1人で2人も産んで、育ててくれていたのかい…中国人を恨まなかったのかい?」
女将さんは手が震えていた。
そんな反応が来ると思っていなくて焦ったが、聞かれたことに答える。
「私は、私の子供を産んだまでですから…それに、私は元夫のことは憎いけれど、中国も中国の人も大好きです…だから今日ここに来ています…日本人にも酷い人はたくさんいるし、いい人もいるから、あなたの祖国とそこに生きる人を嫌いになることはなかった」
実際、そうだ。
そりゃ、多少離婚からしばらくの間は中国語を話すことに抵抗があったし、中国人との友人たちとも少し距離が空いてしまったがそれは元夫を思い出すからではなかった。
自分がこれまで大切に学んできた言葉たちを、私自身が元夫との言い合いの中で汚く使ったことが悔しくて悲しかったのだ。
そして、何かを話すことを、恐れたのだ。
でもだからと言って、そんな大きな規模で何かを嫌いになんてなれない。こんなことで全部投げ出せるほど、私の中国を、否、他国を愛する力は軽くはなかった。
かつて戦争があった時
確かに人々は殺し合っただろう。
しかしそれは、なんのためだったか。
自分の家族や国を守ろうとしたから戦ったのではないか。
平和を求めていたはずではないか。
ただ穏やかな日々や愛する人たちとの時間をもとめて、散っていった命がある。
その先に続く時間の上に私たちは生きている。
平和を願った命が散った時間の続きで生きている。
ここにいる私たちができることは、憎しみあうことではない。
もう2度と苦しみが戦火となり燃え広がらないように互いに認め合うことではなかろうか。
少なくとも私はそう思っている。
だから、この日まで、何があっても平和から目を背けずに生きてきた。
だから、何があっても、何かを罪のない何かを嫌うこともせずに生きてきた。
「私はきっと、中国も、中国の文化も言葉も造形物も京劇もずっとずっと大好きです。なにがあってもです…母国も、母国じゃない国も、全部大好きです」
色んな気持ちを込めて伝えた。
あの日、日本を非難して出ていった男に、分かって欲しくて言った言葉と同じような言葉を伝えた。
あの時も、わたしは似たことを話していた。
憎しみが残ることは仕方なくても、できる事は憎しみ合う事や繰り返すことではなく寄り添い合うことではないかと。
だって、私たちはいまを生きているのだから。
私は何があっても、全てを好きでいたい。日本も、中国も。
この気持ちはあの男に伝わらなかった。それどころか心に刃を突き立ててくるような言葉が帰ってきた。
だから、女将さんに気持ちを伝える事は、砕かれた心をもう一度拾い集めて挑んだ、私のささやかなリベンジだったのである。
平和を、小さくここに咲かせたい一心の、願い。
自然と視線を落として話をしていたから
女将さんが発した涙声に顔をあげた時、そこにはかつてあの男が見せた歪んだ顔ではなく
優しく、涙を止められないでいる母のような顔をした女将さんがいることにやっと気がついた。
「ありがとう……ありがとうね……でも、私たちの国から家族を捨てる人間がでたことは事実よ、だから謝らせて、お願い、本当にごめんなさい……ごめんなさい……そしてありがとう……私たちの国の血を持つ子を産んでくれてありがとう……私たちの国を好きでいてくれてありがとう……本当に、ごめんね……」
悔しそうに何度もごめんなさいとありがとうを繰り返す女将さんに、どうか謝らないでと伝えても、彼女はきちんとあったことも無い男の罪を、自分の国の罪として、謝罪し続けた。
「本当に苦労したでしょう……あなたの中国語はとても綺麗だから、きちんと中国を愛してくれてる事は伝わるわ……2人の子供を育てる事は簡単じゃないはずよ、それなのに、あなたは笑顔でいてくれたのね…今日会う日まで…ありがとう…本当に…あぁ…」
悔しそうな、切なそうな、優しい声が続く。
もうなんと声をかけたらいいか、わからなかった。でも嬉しかった。
気持ちが伝わったことも。
気持ちを伝えてくれたことも。
感傷的な雰囲気の中、
奥から店主の声がする。
中国語だが、「できたぞ!」と言っているのがわかる。
女将さんははっとして、涙をふいたあと
まっててねと、店主の方に向かっていった。
沈んでた空気が少し和む。
女将さんの言葉を受け止めた私は女将さんが去った後中国語だった部分を婚約者に通訳し、2人で気持ちを分かち合った。
温かい雰囲気になる。
しかし、店主の方に行くなりやや訛りのある中国語で店主に話しかけていた。
……その声は多分本人が思っているより、大きな声であった。
店主の方に向かうなり、女将さんは私たちのまえで我慢していた怒りが爆発したようで
「うちの国からクソ野郎がでたわよ!!!」と私と話してたときには見せなかった苛立ちを吐き出していた。
私には聞こえないと思っているようだがはっきり聞こえる。「家族捨てて出ていった男が……!」「信じられない!ありえない!金も置いていかないなんていっそ調理してやろうじゃないの!!」
と鬼のようだ。
だけど、これさえ嬉しかった。もし、かつての義母だった人がこの人だったならどれだけ良かったか。元義母本人は、薄情なことに私の連絡を全てブロックし一言の挨拶もなかった。最後の最後まで。
悔しかったが、そんなことに取り合ってる暇がなかった。
だけどやっぱ心の傷になってたのだ。気が付かなかった。
気が付けたのは、苛立ちを露わにする女将さんのおかげだ。本当は愛する中国人の義家族、誰か一人にでも味方をして欲しかったのだ、私は。
少しすると、女将さんが戻ってきた。
手には包子と、野菜の入った袋が握られている。
いい香りが漂って、今にも涎が垂れそうになる。
「できたよ!ほら、包子!出来立てだから、すぐに食べな!あと…これ!」
渡されたのは、シシトウとナス。
「これは、私の故郷の種を日本に植えて自分で育てたものなの。あなたたちに食べて欲しい」
袋にどっさり、みずみずしい野菜が入っている。
「朝とったばかりよ!よかったら、たべてね」
思わず遠慮する私に、ほーら、と袋を持たせる女将さん。
一緒に包子も受け取った。
袋越しにでもわかる包子の美味しい香りに、わっと声が出る。婚約者も隣でわくわくした顔をしていた。
「ありがとうございます…お野菜まで…」
「いいのよ、あなたたちに会えてよかった…この方は今の旦那さんなのよね?」
婚約者の方を見る。正式には籍をまだ入れてないが
女将さんを安心させたいとおもいすぐに、はいと答えた。
もし私がまた、1人で子育てをすることになる可能性が高いとしれば、女将さんに心配をかける気がした。
その考えは間違っていなかったみたいで、「あぁ、よかった…優しそうだね、彼」とほっと胸を撫で下ろしていた。
お会計をして、玄関まで見送られる。
店の入り口で、「それじゃあ、またきてね」と笑う女将さん。私は彼女をみて、いつのまにか母親に抱きつくかのように抱きついていた。
だが驚かれることはなく、彼女もまた娘を抱きしめるかのように私を抱きしめてくれた。
「ありがとう…絶対またきます」
「待ってるね、本当に、うちの国の者が迷惑をかけたね…幸せになるんだよ…またすぐきてね」
いつのまにか、私の目からも涙が溢れてしまっていた。
ゆっくり体を離すと、今度は女将さんが婚約者の方を向いて片言の日本語で話した。
「頼んダヨ、ガンバッテ、子供達ヲ、よろしくネ」
女将さんの想いは、短い日本語にぎゅっと込められていた。婚約者もそれに気がついたのだろう。力強く、はい、と答えた。
名残惜しさが残る中、私たちはまたねと言う意味の「再見」を言い合ってその場を離れる。
女将さんは、私たちが車に乗り込んで、発進し、見えなくなるまで見送り続けてくれた。
わたしがかつて、元旦那と果たしたかった「憎しみあった両国の歴史を乗り越えて互いを理解し合う」という夢は、ここで果たされた。
包子は日本にない美味しさで私たちを釘付けにした。
手作りの生地に包まれた独特なスパイスの効く肉たちが口いっぱいに旨味を広げて本場の味はこれだ!と思わせてくれる。
この包子は今後、私にとって大好物の一つとなるのである。女将さんとの交流も、ずっと続くものとなる。
帰りの道で、私は涙が止まらないままでいた。
伝わった、私の想いが、確かに伝わった。そして想いを受け止めてくれた女将さんは、ありがとうも、ごめんなさいも繰り返して私に伝えていた。彼女の想いもまた、私が受け取った。
離婚した直後は辛かったが
それでも、出て行ったあの男のようにならなくてよかった。
中国を好きで居続けてよかった。容易なことではなかったが彼への憎しみが増大するたび、悪いのは彼であって彼の国ではないことを何度も思い出すようにした。
私は平和を願いたい、憎しみは、現代人として断ち切らなければならない。何度もそう自分に言い聞かせた。
その日々が、この日、実を結んだと思えた。
きっともう、元旦那に会うことはないだろう。そして彼はずっと日本と、私を恨み続けるのだろう。
だが彼が行き着く先には、平和や優しさなんてないことは誰でもわかることだろう。
憎しみは、何も生まないのだから。
女将さん、ありがとう。私はあなたに会えたから今まで自分に言い聞かせてきたことが正しかったのだと思えました。
涙を流し合えた日を死ぬその日まで忘れることはきっとない。
さて
誰かが誰かを恨むことや
愛することや、妬むことは人間が人間である以上永遠に続いていく。良い感情だけがこの世に残る世界は、永遠に来ないだろう。
そして
人と理解し合うことは容易ではない。
向き合って、何か話し合い、寄り添い合うことが簡単だったならもっと平和で穏やかな世界があったはずだ。
だが、難しいだけで無理なわけじゃない。
何度裏切られても、傷つけられても、人を信じようとすることを諦めなければ、必ずだれかと寄り添いあえる。だれかと理解し合える。
簡単なことじゃないけれど、出来ないことじゃない。
今もこの世界のどこかで戦争が起きて、憎しみの種が蒔かれているけれど、本当の戦火は終戦しても憎しみや悲しみという形で燃え続けている。
その炎を消せるのは、今を生きる者だけなのだ。
許しあい、信じ合い、寄り添い合うことでしかこの炎は消せない。
だからどうか、わすれないで。
生きる者の武器は、結局優しさだということを。
いつの日か
許し合える世界が広がることを今日もわたしは願っている。
何者かになりたい20代です。
二人の子供を育てています。
信じる心だけは失わないで生きていこう、その気持ちが何万回裏切られようとも、、、いつしか聞いた言葉を胸に息をしています。
そっと生きる中で出会った出来事を一つ一つ書いていきます。
それがいつかどこかでどなたかの役に立つことを願っています。
いまを生きる