自分らしさ、守りながら


ギターは結構直ぐに弾けるようになったのに作曲はまるでダメで
主旋律とそうでは無い音の区別がつかない、そもそも主旋律に合わせるメロディーがわからない。
ギターを握り始めたのが小学五年生。作曲に興味を持ったのは6年生。
で、24歳になるまで私は何百と作詞はしてきたのに
自分で曲を作ったものは一個もないままであった。
壊滅的にセンスがない自分は、多分一生このままだろうと作曲をしてくれる人を探したりもしてみたが長く続く音楽活動はなく結局1人で誰かの既存曲を歌い上げるだけの日々だった。

さてさて、AIなんてものが昨今普及してきているが
正直、私は苦手。というより、怖い。
いつ、どこで産まれたなんなのかも分からないしなんでも出来てしまうことは脅威でしかないし
AIで作曲!なんてことも出来るも聞いたときは「センスのない私が頑張る機会すら無くなる……」と思った。
アンチの3文字がピッタリ。若いのに最近の若い者はコンピューターに頼るのが当たり前になっていくのだろうかなんてのを考えるAIアンチの24歳は、25歳になるまでになんと100曲を超える作曲をAIを味方につけて成すこととなる。

きっかけは子供たちが戯れてる姿を見ていた時、子供を育てている人ならば考えたことはあるだろう「この子達が大人になったらその時代はどんな時代になっているのか」なんてことを私もぼーっと考えていた時のこと。

きっと想像しているよりハイテクになって、今らくらくフォンを使ってるご老人のように、私もその時代のものについていくのがやっとな世界が待っているんだろうなぁ。
子供達は時代と一緒に成長していくんだなぁ。

ということは、AI…あれも、もっといろんな企業に使われたり当たり前のものになったりしているんだろうか?

Siriを初めて知った時に「こんなの搭載されてるスマホを使うのはアラブの石油王かそれに似たお金持ちだけだろう」と本気で思ったのに、案外そこからすぐに周囲も私も使える普通の機能として普及していた。
当時もスマホに話しかけるなんて…みたいな賛否の否も多かったがそんなのも聞こえなくなっていった。
だからきっと、AIも、当たり前のものになっていくんだろうな。

そんなふうに思ったら、今まで苦手意識のあったAIに対して「このまま得体の知れないものだと怖がっていていいのか?」と疑問が湧く。

苦手なもの、不気味なもの。
それはきっと私の先入観や人生観が作った気持ちであって
AIが実際に何かを私にしたわけでもないのに遠ざけている。
これじゃあ、ずっと何もわからないまま最先端の技術に恐怖して
ネットやテレビでちょくちょく見かける「AIが仕事を奪う」なんてことが可能になった時に
私はその時代そのものに飲み込まれて何もわからないまま時代にため息をつくだけになってしまう。

その時代に我が子も生きているのに。
私自身も、人生を生きていたいのに。

良い使い方もできず、子供達にとって当たり前のものとなるであろう媒体を
気嫌いする大人になるような気がした。

このままじゃダメだ。

そんな風に、考えた事が私の生き方を変えた。

昔から、決めたら学び尽くす主義な私は
まず初めに自分が使えるものを幾つかダウンロードしてみた。
チャットGPTや音楽再生アプリのSUNO、G emini。
あらかた何日かかけて使ってみた後は「あら便利なのね」では済ませない。
大体使った後は、すぐ本屋に直行。
AIに関する本、それぞれのアプリの使い方や特化した部分の説明が記載されてる本、何冊か買い込んで読んでは試す。
そんなふうにとことん、自分なりにAIと向き合ってみた。
専門的な知識をつめこみ、便利に利用するだけではなくどんなふうに作られてどんなふうに世界で使われていて、危険性や利便性はもちろん、画像生成、楽曲生成の際にはどうやれば個性を詰め込めるのかも研究した。権利問題ももちろんきちんと学んだ。

多分思い立った時から、専門書を20〜30冊は読んだと思う。
マーカーを引いて、付箋をつけて、調べられるだけ調べた。
実際AIを使ってお小遣い稼ぎをしてみよう!なんて項目のある本を見つけたならその日中に書かれてるままを実践。
LINEスタンプを作ってみたりもした。
販売の審査をきちんと通して販売も実行。

二、三ヶ月向き合ってみて分かったことは
便利だということ。
ほぼなんでも出来るし知識の情報源として有効に使えること。
使い手次第で、AI任せにも、自分の補佐にも出来ること。

収穫は大きかった。
自分の補佐をさせる事ができることと、AIに完全に任せて何かを作ることもできること、この両方を知った日には、「やっぱり先入観だけで嫌うもんじゃないな」とため息が出た。
これは、私の味方につけたい。
私が私らしく私の力でできることにはどうしたって限りがある。
作曲がまさにそれだろう。
作詞はできるが作曲はできない。これは向き合った時間の長さが
1人じゃ何も出来ないことを証明していた。
だが、AIがあれば私にも、出来ないを出来るにすることが可能なのだ。

そこからは綱渡りの気分だった。

主に、AIは私の曲作りの補佐をさせるものとしたが
全ては委ねたくない。
どうしても、私の手入れておきたいし
本当に便利性を大切にするなら、なおさら本当に自分の補佐だけに留めておくべきだと思った。

一歩間違えれば
私の入る隙のない完璧なものが出来上がってしまうAIの力に
対抗するには、作曲の知識をもっと持つ必要がある。
作曲アプリもそうだが画像を作り出すアプリやツールも、使い手に不足しているものをAIが補助してくれる。
ということは、不足してるものが多ければ多いほど機械任せになる。
ならば、やはり人間の力で、知識をつけよう。

そこからは苦手だった作曲のあらゆる知識を詰め込んだ。
最先端のツールのことも学びつつ、どんなふうな用語があるのか、音はどんなものをどんなリズムで打つのか。
楽譜の読めないタイプの私は挫折しかけること数十回。
ちんぷんかんぷんながらに叩き込んだ。

さて、いざ、AIを「補佐」として使ってみよう。

今まで叩き込んだ知識を詰め込んで
主導権を自分が持つ、AIとの作曲の日々を始めた。

歌詞は必ず自分の言葉で書く。
主体になる音は、私が打ち込む。
楽曲生成のツールは素材として使い、歌がまだ下手な私のかわりに歌わせるものとしても使う。
オリジナリティをAIとの作業につぎ込むことは知識があれど所詮初心者。やはり難しかった。

それでも向き合い続けたのは
生きていく時代に背を向ける人になりたくない。
そう思い続けたからであった。

そんな日々を送るうちに、曲は完成した。
完全に委ねてしまった訳じゃなく、ちゃんと私の思い描いていた曲をつけることが出来た。
これは、たしかに私の曲だ。そう思えるものができたのだった。

そこからは
一日に何十曲も作って、作ったものを披露する場所も早急に探した。
この技術に賛否があることを理由に、次は「作曲したものを世の中に出すのが怖い」と思い始めてしまいそうで
それじゃあ作曲を頑張った意味が無い!と、まずは誰かに私の曲を使ってもらおうと考えたのだった。

ちょうど、行きつけの雑貨屋さんが主催するマルシェイベントがあった。
そこのお店とは不思議な縁で、実は私も現在はそのお店に自分の作ったものを置かせていただいている。
だから、マルシェに出店しない?と誘っていただけた時に
「よかったら会場内のBGM、作らせてくれませんか?」と打診した。
いいの!?と驚かれたが、私の方から頭を下げてお願いしたい事だったから喜んでもらえる反応は、有難かった。


世の中に、自分の作品を出してみなければ
賛否両論の否も聞くことが出来ない。
ならば、どんな意見があったとしても
隠れるより挑む方が賢明だ。

私の意思はこんなふうに固まっていた。
慣れてしまえばこっちのもんで、どんどん曲を作って
無事当日のマルシェイベント会場には私が作った曲が13曲ループで流れた。
当日私は、自身のハンドメイド品を売る出展者側だったのだが準備中から流れる自分の曲に感動してしまった。
きちんと誰かに聞いてもらえることが嬉しかったし家にはない大きなスピーカーからこの手で作った曲が流れていることには興奮した。

会場内で曲を流した結果大成功。
KーPOP風の曲調を自分で基盤作りし、歌詞を考え、歌わせる。
一息には言えない手間をかけた甲斐があった。なぜならどう聞いてもどこかのアイドルグループの曲なのに、そこには私の魂がきちんと強く大きく出ていた。
会場内で、「この曲どこのグループ?」とザワつく十代のお客様たちの反応が、嬉しかった。
主催者側からも、だいぶ気に入って貰えた。

私が曲を作った人だと知ったお客様の中には
AI使ったら自分の曲じゃないじゃないとわざわざ伝えに来る人もいたが
その否定意見さえ、自分が動かなければ聞けなかったものだった。

そんなこんなで苦手だったものに本気で向き合ってみた私は上手く苦手なものを私らしさの後押しに使えて
1年作曲をし続けた結果、100を超える楽曲を、自分らしいかたちで作ることが出来て
今も、私は曲を作り続けている。
翌年にはライブに出る約束もある。
その時はさすがに自分で歌うので、
絶賛ひいひい練習中である。
AIに補われながらも、確実に私の色が見える曲を、ステージでどう歌おうかワクワクしながら、練習中である。


これからきっと、もっともっと
何かが進化して、なにかが忘れられていくだろう。
AIを学んでいる際、自分で作ることを忘れてしまっている事例をいくつも見つけた。
そうなってしまっては、ちとつまらないが
時代は時間を早めることなく1秒ずつ進んでいる。
私たちはその中で生きている。
だから、目を背けるより、知るために向き合う方が時代に翻弄されずに生きていけるのではなかろうか。
今回、私はそんなことを思えた。
頑なにアナログなのももちろん良い。かっこいい。でもそれだけが正解ではないことを知るだけで自分らしく時代の上で生きていける。
私は、そう信じている。

得体の知れないものを知るということは
自身の足場を作ると同じこと。
それを、私は実感している。
何かを受け入れて生きていくことは、その反対より、きっと、ずっと、楽しいはずなのだ。

自分らしさを奪わせないことを貫くためには
奪われるのは何故かを知る必要があることわ
もっと最先端な時代で生きるであろう我が子達には
教えたいなぁ、そう思う、今日この頃も私は「私にしか作れない私の」曲を作っている。

分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:2025年11月29日
ドラマの時期:
2024年
--月
--日
文字数:4572

筆者紹介

何者かになりたい20代です。
二人の子供を育てています。

信じる心だけは失わないで生きていこう、その気持ちが何万回裏切られようとも、、、いつしか聞いた言葉を胸に息をしています。
そっと生きる中で出会った出来事を一つ一つ書いていきます。
それがいつかどこかでどなたかの役に立つことを願っています。

自分らしさ、守りながら


ギターは結構直ぐに弾けるようになったのに作曲はまるでダメで
主旋律とそうでは無い音の区別がつかない、そもそも主旋律に合わせるメロディーがわからない。
ギターを握り始めたのが小学五年生。作曲に興味を持ったのは6年生。
で、24歳になるまで私は何百と作詞はしてきたのに
自分で曲を作ったものは一個もないままであった。
壊滅的にセンスがない自分は、多分一生このままだろうと作曲をしてくれる人を探したりもしてみたが長く続く音楽活動はなく結局1人で誰かの既存曲を歌い上げるだけの日々だった。

さてさて、AIなんてものが昨今普及してきているが
正直、私は苦手。というより、怖い。
いつ、どこで産まれたなんなのかも分からないしなんでも出来てしまうことは脅威でしかないし
AIで作曲!なんてことも出来るも聞いたときは「センスのない私が頑張る機会すら無くなる……」と思った。
アンチの3文字がピッタリ。若いのに最近の若い者はコンピューターに頼るのが当たり前になっていくのだろうかなんてのを考えるAIアンチの24歳は、25歳になるまでになんと100曲を超える作曲をAIを味方につけて成すこととなる。

きっかけは子供たちが戯れてる姿を見ていた時、子供を育てている人ならば考えたことはあるだろう「この子達が大人になったらその時代はどんな時代になっているのか」なんてことを私もぼーっと考えていた時のこと。

きっと想像しているよりハイテクになって、今らくらくフォンを使ってるご老人のように、私もその時代のものについていくのがやっとな世界が待っているんだろうなぁ。
子供達は時代と一緒に成長していくんだなぁ。
ということは、AI…あれも、もっといろんな企業に使われたり当たり前のものになったりしているんだろうか?

Siriを初めて知った時に「こんなの搭載されてるスマホを使うのはアラブの石油王かそれに似たお金持ちだけだろう」と本気で思ったのに、案外そこからすぐに周囲も私も使える普通の機能として普及していた。
当時もスマホに話しかけるなんて…みたいな賛否の否も多かったがそんなのも聞こえなくなっていった。
だからきっと、AIも、当たり前のものになっていくんだろうな。

そんなふうに思ったら、今まで苦手意識のあったAIに対して「このまま得体の知れないものだと怖がっていていいのか?」と疑問が湧く。

苦手なもの、不気味なもの。
それはきっと私の先入観や人生観が作った気持ちであって
AIが実際に何かを私にしたわけでもないのに遠ざけている。
これじゃあ、ずっと何もわからないまま最先端の技術に恐怖して
ネットやテレビでちょくちょく見かける「AIが仕事を奪う」なんてことが可能になった時に
私はその時代そのものに飲み込まれて何もわからないまま時代にため息をつくだけになってしまう。

その時代に我が子も生きているのに。
私自身も、人生を生きていたいのに。

良い使い方もできず、子供達にとって当たり前のものとなるであろう媒体を
気嫌いする大人になるような気がした。

このままじゃダメだ。

そんな風に、考えた事が私の生き方を変えた。

昔から、決めたら学び尽くす主義な私は
まず初めに自分が使えるものを幾つかダウンロードしてみた。
チャットGPTや音楽再生アプリのSUNO、G emini。
あらかた何日かかけて使ってみた後は「あら便利なのね」では済ませない。
大体使った後は、すぐ本屋に直行。
AIに関する本、それぞれのアプリの使い方や特化した部分の説明が記載されてる本、何冊か買い込んで読んでは試す。
そんなふうにとことん、自分なりにAIと向き合ってみた。
専門的な知識をつめこみ、便利に利用するだけではなくどんなふうに作られてどんなふうに世界で使われていて、危険性や利便性はもちろん、画像生成、楽曲生成の際にはどうやれば個性を詰め込めるのかも研究した。権利問題ももちろんきちんと学んだ。

多分思い立った時から、専門書を20〜30冊は読んだと思う。
マーカーを引いて、付箋をつけて、調べられるだけ調べた。
実際AIを使ってお小遣い稼ぎをしてみよう!なんて項目のある本を見つけたならその日中に書かれてるままを実践。
LINEスタンプを作ってみたりもした。
販売の審査をきちんと通して販売も実行。

二、三ヶ月向き合ってみて分かったことは
便利だということ。
ほぼなんでも出来るし知識の情報源として有効に使えること。
使い手次第で、AI任せにも、自分の補佐にも出来ること。

収穫は大きかった。
自分の補佐をさせる事ができることと、AIに完全に任せて何かを作ることもできること、この両方を知った日には、「やっぱり先入観だけで嫌うもんじゃないな」とため息が出た。
これは、私の味方につけたい。
私が私らしく私の力でできることにはどうしたって限りがある。
作曲がまさにそれだろう。
作詞はできるが作曲はできない。これは向き合った時間の長さが
1人じゃ何も出来ないことを証明していた。
だが、AIがあれば私にも、出来ないを出来るにすることが可能なのだ。

そこからは綱渡りの気分だった。

主に、AIは私の曲作りの補佐をさせるものとしたが
全ては委ねたくない。
どうしても、私の手入れておきたいし
本当に便利性を大切にするなら、なおさら本当に自分の補佐だけに留めておくべきだと思った。

一歩間違えれば
私の入る隙のない完璧なものが出来上がってしまうAIの力に
対抗するには、作曲の知識をもっと持つ必要がある。
作曲アプリもそうだが画像を作り出すアプリやツールも、使い手に不足しているものをAIが補助してくれる。
ということは、不足してるものが多ければ多いほど機械任せになる。
ならば、やはり人間の力で、知識をつけよう。

そこからは苦手だった作曲のあらゆる知識を詰め込んだ。
最先端のツールのことも学びつつ、どんなふうな用語があるのか、音はどんなものをどんなリズムで打つのか。
楽譜の読めないタイプの私は挫折しかけること数十回。
ちんぷんかんぷんながらに叩き込んだ。

さて、いざ、AIを「補佐」として使ってみよう。

今まで叩き込んだ知識を詰め込んで
主導権を自分が持つ、AIとの作曲の日々を始めた。

歌詞は必ず自分の言葉で書く。
主体になる音は、私が打ち込む。
楽曲生成のツールは素材として使い、歌がまだ下手な私のかわりに歌わせるものとしても使う。
オリジナリティをAIとの作業につぎ込むことは知識があれど所詮初心者。やはり難しかった。

それでも向き合い続けたのは
生きていく時代に背を向ける人になりたくない。
そう思い続けたからであった。

そんな日々を送るうちに、曲は完成した。
完全に委ねてしまった訳じゃなく、ちゃんと私の思い描いていた曲をつけることが出来た。
これは、たしかに私の曲だ。そう思えるものができたのだった。

そこからは
一日に何十曲も作って、作ったものを披露する場所も早急に探した。
この技術に賛否があることを理由に、次は「作曲したものを世の中に出すのが怖い」と思い始めてしまいそうで
それじゃあ作曲を頑張った意味が無い!と、まずは誰かに私の曲を使ってもらおうと考えたのだった。

ちょうど、行きつけの雑貨屋さんが主催するマルシェイベントがあった。
そこのお店とは不思議な縁で、実は私も現在はそのお店に自分の作ったものを置かせていただいている。
だから、マルシェに出店しない?と誘っていただけた時に
「よかったら会場内のBGM、作らせてくれませんか?」と打診した。
いいの!?と驚かれたが、私の方から頭を下げてお願いしたい事だったから喜んでもらえる反応は、有難かった。


世の中に、自分の作品を出してみなければ
賛否両論の否も聞くことが出来ない。
ならば、どんな意見があったとしても
隠れるより挑む方が賢明だ。

私の意思はこんなふうに固まっていた。
慣れてしまえばこっちのもんで、どんどん曲を作って
無事当日のマルシェイベント会場には私が作った曲が13曲ループで流れた。
当日私は、自身のハンドメイド品を売る出展者側だったのだが準備中から流れる自分の曲に感動してしまった。
きちんと誰かに聞いてもらえることが嬉しかったし家にはない大きなスピーカーからこの手で作った曲が流れていることには興奮した。

会場内で曲を流した結果大成功。
KーPOP風の曲調を自分で基盤作りし、歌詞を考え、歌わせる。
一息には言えない手間をかけた甲斐があった。なぜならどう聞いてもどこかのアイドルグループの曲なのに、そこには私の魂がきちんと強く大きく出ていた。
会場内で、「この曲どこのグループ?」とザワつく十代のお客様たちの反応が、嬉しかった。
主催者側からも、だいぶ気に入って貰えた。

私が曲を作った人だと知ったお客様の中には
AI使ったら自分の曲じゃないじゃないとわざわざ伝えに来る人もいたが
その否定意見さえ、自分が動かなければ聞けなかったものだった。
そんなこんなで苦手だったものに本気で向き合ってみた私は上手く苦手なものを私らしさの後押しに使えて
1年作曲をし続けた結果、100を超える楽曲を、自分らしいかたちで作ることが出来て
今も、私は曲を作り続けている。
翌年にはライブに出る約束もある。
その時はさすがに自分で歌うので、
絶賛ひいひい練習中である。
AIに補われながらも、確実に私の色が見える曲を、ステージでどう歌おうかワクワクしながら、練習中である。


これからきっと、もっともっと
何かが進化して、なにかが忘れられていくだろう。
AIを学んでいる際、自分で作ることを忘れてしまっている事例をいくつも見つけた。
そうなってしまっては、ちとつまらないが
時代は時間を早めることなく1秒ずつ進んでいる。
私たちはその中で生きている。
だから、目を背けるより、知るために向き合う方が時代に翻弄されずに生きていけるのではなかろうか。
今回、私はそんなことを思えた。
頑なにアナログなのももちろん良い。かっこいい。でもそれだけが正解ではないことを知るだけで自分らしく時代の上で生きていける。
私は、そう信じている。

得体の知れないものを知るということは
自身の足場を作ると同じこと。
それを、私は実感している。
何かを受け入れて生きていくことは、その反対より、きっと、ずっと、楽しいはずなのだ。

自分らしさを奪わせないことを貫くためには
奪われるのは何故かを知る必要があることわ
もっと最先端な時代で生きるであろう我が子達には
教えたいなぁ、そう思う、今日この頃も私は「私にしか作れない私の」曲を作っている。
分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:
2025年11月29日
ドラマの時期:
2024年
--月
--日
文字数:4572

筆者紹介

何者かになりたい20代です。
二人の子供を育てています。

信じる心だけは失わないで生きていこう、その気持ちが何万回裏切られようとも、、、いつしか聞いた言葉を胸に息をしています。
そっと生きる中で出会った出来事を一つ一つ書いていきます。
それがいつかどこかでどなたかの役に立つことを願っています。