ヒーローの言葉


小さな頃から、ほどほどに年相応のものが好きだったが今も昔も特定のウルトラマンが大好きで、大人になった今でさえ初恋はウルトラマンだと思っている。

戦隊モノあるあるだが子供向けと一括りにしてしまいがちだがその物語の中には大人が今を生きる子供に訴えかけたいことを作品という媒体をとおして伝えようとしているものが多数ある。
今日、私がここまで生きてきてみて波乱万丈な日々だったが一貫して自分自身を貫けたのは、ウルトラマンの教えや言葉が大きく影響していることは間違いない。
生きることがどれだけ難しくたって、誰かの言葉に救われることがある。
誰かの言葉が、自分の、基盤になることがある。
その誰かが、私にとって
ウルトラマンだった。
今回は、そんなお話。



「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと」
(ウルトラマンAセリフ一部抜粋)

この言葉に出会った時
私は少しだけ優しくなれた気がした。

人生何事も、無駄なことなんてないとは言うが
本当にそうだろうかと、昔から疑念を抱いている。
胸が苦しめられる出来事が多すぎれば、経験しなくてもいいことに思えてしまう。
誰だって傷付いたら次にまた傷つくことが怖くなるし、怖くなるが故に自分を傷つけてくる気配のある相手に敵意を持つ。仕方のないことだが、世の中、そうばっかりでは悲しいものだ。

小学生の頃、私は無慈悲な世間に苦しんだ。
担任からの嫌がらせ、同級生からの嫌がらせが続いた。
今思い返すと私の不登校はここから始まった。
大切な筆箱を壊される、ノートがゴミ箱の中にある。
これだけでも気が滅入るのに、謂れのない罪であやうく盗難事件の犯人に仕立て上げられそうになったこともあった。
度がすぎる行動を止めてくれる大人は、そこに存在しておらず
どんなに声を上げたところで「あなたは同い年の子供よりも心が大人っぽいんだから我慢してね」と担任が我慢を強いた。

当時はうまく自分の言葉で言えなかったけれど
その理不尽さに、なんで?どうしてなの?と素直な疑問を持った。
同い年が集う学年で、大人もへったくれもあったもんじゃない。
それなのに、我慢強い子は受け身にならねばならないのか。
そんなことが、あってたまるか。

元々好奇心と、それに伴う行動力は人一倍持ち合わせていたのもあり
どうして平等ではないのかと担任に再度話をしたが
それが気に入らなかったのだろう。
理科室に閉じ込められ、物音をドカドカ鳴らされ怯えたことを覚えてる。はっきり鮮明に思い出せないのは、それだけ恐怖が勝ったのだと思う。

まだ10歳にもなっていない女児には
理解ができなかった。
憎むこともできない。失望と疑念だけが残った。
人は、こんなにも空っぽで中身のないことをして人を傷つけることができるのか。それが世間では普通なのか。
それはなんでなのか。
わからなかったし、今でもわからない。
不信感と猜疑心は次第に私から、人を信じる強さを奪って行った。
どうにもならなくて拗ねることもしてみたが時間が止まったままになるだけだった。
憎めば楽になれるわけでもなく、何も成せず、傷付いて誰かに敵意を向けることは、もしかしたら傷を背負った成れの果てといえるのではないか?
なら、誰かを許すことでもしかしたら別の生き方にも出会えるのかもしれない。
そうまで思えても、その考えが正しいかどうかは
当時の私にはわからないままだった。

そんな時、あのセリフに出会った。
もともとウルトラマンが大好きで、大人になった今でも観るのだが今も昔も一番好きなのはウルトラマンメビウスである。
私の胸に深々刺さったこの言葉も、本家ウルトラマンエースのセリフとして聞いたわけではなく
エースの世代から何年か経った後のメビウス作品で、「昔エースが地球人に残した言葉だ」と言う流れで聞いた。
初めてこの言葉を聞いた時、静かに涙が溢れた。

優しさを失わないでくれ。
弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえその気持ちが何百回裏切られようと。

…。
もし、この言葉に出会えてなければ人生がどれだけひどく歪んだいたことか。
「人に優しくしなさい」
「誰のことも仲間に入れてあげなさい」
そんなことは、誰だって言える。
だけれど、この言葉はそれだけじゃない。

「何百回裏切られようと」

この言葉を、作中に組み込んだ大人は、子供に本当の優しさを訴えていたのだろう。本気で、酷なことでも優しさの意味を伝えようとしてくれたのだろう。

何百回裏切られようと、誰かと友達になろうとする心を
持ち続けることは
並大抵のことではない。
それでも、誰かを恨むより
何百回裏切られても、裏切られた数より多く人を愛することの方が絶対に大切な選択なのかもしれないと
納得した。

そこから、私の人生は大きく変わった。
何十回、何百回裏切られても
その度に涙を流すことになっても人を信じる気持ちだけは譲らない人生を送り始めた。
他人に期待しているわけでは無い。誰かに手を差し伸べたところで振り払われることなんてよくあることだ。
それでも、幼い心で不平等に苦しんだ時の私のような人に伸ばした手は届くかもしれないならば伸ばし続けるべきなのだ。

小学校卒業してから今日に至るまで
正直、残酷な時間が多かった。時には外国に住む人とのいざこざもあった。
人を信じられなくなるきっかけは、いくらでもあった。
それでも今日まで、自身を不幸だと思ったことはない。
たくさんの想いを経験できて幸せだとすら思える。
寄り添い合うことや、わかり合おうとすることに間違いは無いと
誰もが知るヒーローが、断言して教えてくれた。
人の心に何かを教えたならフィクションはフィクションじゃなくなる。真実となり、現実を変える。
作品は、時にこうやって現実の軸を作る。
大人になっていく今、私もそんな軸をこの世に一つでも残せるよう生きていかねばならないと思うこの頃である。

ありがとう、ウルトラマン。

分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:2025年12月24日
ドラマの時期:
2007年
6月
--日
文字数:2652

筆者紹介

何者かになりたい20代です。
二人の子供を育てています。

信じる心だけは失わないで生きていこう、その気持ちが何万回裏切られようとも、、、いつしか聞いた言葉を胸に息をしています。
そっと生きる中で出会った出来事を一つ一つ書いていきます。
それがいつかどこかでどなたかの役に立つことを願っています。

ヒーローの言葉


小さな頃から、ほどほどに年相応のものが好きだったが今も昔も特定のウルトラマンが大好きで、大人になった今でさえ初恋はウルトラマンだと思っている。

戦隊モノあるあるだが子供向けと一括りにしてしまいがちだがその物語の中には大人が今を生きる子供に訴えかけたいことを作品という媒体をとおして伝えようとしているものが多数ある。
今日、私がここまで生きてきてみて波乱万丈な日々だったが一貫して自分自身を貫けたのは、ウルトラマンの教えや言葉が大きく影響していることは間違いない。
生きることがどれだけ難しくたって、誰かの言葉に救われることがある。
誰かの言葉が、自分の、基盤になることがある。
その誰かが、私にとって
ウルトラマンだった。
今回は、そんなお話。



「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと」
(ウルトラマンAセリフ一部抜粋)

この言葉に出会った時
私は少しだけ優しくなれた気がした。
人生何事も、無駄なことなんてないとは言うが
本当にそうだろうかと、昔から疑念を抱いている。
胸が苦しめられる出来事が多すぎれば、経験しなくてもいいことに思えてしまう。
誰だって傷付いたら次にまた傷つくことが怖くなるし、怖くなるが故に自分を傷つけてくる気配のある相手に敵意を持つ。仕方のないことだが、世の中、そうばっかりでは悲しいものだ。

小学生の頃、私は無慈悲な世間に苦しんだ。
担任からの嫌がらせ、同級生からの嫌がらせが続いた。
今思い返すと私の不登校はここから始まった。
大切な筆箱を壊される、ノートがゴミ箱の中にある。
これだけでも気が滅入るのに、謂れのない罪であやうく盗難事件の犯人に仕立て上げられそうになったこともあった。
度がすぎる行動を止めてくれる大人は、そこに存在しておらず
どんなに声を上げたところで「あなたは同い年の子供よりも心が大人っぽいんだから我慢してね」と担任が我慢を強いた。

当時はうまく自分の言葉で言えなかったけれど
その理不尽さに、なんで?どうしてなの?と素直な疑問を持った。
同い年が集う学年で、大人もへったくれもあったもんじゃない。
それなのに、我慢強い子は受け身にならねばならないのか。
そんなことが、あってたまるか。

元々好奇心と、それに伴う行動力は人一倍持ち合わせていたのもあり
どうして平等ではないのかと担任に再度話をしたが
それが気に入らなかったのだろう。
理科室に閉じ込められ、物音をドカドカ鳴らされ怯えたことを覚えてる。はっきり鮮明に思い出せないのは、それだけ恐怖が勝ったのだと思う。

まだ10歳にもなっていない女児には
理解ができなかった。
憎むこともできない。失望と疑念だけが残った。
人は、こんなにも空っぽで中身のないことをして人を傷つけることができるのか。それが世間では普通なのか。
それはなんでなのか。
わからなかったし、今でもわからない。
不信感と猜疑心は次第に私から、人を信じる強さを奪って行った。
どうにもならなくて拗ねることもしてみたが時間が止まったままになるだけだった。
憎めば楽になれるわけでもなく、何も成せず、傷付いて誰かに敵意を向けることは、もしかしたら傷を背負った成れの果てといえるのではないか?
なら、誰かを許すことでもしかしたら別の生き方にも出会えるのかもしれない。
そうまで思えても、その考えが正しいかどうかは
当時の私にはわからないままだった。

そんな時、あのセリフに出会った。
もともとウルトラマンが大好きで、大人になった今でも観るのだが今も昔も一番好きなのはウルトラマンメビウスである。
私の胸に深々刺さったこの言葉も、本家ウルトラマンエースのセリフとして聞いたわけではなく
エースの世代から何年か経った後のメビウス作品で、「昔エースが地球人に残した言葉だ」と言う流れで聞いた。
初めてこの言葉を聞いた時、静かに涙が溢れた。

優しさを失わないでくれ。
弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえその気持ちが何百回裏切られようと。

…。
もし、この言葉に出会えてなければ人生がどれだけひどく歪んだいたことか。
「人に優しくしなさい」
「誰のことも仲間に入れてあげなさい」
そんなことは、誰だって言える。
だけれど、この言葉はそれだけじゃない。

「何百回裏切られようと」

この言葉を、作中に組み込んだ大人は、子供に本当の優しさを訴えていたのだろう。本気で、酷なことでも優しさの意味を伝えようとしてくれたのだろう。

何百回裏切られようと、誰かと友達になろうとする心を
持ち続けることは
並大抵のことではない。
それでも、誰かを恨むより
何百回裏切られても、裏切られた数より多く人を愛することの方が絶対に大切な選択なのかもしれないと
納得した。

そこから、私の人生は大きく変わった。
何十回、何百回裏切られても
その度に涙を流すことになっても人を信じる気持ちだけは譲らない人生を送り始めた。
他人に期待しているわけでは無い。誰かに手を差し伸べたところで振り払われることなんてよくあることだ。
それでも、幼い心で不平等に苦しんだ時の私のような人に伸ばした手は届くかもしれないならば伸ばし続けるべきなのだ。
小学校卒業してから今日に至るまで
正直、残酷な時間が多かった。時には外国に住む人とのいざこざもあった。
人を信じられなくなるきっかけは、いくらでもあった。
それでも今日まで、自身を不幸だと思ったことはない。
たくさんの想いを経験できて幸せだとすら思える。
寄り添い合うことや、わかり合おうとすることに間違いは無いと
誰もが知るヒーローが、断言して教えてくれた。
人の心に何かを教えたならフィクションはフィクションじゃなくなる。真実となり、現実を変える。
作品は、時にこうやって現実の軸を作る。
大人になっていく今、私もそんな軸をこの世に一つでも残せるよう生きていかねばならないと思うこの頃である。

ありがとう、ウルトラマン。
分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:
2025年12月24日
ドラマの時期:
2007年
6月
--日
文字数:2652

筆者紹介

何者かになりたい20代です。
二人の子供を育てています。

信じる心だけは失わないで生きていこう、その気持ちが何万回裏切られようとも、、、いつしか聞いた言葉を胸に息をしています。
そっと生きる中で出会った出来事を一つ一つ書いていきます。
それがいつかどこかでどなたかの役に立つことを願っています。