約束の白いマフラー

育ての父の育った家に住む人間とはとことん相性が悪かった。否、彼らと上手くすごせるひとがこの世に何人いるというのだろう。
私の母は初めて父の母、すなわち私の祖母と出会った時第一声にこう言われたそうだ。
「あーんたたちなんて、すーぐ別れちゃいますよーだ!」
さらに結婚をしたところで
「嫁を紹介するのは恥ずかしい!」と周囲から隠す、嫁姑問題以前の問題がそこにあったと聞く。
私もいつだったか、祖母にお小遣いをいただいてしまったときにそれを受け取らないでいた。当時は、中学一年生以下かそこらだったが、いつも意地悪でせっかちな祖母が2日に一度は透析をして生きながらえていることを知っていた。だから、バスもタクシーも使うわけでその出費が続くのだから楽なわけがなく
さらに言えば同時期、父方のいとこがいじめの加害者として退学処分になったり、その弟が祖母のカードを盗んだとも聞いていた。
(のちに彼らと血のつながりがないことにどこかホッとした)
そんな状況でもお小遣いをくれようとする祖母の気持ちだけで充分だった。
だから、「病院大変でしょ?通院の時の足しにしてくれた方が嬉しいな」とそのお小遣いを断った。
その時、一瞬、そこに罵声が響いた。

「ったく!可愛くないね!!!!」

呆然とした。
金の無心をするいとこの方が正しいのか?
いやそんなはずはない。でも、今私は確かに、強く、怖い声を聞いた。
祖母のことが、どうも私は好きになれなかった。
その祖母が育てた娘、私の叔母にあたる女も、ヒステリックで人情のない人で
本当に、関わることが苦痛だった。

それでも行かねばならない盆暮正月。
うんざりしながらもいったある日のこと。

私はその時編み物に挑戦していたのだが
上手くできず、手先の器用な祖母に教えてもらおうと思った。どうせ同じ空間にいるのなら、せめて会話をしておかないと気まずさがつらかった。

「おばあちゃん、鍵あみ、おしえてくれる?」

勇気を出して伝えた言葉に、案外祖母は喜んだ顔をした。
孫の中で女1人の私を、可愛がってくれていたことがこういう一面からわかるから、大嫌いになれなかった。可愛いと思ってくれる心に、感謝をしていた。

結果この時私は祖母の主観的な教え方をうまく理解できずに断念したのだが
祖母は自分の編み道具の小箱から、白い毛糸が少し編まれたものを見せてくれた。
(今編み物ができるようになったからわかるが、大体ゆったり2日ほど編んだくらいだった)
なんだろうと見つめていると、祖母はいつになく優しい声で話した。
「今、ふーちゃん(私)にマフラー編んでるからね、まっててね」

嬉しかった。
お金よりも、嬉しいと感じた。
楽しみに待っていようと心を躍らせてお礼を伝えた。

あれから10年以上が経った。
祖母は、目も体も悪くして寝たきりだと聞いている。
両親がこの10年の間に離婚していたり私も私で子供ができたりと時代が進む中、祖母はいじわるをすることもできないほど
衰弱している。

あの時のマフラーは、まだ、もらっていない。

意地悪で、怖くて、何歳になっても息子を親族の前で溺愛し、嫁いびりは日本一な祖母。

しかし祖母も、寝たきりになって
たくさんのことを考えたんだと私は思った。
体が悪いことは知っていたし、それを知ってるはずの父が何もしない姿を見て、大人になってから何度か、会いに行ったが
老け込んだ祖母からは、いろんなことへの後悔が滲み出ていた。
もう時間はもどらない。
祖母の暴言や意地悪はきえない。
だけど、それが何よりの罰だとしたら…。過去を引っ張り出して攻め立てることなんてできない。
今はもう、ただの、体の弱い老人、そのものなのだ。

あの時見せてくれたマフラーは、まだ受け取れていない。
でも、待つつもりである。
わかってる、受け取れないことくらい。
でも、あの時、祖母が見せてくれた編みかけのマフラーには、私を想ってくれた証が刻まれていると思うのだ。
本当は血のつながらない、そして幼少期は心もつながらない祖母と孫だったが
あの約束が嬉しかったことは、真実なのだ。

そろそろ、また祖母に会いに行こうかと考える。
まだまだ寒い。
悲しいことに
もう祖母に会える機会が突然亡くなってもおかしくはない。
だから会いに行こう。
約束のマフラーを待ちながら。
そして、次会いに行く時には私が祖母にマフラーをプレゼントしよう。
「編み物できるようになったよ」って、いうために。

私と祖母を繋いでくれていたのは
マフラーの思い出。
きっと受け取れないマフラーが
祖母の心の悔いにならないことを祈って私は祖母が暖かく過ごせるよう、願いを込めて白い毛糸でマフラーを編む

分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:2026年02月08日
ドラマの時期:
2012年
10月
--日
文字数:2026

筆者紹介

25歳二児の母、ハンドメイドとライティングがお仕事。趣味は音楽や写真、勉強。
実父と実母、継父の3人の親がおります。
鬱病と発達障害を持ち合わせているけどそれなりに元気に生きてます。
何故か多動の人生。
心が折れることもしばしば。
でも、生きてるなら、大丈夫。

約束の白いマフラー

育ての父の育った家に住む人間とはとことん相性が悪かった。否、彼らと上手くすごせるひとがこの世に何人いるというのだろう。
私の母は初めて父の母、すなわち私の祖母と出会った時第一声にこう言われたそうだ。
「あーんたたちなんて、すーぐ別れちゃいますよーだ!」
さらに結婚をしたところで
「嫁を紹介するのは恥ずかしい!」と周囲から隠す、嫁姑問題以前の問題がそこにあったと聞く。
私もいつだったか、祖母にお小遣いをいただいてしまったときにそれを受け取らないでいた。当時は、中学一年生以下かそこらだったが、いつも意地悪でせっかちな祖母が2日に一度は透析をして生きながらえていることを知っていた。だから、バスもタクシーも使うわけでその出費が続くのだから楽なわけがなく
さらに言えば同時期、父方のいとこがいじめの加害者として退学処分になったり、その弟が祖母のカードを盗んだとも聞いていた。
(のちに彼らと血のつながりがないことにどこかホッとした)
そんな状況でもお小遣いをくれようとする祖母の気持ちだけで充分だった。
だから、「病院大変でしょ?通院の時の足しにしてくれた方が嬉しいな」とそのお小遣いを断った。
その時、一瞬、そこに罵声が響いた。

「ったく!可愛くないね!!!!」
呆然とした。
金の無心をするいとこの方が正しいのか?
いやそんなはずはない。でも、今私は確かに、強く、怖い声を聞いた。
祖母のことが、どうも私は好きになれなかった。
その祖母が育てた娘、私の叔母にあたる女も、ヒステリックで人情のない人で
本当に、関わることが苦痛だった。

それでも行かねばならない盆暮正月。
うんざりしながらもいったある日のこと。

私はその時編み物に挑戦していたのだが
上手くできず、手先の器用な祖母に教えてもらおうと思った。どうせ同じ空間にいるのなら、せめて会話をしておかないと気まずさがつらかった。

「おばあちゃん、鍵あみ、おしえてくれる?」

勇気を出して伝えた言葉に、案外祖母は喜んだ顔をした。
孫の中で女1人の私を、可愛がってくれていたことがこういう一面からわかるから、大嫌いになれなかった。可愛いと思ってくれる心に、感謝をしていた。

結果この時私は祖母の主観的な教え方をうまく理解できずに断念したのだが
祖母は自分の編み道具の小箱から、白い毛糸が少し編まれたものを見せてくれた。
(今編み物ができるようになったからわかるが、大体ゆったり2日ほど編んだくらいだった)
なんだろうと見つめていると、祖母はいつになく優しい声で話した。
「今、ふーちゃん(私)にマフラー編んでるからね、まっててね」

嬉しかった。
お金よりも、嬉しいと感じた。
楽しみに待っていようと心を躍らせてお礼を伝えた。
あれから10年以上が経った。
祖母は、目も体も悪くして寝たきりだと聞いている。
両親がこの10年の間に離婚していたり私も私で子供ができたりと時代が進む中、祖母はいじわるをすることもできないほど
衰弱している。

あの時のマフラーは、まだ、もらっていない。

意地悪で、怖くて、何歳になっても息子を親族の前で溺愛し、嫁いびりは日本一な祖母。

しかし祖母も、寝たきりになって
たくさんのことを考えたんだと私は思った。
体が悪いことは知っていたし、それを知ってるはずの父が何もしない姿を見て、大人になってから何度か、会いに行ったが
老け込んだ祖母からは、いろんなことへの後悔が滲み出ていた。
もう時間はもどらない。
祖母の暴言や意地悪はきえない。
だけど、それが何よりの罰だとしたら…。過去を引っ張り出して攻め立てることなんてできない。
今はもう、ただの、体の弱い老人、そのものなのだ。

あの時見せてくれたマフラーは、まだ受け取れていない。
でも、待つつもりである。
わかってる、受け取れないことくらい。
でも、あの時、祖母が見せてくれた編みかけのマフラーには、私を想ってくれた証が刻まれていると思うのだ。
本当は血のつながらない、そして幼少期は心もつながらない祖母と孫だったが
あの約束が嬉しかったことは、真実なのだ。

そろそろ、また祖母に会いに行こうかと考える。
まだまだ寒い。
悲しいことに
もう祖母に会える機会が突然亡くなってもおかしくはない。
だから会いに行こう。
約束のマフラーを待ちながら。
そして、次会いに行く時には私が祖母にマフラーをプレゼントしよう。
「編み物できるようになったよ」って、いうために。

私と祖母を繋いでくれていたのは
マフラーの思い出。
きっと受け取れないマフラーが
祖母の心の悔いにならないことを祈って私は祖母が暖かく過ごせるよう、願いを込めて白い毛糸でマフラーを編む
分類不能の職業
投稿時の年齢:25
新潟
投稿日時:
2026年02月08日
ドラマの時期:
2012年
10月
--日
文字数:2026

筆者紹介

25歳二児の母、ハンドメイドとライティングがお仕事。趣味は音楽や写真、勉強。
実父と実母、継父の3人の親がおります。
鬱病と発達障害を持ち合わせているけどそれなりに元気に生きてます。
何故か多動の人生。
心が折れることもしばしば。
でも、生きてるなら、大丈夫。