散った命が願った平和
既に離婚しているが、初めての結婚は国際結婚だった。
相手は中国人である。
そして私は母方の曽祖父がアメリカ人である。
どの国も、世界大戦で互いに銃を突きつけた時代を持っている。
この記事を書くにあたり
先に述べておこう。
戦争というものにおいて
何が悪い、誰が悪い、どの国が悪い、ということは例え事実がどうであれ今生きている我々が一個人で野次を飛ばしていいものではなく
何が悪かろうと、誰が悪かろうと、どこの国が悪かろうと
時代の渦に呑まれ武器を持つ以外の選択肢がないまま、国のためにと散っていった命の価値に対し善悪なんてつけてはいけない。
その命に手向けるべきは、平和な時代であるべきであり
国籍での差別や、体験してもない悲惨な歴史を盾に現代人がとやかく言い合うなんてのは以ての外である。
以上を念頭に読み進めていただきたい。
そもそも私は言語に興味があった。
中国語に興味を持ったのは中学生のころ、オンラインで知り合った日本語の流暢な同い年の中国人少年に生涯忘れないほど感動した中国の現代詩を訳してもらい読んだことがきっかけだった。
中国語を学んでる私は、昔から母からよくこんな話をきいていた。
私の母方の曾祖父母は世界大戦中〜戦後あたりにかけて
朝鮮人や中国人を匿っていたという。
人伝えであり、時代も古いことから正確なことは定かではないが
近所に外国人を匿ってることがバレてしまえば無事では済まされない状況でも匿い続けたらしい。
匿われたほとんどが、幼い子供とその母親だったそうだ。
言葉が通じるわけでもない。意思疎通は大変だったに違いないが
できる限りを尽くし敵意がないことを伝え、納屋や離れに住まわせ、食事を運んでいた。
しかし匿われた側もきっと自分たちがこのまま守られ続ければ守っている人の命が危ういと思ったようで
ある日、忽然と居なくなることがほとんどだったらしい。
拙い、日本語の置き手紙には辛うじて読める礼の言葉が書かれていたそうだ。
そもそも曽祖父は戦地でも敵兵が死にかけていれば助けていたようなひとで
その妻である曾祖母もまた、肝の据わった、愛情深い人だった。私が産まれる前に、曽祖父は亡くなっているため会うことは叶わなかったが、命の重みを知り、危険な橋を渡ってでも夫と他国の人間を助けた経験を持つ曾祖母は本当に温かい人で
私が17歳の頃亡くなった。優しい顔で旅立ったことを今も鮮明に思い出せる。
言語を学び、その中で挫けそうな時はよく曾祖父母のことを思い出していた。
きっと亡き曾祖父母含め、その時代を生きた人々は、平和を願っていたはずだ。
武器を持ち戦う兵士たちも、平和を願っていたのだろう。
ならば今現代に生きる自分がやるべきことは互いを理解し合うために生きること、学ぶことだと確信していた。
そのために、言語を学んだ。
誰かの言葉を直接理解したい。いつの日か散った命がまた生まれてきたいと思える世界をつくるための小さな小さな1歩になりたい。
そう願って、言語を学んでいた。
求めるべきは、平和だと。
思っていた。
が、そうではなかったのが当時の夫である。
今尚、日本が中国に酷いことをしたのだからと
兵士になったことも捕虜になったこともない彼が、自身を被害者だと言った。
日本の非礼を、詫びるべきであり
日本兵の子孫は戦地で散った命の仏壇や墓に弔いの気持ちを持つのはおかしい、中国をバカにする行為であると、言い切った。
野蛮である。
愛国心というものをどこか勘違いしている。
非常に
ガッカリした。その気持ちは時々今も思い出す。
日本のアニメがきっかけで日本に興味を抱いた男は、自身の好みに合う部分だけを切り取り、日本好きを名乗っていた。
そこには、他国への敬意も、尊重もない、わがままな趣味以外何もない軽薄な「日本への愛」があった。
騒動のきっかけはもうあやふやだが
ある日私は第二子を妊娠して安定期に入った頃、終戦記念日のニュースだったかを見たことで男は「これどう思う?」と聞いてきた気がする。
終戦記念日に、どうおもう?なんて質問にどう答えればいいか、質問の意図がわからないまま正直に答えた。
「どの国が悪いとかそんなことを言い争うことを望んで欲しくて国に命を捧げた人はいないと思うから、平和な世を作っていかなきゃって思うよ」
特別に言葉を選んだわけでもない。
正直な、普通の言葉を言った。
それが男の気に障るなんて、誰が予想できるだろう?
「つまり、日本も可哀想ってことデスカ?中国人を日本人がたくさん殺したヨ!?日本は愚国だ!」
耳を疑った、同時に、頭が真っ白になった。
何を言ってるんだと。
突如ひたすら続く国へのヘイトはとまらない。
だが、この時一瞬で離婚を決意できた。
私の曽祖父のことも、曽祖母のことも知っているこの男が…二カ国の血を持つ我が子の父であるこの男が、戦地で散った命に良し悪し言っている姿に呆れた。
経験すらしたことのない戦争を
あたかも我ごとのように語るこういう男を
散った命たちは、どう思うだろうか。
長男を産んだ時、私は胸の中で誓っていた。
必ず、国を憎まず人を愛せる子供に育てようと。そして人を許すことの幸せのわかる子に育てようと。
しかしこの男がいてはそんなの夢のまた夢。
仮に我が子が優しく育ったとして、この男に傷つけられる日が来る気がした。
妊娠5ヶ月。
お腹の子をカウントすれば二人の子供がいる身。
そして当時は仕事もできないでいる身。
車も持っていない、免許もない。
子供に苦労をさせる可能性の大きさなんてのは一番わかっていたが
そんなもの、一時的な問題に過ぎない。どんな手を使ってでも、泥を啜ってでも私は子供を手放さないで愛し抜ける。
そう思い、男に出ていくよう促した。
いや、トランクに勝手に物を詰め、追い出した。
中国人だとか日本人だとかなんて話じゃない。
「憎しみを正しいと思い亡き命を侮辱する人は、人ではない」
後のことなんて考えてなかったけれど
ここで思い切らずに生きていくより幸せになる自信だけはあった。何かを憎む人間と、笑い合える日なんて来ない。
その日から私は妊婦のシングルマザーとなった。
目まぐるしい日々だったが一度たりとも自分の決断を後悔はしなかった。
私が追い出した男は仮にも父親だというのに、見せしめなのか意地悪のつもりなのか、気がついたら母国に逃亡。
養育費なんて払わない。男は、捨ててはならないなにかを、捨てたことにはきっとまだ、気がついてすらいないだろう。
一矢報いることも、考えたが
そんなものはいつか天罰を神が下すだろうと思ってやめた。
男を追い出してほぼ半年後、私は免許も車もある環境を作り入院準備を息子とドライブがてらコツコツはじめて
春の桜がまだ顔を出さないけれど、椿の花は咲き誇る季節に第二子を出産した。
可愛い可愛い女の子が生まれた。
こうやって、時間は流れていく…新しい命は続いてく。
元気に泣いて初めてこの世の空気に触れた我が子の姿はこれからを生きる力に溢れているように見えた。
これからを、生きていく力。
それはどんなものか。
これから、とはどんな未来なのか。
その答えは一人一人きっと違うだろうけど
許し合うことが不正解だとは、私は思えない。
どうか人と人が助け合い、許しあい、笑い合う平和な世が自分たちの命の先に続きますようにと
戦地に散った命は願ったのではないだろうかと思う。
時々、遺書をメディアで拝見しても、憎しみあうことを望んだものを私は見つけていない。
どの国の、どの兵士にも
家族がいて、愛する人がいたはずで、戦争さえ起こらなければ続いた将来もあったのだ。
それら全てを投げ打って、国に命を捧げた者は
どの国の兵士であれ、現代を生きる我々がヤジを飛ばしていい相手じゃない。
どの国の兵士にも敬意を払い、これからの世を明るく切り開くのが我々の使命である。
少なくとも
私は、そう思う。
優しくありなさい、許せる人でありなさい。敬意を忘れず生きなさい。
当たり前のことだけど、とても大切なことである。
いつか子供達が成長した時、きちんと話そう。
曽祖父母の話も、この世の歴史も。
現代を生きる我々の、進むべきやさしい道も。
アメリカ、中国、日本の血を持つ我が子の、母として。
2度と悲しみが生まれぬよう、私にできるちいさな争いを続けていこう。
25歳二児の母、ハンドメイドとライティングがお仕事。趣味は音楽や写真、勉強。
実父と実母、継父の3人の親がおります。
鬱病と発達障害を持ち合わせているけどそれなりに元気に生きてます。
何故か多動の人生。
心が折れることもしばしば。
でも、生きてるなら、大丈夫。
散った命が願った平和