人生を変えた海外旅行
就職活動も終わり卒業論文以外の単位を取り終えた私は、卒業までを東南アジアに旅行へいくことを決めていました。社会人になり忙しくなる前に海外で生活してみたいと思うようになっていたわけですが、「運よく人生の目標が見つかる、なんてことがあればいいな」という甘い気持ちもこめていました。
就職氷河期に内定をいただいてはいましたが、あと半年で社会人になるということに漫然とした不安があり、何か行動しておきたいという気持ちに押され一人旅をスタートしました。
最初の国、ラオスについた私は慣れないタイ語を使い、首都のヴィエンチャンに向かいました。そこで私が感じたのは、ただただその日を一生懸命に生きる人々の姿でした。必死に生きているわけではなく、その日をただ楽しみ、一生懸命に働き、笑っていきるラオスの人々。私が知っている日本の社会人からは一度も感じたこともない人生を謳歌している人達の生き方でした。
その後、東南アジアをベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーと陸路で旅行を続けていきましたが、どの国にも共通しているのが「毎日を一生懸命に生きる」という生き方でした。特に私が大きな衝撃を感じた経験が、お金に対する考え方の違いです。
当時の私は、お金はある方が当然良くて貯金は多い方が当然良いと思っていました。20年近く経った今もそう思っています。しかし、彼らはお金よりも人の繋がりを大事にしていました。他の観光客とは違い全くお金を持っていなさそうな貧乏学生の私に、食事や宿を提供していくれる人もいました。地元の人に呼ばれ、タイ語も英語も分からないのに楽しそうに話しかけてくれる人達に、「こんな風に生きていける国もあるんだ!」と思うようになりました。
そう、私が旅行をスタートする前に感じていた「運よく人生の目標が見つかる、なんてことがあればいいな」という甘い考えが成就した旅行になったのです!
日本に帰ってからもこんな気持ちを大事にしていきたい、そう思っていた時に事件が起きました。
2001年9月11日アメリカで同時多発テロ事件が起きました。
当時、帰国する便の手配をしている最中にミャンマーでTV放送があり、この事件を知りました。沢山の人が亡くなったという報道にミャンマーの人も悲しみ、何かできることがないのかと話す人もいました。
当時の私は事件の大きさに実感がなく、ただ遠くの国で大変な事件があったという気持ちでいました。そしてそのまま、日本へ帰国する飛行機に乗りました。
飛行機の中でも同様の報道がひっきりなしに流れていました。そこで、ずっと引っかかっている気持ちがフッと形になった瞬間を今でも覚えています。
「一生懸命生きよう」
東南アジアの人達に憧れながらも、日本ではあんな風に生きられないと諦めを感じていた私でしたが、ワールドトレードセンターの事件を見た時、私の祖父が教えてくれた言葉を思い出しました。
「人は生まれた時泣いているけれど、周りは笑ってくれる。だから、死ぬ時は笑って、周りは泣いてくれる生き方をしなさい」
東南アジアで会ったあの人達は、きっと最後は笑って、きっと大勢の人が泣いてくれる人生になると思います。先進国に住んでいるからといっても、どんな事が起きるか分からない。それなら、一生懸命生きてその時が来たら笑っていられるようにしたい!
そう心に決めた瞬間でした。
あの年から20年以上が経った今でも、時々当時の写真を見返しては気持ちを思い出すようにしています。
色々なものに興味があり、取組みたいと思う性格です。
人生を変えた海外旅行