社会経験を積んできたからこそ分かる学歴の大事さ
私は不幸とまでは感じていないものの育った家庭が不和で、学業で大事な高校在学時にいよいよ家庭は行き詰まり、私が高校3年のときに両親は離婚しました。
それまで何となく「大学に行く」ことが当たり前だと思っていたのですが、共通一次試験は受けたものの、2次試験へ行く費用すらありませんでした。私と妹2人を引き取った母の暮らしは厳しいものがあり、「働かない浪人生」でいることは許されませんでした。
ホテルでボーイとして働き、次の受験シーズンのころには諦めの心境と、それでも見栄をはってしまう下らない意地との狭間で揺れ動き、ホテルでの社員登用のお誘いも断って無職になりました。それから職を変えながら平成3年から税理士事務所で働きはじめ、今でも自分のアピールポイントである経理・税務の知識を身につけました。
あれから30年以上過ぎ、それなりに難しい仕事をこなしていても、大学進学を諦めたからこそ思えることがあります。よくネットなどで「学歴」について論争しているのを目にします。否定派からは「会社の新人が※※大学を卒業したのに仕事が出来ない」といった、ごく一部の事例で全てを否定するような視野の狭い意見が多いのですが、私から見れば呆れてしまうばかりです。
低い位置からスタートし何とかここまで辿り着いた私から言わせると、今の日本では高卒だとかなり不利なスタート地点から社会人生活を始めることは事実で、学歴を一部の事例で否定することは僻みに他なりません。
高い位置からスタート出来たら、下では経験できないことも多く、同じだけ努力しても身につくスキルには大きな差が出てしまいます。
下から這い上がってきたからこそ確信している現実です。別に悔やんでもいませんし、成り行きに身を任せてしまった結果なので、単なる真実を言っているに過ぎません。
そんな貴重な立場を少しの悩みで捨てようと思っている若い子がいたのなら、体験すら出来なかったオジサンとして「もう少し考えてみよう」と声をかけてあげたいと思っています。もちろんそんな機会はないのでしょうが、未来あるであろう若い子たちには、しなくて良い苦労は味あわせたくないのです。
ひねくれ者と言われることの多いオッサンですが、見方に関しては自信があります。って言うことも勘違いかもしれませんが、今を一生懸命に生きています。
社会経験を積んできたからこそ分かる学歴の大事さ