「人は信じてはいけない」と教えてくれた初恋の人
全ての人が初恋を経験するわけではないことに驚きを感じますが、私の知っている範疇では誰もが遅かれ早かれ初恋を経験しています。
私の初恋は幼稚園の年長さんの頃で、人と比べ早かったのかどうか比較したこともありません。もうかなり昔のことなので初恋の子の名前も顔すらも思い出せませんが、これはトラウマが記憶を消している・・・かもしれません。
幼稚園には3年間通いました。思い出してみても覚えている記憶と言えば、尿意を我慢できずにお漏らしした記憶や、金魚の絵を描いてその出来栄えが人と違い過ぎるが故の嘲笑など、楽しかった記憶はありません。
そんな幼稚園時代の最後の年に好きになった子がいました。成人式を迎えるころまでは覚えていたような気がしますが、今ではまるで思い出せません。
幼稚園の同じクラスには下の名前が私と同じ男の子がいて、今は仮に私とその子を「太郎くん」としておきます。
ある日の帰りの時間になって初恋の子が泣いていて、担任のオバサンが事情を聞いている風な感じでした。心配しながらその様子を見ていたのですが、担任のオバサンが「太郎くんが帽子を引っ張ったせいで首が苦しくなったようです」と言ったので、幼稚園児だった私は「あの太郎がやりやがった」と、妙な正義感が沸き上がった・・・ような気がします。
そしてオバサンが初恋の子に犯人が誰かを聞くと、その子は私を指さしました。
そこからの記憶は残っておりません。
これが生まれて初めての「濡れ衣」というやつです。よりによって好きだった子が私を犯人にするとは、幼稚園児には回避のしようがないシチュエーションです。
その後、初恋の子は私とは別の小学校へ行きどうなったかは知りません。私が人から「ちょっと変かも」と思われるきっかけは”あれ”だったのかもしれません。
善意の気持ちで考えるなら、初恋の子の帽子を引張った男子は私でも別の太郎くんでもなかったかもしれません。
しかし人の気持ちが理解できるようになればなるほど「安易に人を信用してはいけない」という事実に気付くわけで、初恋の子が今の自分のために教えてくれた・・・わけはありません。今も心の奥底に残るキズの話でした。
ひねくれ者と言われることの多いオッサンですが、見方に関しては自信があります。って言うことも勘違いかもしれませんが、今を一生懸命に生きています。
「人は信じてはいけない」と教えてくれた初恋の人