新しい場所、15歳で社会に出た環境での現実逃避
知らない場所、知らない人、知らないルール。
今の自分から思えば「なにも感じる事すら出来ない」、そんな子供だったから、あの環境に順応する事が出来たのではないだろうか。
現実世界で現実逃避していた中学時代。
でも、社会に出てからも、その現実逃避はもう少し続いた。
会社は、今でいう派遣会社、三重県の車メーカ―工場に派遣される人たち。
当時は「派遣工」とか「外注」とかいわれていた。
住んだ場所は、雇ってもらった派遣会社の社宅、社宅といってもマンションの1階にある3DKの普通の部屋、そこには、既に当時30歳前後の菅野さん(男性仮名)が住んでいた。
菅野さんは、会社ではリーダー的な人で、何もしらない私になにかと世話をしてくれた優しい人。
繰り返しだが、当時本当に私は人に何かをしてもらって感謝するとか、あまり考えない子供だった。
朝食を作ってもらっても、夕食を作ってもらっても「もうしわけない」とかすら感じなかった。
又、菅野さんは仲間が多く、頻繁にバーベキューなど行っており、私もつれて行かれたが、「楽しい」、「美味しい」など、たいした反応もしなかったので、今思えば本当に面白味のない、かわいげのない、そっけない子供に見えた事だろう。
菅野さんの仲間は、私の事情をどれくらい聞いていたかは知らないが、それなりに親切にせっしてくれた気がする。
ある時、給料日までの生活を心配してくれ「お金はどれくらいあるのか?」と聞いてきた。
素直に5000円と答えると、それはさすがに足りないだろうといわれたが、なんとなく恥ずかしく感じたのを覚えている。
その後、母親に「2万円送って」と手紙を送り、直ぐにお金は送られてきた。
推測でしかないが、今思えばこの2万、人から借りたか、消費者金融から都合したのではないだろうか。
もし、もっと考える事が出来て、申し訳ないとか、恥ずかしいとか、惨めとか、そういう気持ちがもてたなら、自分の惨めな状況に精神がもたず、耐えきれなかったかもしれない。
当時はまだ、現実世界で現実逃避して、感じないふりをしていた。
こんにちは
育った場所は岩手県盛岡市。
家庭環境はお世辞にも良いとは言えませんでしたが、色々と人生を積み重ねて今は幸せに過ごしてます。
去年、会社を退職後、楽しむ人生を過ごすて行くために模索中です。
趣味:
読書(漫画、小説、なんでもござれ)、アニメ鑑賞、ゲーム、旅行、料理
性格:
周りの人からは悩みなんか無さそうと思われてますが、実際は神経質です。
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