父のあの世への旅立ちを笑って送り出した思い

私もすっかり中年になり、考えてみれば今まで生きてきた年月より、これから生きられる年月の方が短くなってしまいました。そんなことを思うと22年前に亡くなった父親のことを思い出します。
私が高校3年のとき両親は離婚して、兄弟は母親のもとで暮らしていました。一人になった父はというと、その後千葉県の田舎の方へ行って生活していたのですが、もともと体が弱かったせいもあり入退院を繰り返していて、私も何度か病院に呼び出されました。私が長男だからです。

何度か行った病院では「退院できたら長男として引き取ってください」と言われていて、考え抜いた末面倒を見ることにしました。その打ち合わせのために千葉の病院へ行く日の朝、私が行くことを告げられた父は体調が急変し危篤状態になったそうです。
これは想像なのですが、プライドが高かった父は捨てたも同然の私に面倒を見られるのが嫌だったのだと思います。わざわざ千葉まで出向きやることもなく帰ってきました。
それから数か月経ったある日の夕方、帰りの車を運転していたところに千葉の病院から電話が掛かってきて「いまお父さんが危険な状態です。あっちょっと待ってください・・・今死亡が確認されました」と言われ、一瞬事態が理解できませんでしたが父が死んだのです。
急だったものの翌日に妹たちと千葉へ向かい、様々な手続きをしながらほとんど誰も来ないであろう簡単な通夜の準備をしました。通夜の手配は父が千葉で交友のあった方が手配してくれたので、大変助かりました。
通夜の夜にいたのは私と妹2人、そして千葉に住んでいた父の兄と鎌倉に住んでいた父の姉の5人だけでした。それ以前から入退院を繰り返していたことから、いつかはこんな日が来ることを皆考えていたと思います。
その夜は一切しんみりすることはなく、叔父や叔母も父の若いころの思い出話を笑いながら話してくれて、私たちも笑いながらそれを聞いていました。それも大いに飲みながらです。不謹慎かもしれませんが楽しい夜でしたし、きっと父も喜んでくれたと思っています。
「通夜」とは一晩中明かりを絶やさないため誰かが起きていなければならないものですが、大酒飲んで笑って話しているうち、私も妹たちも叔父も叔母も爆睡してしまいました。
起きたとき「しまった!」と思ったのですが、そこは簡単には消えない蝋燭や線香が用意されていて葬儀屋さんには感謝です。無事に終わったとは言い難いかもしれませんが、通夜を終え翌日には荼毘にふし、骨となった父を引き取ったのです。

あれから22年です。身内以外が入ってしまうと「葬式らしくしんみりしなければ」という思いも働くのでしょうが、そんな遠慮も必要はありませんでした。5人が思い思いに父を語り楽しく送ったあの夜は忘れられません。
その後親戚とも疎遠になってしまい、叔父が亡くなったという話は耳に入りましたが、叔父の葬儀に行くこともなく「楽しい葬儀だっただろうか」と時折思うだけです。
いずれ私が旅立つときには楽しく送ってもらいたい。それだけを願っています。

事務従事者
投稿時の年齢:52
北海道
投稿日時:2022年04月01日
ドラマの時期:
2000年
4月
--日
文字数:1271

筆者紹介

ひねくれ者と言われることの多いオッサンですが、見方に関しては自信があります。って言うことも勘違いかもしれませんが、今を一生懸命に生きています。

父のあの世への旅立ちを笑って送り出した思い

私もすっかり中年になり、考えてみれば今まで生きてきた年月より、これから生きられる年月の方が短くなってしまいました。そんなことを思うと22年前に亡くなった父親のことを思い出します。
私が高校3年のとき両親は離婚して、兄弟は母親のもとで暮らしていました。一人になった父はというと、その後千葉県の田舎の方へ行って生活していたのですが、もともと体が弱かったせいもあり入退院を繰り返していて、私も何度か病院に呼び出されました。私が長男だからです。
何度か行った病院では「退院できたら長男として引き取ってください」と言われていて、考え抜いた末面倒を見ることにしました。その打ち合わせのために千葉の病院へ行く日の朝、私が行くことを告げられた父は体調が急変し危篤状態になったそうです。
これは想像なのですが、プライドが高かった父は捨てたも同然の私に面倒を見られるのが嫌だったのだと思います。わざわざ千葉まで出向きやることもなく帰ってきました。
それから数か月経ったある日の夕方、帰りの車を運転していたところに千葉の病院から電話が掛かってきて「いまお父さんが危険な状態です。あっちょっと待ってください・・・今死亡が確認されました」と言われ、一瞬事態が理解できませんでしたが父が死んだのです。
急だったものの翌日に妹たちと千葉へ向かい、様々な手続きをしながらほとんど誰も来ないであろう簡単な通夜の準備をしました。通夜の手配は父が千葉で交友のあった方が手配してくれたので、大変助かりました。
通夜の夜にいたのは私と妹2人、そして千葉に住んでいた父の兄と鎌倉に住んでいた父の姉の5人だけでした。それ以前から入退院を繰り返していたことから、いつかはこんな日が来ることを皆考えていたと思います。
その夜は一切しんみりすることはなく、叔父や叔母も父の若いころの思い出話を笑いながら話してくれて、私たちも笑いながらそれを聞いていました。それも大いに飲みながらです。不謹慎かもしれませんが楽しい夜でしたし、きっと父も喜んでくれたと思っています。
「通夜」とは一晩中明かりを絶やさないため誰かが起きていなければならないものですが、大酒飲んで笑って話しているうち、私も妹たちも叔父も叔母も爆睡してしまいました。
起きたとき「しまった!」と思ったのですが、そこは簡単には消えない蝋燭や線香が用意されていて葬儀屋さんには感謝です。無事に終わったとは言い難いかもしれませんが、通夜を終え翌日には荼毘にふし、骨となった父を引き取ったのです。
あれから22年です。身内以外が入ってしまうと「葬式らしくしんみりしなければ」という思いも働くのでしょうが、そんな遠慮も必要はありませんでした。5人が思い思いに父を語り楽しく送ったあの夜は忘れられません。
その後親戚とも疎遠になってしまい、叔父が亡くなったという話は耳に入りましたが、叔父の葬儀に行くこともなく「楽しい葬儀だっただろうか」と時折思うだけです。
いずれ私が旅立つときには楽しく送ってもらいたい。それだけを願っています。
事務従事者
投稿時の年齢:52
北海道
投稿日時:
2022年04月01日
ドラマの時期:
2000年
4月
--日
文字数:1271

筆者紹介

ひねくれ者と言われることの多いオッサンですが、見方に関しては自信があります。って言うことも勘違いかもしれませんが、今を一生懸命に生きています。