やかんのお湯が教えてくれた思いやりと優しさ

 高校1年生の8月、汗が吹き出る猛暑のフィリピンに降り立った。なぜ私がフィリピンに行くことになったのか。それは、在籍していた高校がフィリピンにある姉妹校への短期留学生を募集していたからだ。留学中は、現地の生徒に混じって数週間ほど授業を受け、異文化を肌で触れることになる。異国への興味や好奇心から応募してみたところ、無事にフィリピン行きのチケットを手に入れた。
 ちなみに留学前は「フィリピン」と聞くと、貧しい・暗いという発展途上国のイメージがあった。社会科の時間にビデオで見た、ストリートチルドレンやゴミの山の印象が強かったからだと思う。インフラも整っていないだろうという偏見からか、留学することは内心不安な部分も大きかった。
だが、その不安のほとんどは、ほどなく払拭されることになる。これはお世話になったホームステイ先での生活に初っ端から溶け込めたからだ。実は、留学中の生徒の安全は高校側で考慮されており、現地の滞在先は姉妹校に通うフィリピン人生徒の家となっていた。つまり、フィリピン滞在中はホームステイ先から学校に通い、衣食住もホストファミリーと共に過ごす生活となる。
空港に到着後、私を含めた留学生数人は、車で市街地の裏通りに連れて行かれた。そしてホストファミリーの家があると思しき住宅街を突き進んだ。住宅の多くはグレーを基調としており、かなり密集している様子だ。旅の疲れもあってか、ホームステイ先の家も第一印象はやや無機質に感じられた。
 ところが一転、家の外観からは想像もつかないとても陽気なホストファミリーが私たちを温かく迎え入れてくれた。7人の大家族で、小さな家に皆でぎゅうぎゅうと楽しく賑やかに暮らしていた。思えば、滞在中はフィリピンの家庭料理やスナックをこれでもかというくらい振る舞ってくれたり、フィリピンの伝統的なゲームを教えてくれたり、日本について積極的に質問してくれた。初日から日本ではあり得ないほどの熱烈な歓迎を受け、異文化交流の出だしは完璧そのものだった。
 だが、そんな浮き立つ気持ちをよそに、払拭されない一つの懸念が頭の片隅にこびりついていた。それがお風呂の問題だ。この留学プログラムに以前参加した姉の話によると、フィリピンはシャワーがなくお湯も出ないため、冷たい水で体を洗うことになったそうだ。留学のチケットは、応募者の中から面接や小論文によって振るいに落とされた末に手に入れたもの。留学が決まった瞬間は期待に胸を膨らませていた反面、「2週間も水浴びをしなければいけないのか・・・」と憂鬱な気分が混じっていたことを覚えている。

 そしてあの忘れもしない出来事は、滞在初日の夜にやってきた。歓迎会の終盤にカードゲームやおしゃべりを楽しんでいると、いよいよお風呂に入って寝床につくムードに。不安な気持ちが先走り、先にこそっと風呂場を確認することにした。風呂場は三階にあったので、足早に階段を駆け上がる。ドアを開いて風呂場を覗いてみると、見渡す必要もない狭い空間が視野を埋めた。
一人の大人がやっと入れるほどの、まるで電話ボックスのような小さなスペースを、薄暗い灰色の壁と、劣化が進んだ白いタイルの床が覆っている。牢獄のような小窓が申し訳程度に付いているものの、あとは壁から蛇口が一つだけぽつりと突き出ているのみ。なお、蛇口には温度調整機能が付いていないことに気づく。ただひねって温度不明の水を出すという単純な作りのようだ。そんな簡素な場所に、大きな赤いバケツと青い椅子が頼りなく置いてある。これが噂に聞いていたフィリピン式バスルーム。原始的な有様を目の前に、私はただ呆然と突っ立ってしまっていた。
 後々聞いた話だが、フィリピンは一年中暑い気候なので、体を冷やすために軽く水浴びをするくらいがちょうどいいそうだ。実家のお風呂といえば、私にとっては温かい湯船につかることができる至福のリラックスタイムの場。留学中はそれが冷水を浴びる苦痛の場所に変わってしまったことを意味しているようだった。先ほどの歓迎会で高揚していた気分はどこかへ飛んでいき、旅の疲れが再び身体にどっと押し寄せる。
 お風呂の一番手はどうやらホストシスターのようだ。自分の番をビクビクしながら待ち構えている私とは打って変わって、なんともないようなそぶりで、鼻歌を歌いながらお風呂を済ませてしまった。これこそが異文化交流か。心細さと諦めの境地のはざまで、学校の留学プログラムの狙い通りの体験が出来ていることを、妙に冷静な視点で分析していた。そしてついに、私がお風呂に入る番がやってきた。緊張からか、支度の足取りが重く、タオルを持っている感覚まで鈍くなっていた。
 「さあ、意を決して入るか・・・」と覚悟を決めたときだった。何やらホストブラザーがお風呂場を行ったり来たりしている様子が目に入る。しかもその手には小さなバケツ。「何をしているのだろうか?」と気になって彼について行ってみた。
すると、衝撃の現場を目撃する。なんと一階のキッチンのやかんでお湯を沸かし、そのお湯を小さなバケツに注ぎ、三階にあるお風呂場まで運んでいた。手にしている小さなバケツ一杯分にも満たない小型のやかんで、何度も何度もお湯を沸かし、階段を何往復もしてお風呂場の大きなバケツに移している。
「何をしているの?!」私はびっくりし、すっかり親しくなったホストシスターに尋ねた。すると彼女は、「日本人はお湯で体を洗うと聞いていたから、あなたたちのためにお湯を準備しているのよ。」と照れくさそうに笑いながら教えてくれた。
 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。わざわざ私たち日本人留学生のために、どうにかしてお湯を用意しようと考えてくれたこと。そして、体を洗うことができるほどのお湯を準備するという、大変な作業を私たちには黙ってやってくれていたこと。そんな驚きと感謝で、しばらくは唖然としてしまった。びっくりしている私たちを見て、ホストシスターは笑いながら「早く早く!」と私をお風呂場に押し込んだ。

 その時のお風呂の時間は、今でも忘れられない。ホストブラザーが何往復もして運んでくれたお湯が、熱い湯気を出しながら大きなバケツの中にたっぷりと入っていた。なるべくこぼれないように、桶でゆっくりすくいながら浴びるそのお湯は、旅で疲弊した身体を包んだ。ホストファミリーの優しさに触れているようだった。
 もちろんこのフィリピンでの短期留学で、もっと華やかで目立つような思い出はたくさんある。しかし、この写真に残せないような、一言で言い表せないような「やかんのお湯が教えてくれた優しさ」が、10年以上経った今でも強烈に心に残っている。あの時のお湯は、その温度だけでは計り知れないほどの温かさがあった。
  社会科の時間では学べなかったフィリピンでのリアルな経験を通し、当時の私の価値観は大きく変化した。なぜなら、ホストファミリーがとても大切なことを教えてくれたからだ。
まず困っている人がいたら、ためらわずに手を差し伸べること。そしてその課題を解決するために、力の限り行動する姿勢が大切だということだ。手を差し出す前に、「うまく助けられるかな」や「断られるかな」と考える必要はない。まずは他者に共感し寄り添い、「一人ではないよ」と伝えることが重要なのだ。
  そして、誰かを助けたいという思いが強ければ強いほど、ユニークなアイデアが湧いてくるのだと思う。ホストファミリーの他者を想う気持ちが、やかんのお湯を沸かすという行動に結びついたのだから。生きてきた人生の中で一番心が強く打たれ、そして自分の価値観を変えてくれた、そんな高校一年生のフィリピン留学だった。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:2022年07月25日
ドラマの時期:
2012年
8月
--日
文字数:3167

筆者紹介

東京都在住の25歳女性です。教育熱心な親の下で育ちました。上へ上へという思考で高校・大学と進み社会に出ましたが、体を壊したことをきっかけに自分の価値観を見直すようになりました。今では「無理をしない・楽しく生きる」をモットーに、カフェでのんびり働いています。
趣味は愛犬の世話・サイクリングです。

やかんのお湯が教えてくれた思いやりと優しさ

 高校1年生の8月、汗が吹き出る猛暑のフィリピンに降り立った。なぜ私がフィリピンに行くことになったのか。それは、在籍していた高校がフィリピンにある姉妹校への短期留学生を募集していたからだ。留学中は、現地の生徒に混じって数週間ほど授業を受け、異文化を肌で触れることになる。異国への興味や好奇心から応募してみたところ、無事にフィリピン行きのチケットを手に入れた。
 ちなみに留学前は「フィリピン」と聞くと、貧しい・暗いという発展途上国のイメージがあった。社会科の時間にビデオで見た、ストリートチルドレンやゴミの山の印象が強かったからだと思う。インフラも整っていないだろうという偏見からか、留学することは内心不安な部分も大きかった。
だが、その不安のほとんどは、ほどなく払拭されることになる。これはお世話になったホームステイ先での生活に初っ端から溶け込めたからだ。実は、留学中の生徒の安全は高校側で考慮されており、現地の滞在先は姉妹校に通うフィリピン人生徒の家となっていた。つまり、フィリピン滞在中はホームステイ先から学校に通い、衣食住もホストファミリーと共に過ごす生活となる。
空港に到着後、私を含めた留学生数人は、車で市街地の裏通りに連れて行かれた。そしてホストファミリーの家があると思しき住宅街を突き進んだ。住宅の多くはグレーを基調としており、かなり密集している様子だ。旅の疲れもあってか、ホームステイ先の家も第一印象はやや無機質に感じられた。
 ところが一転、家の外観からは想像もつかないとても陽気なホストファミリーが私たちを温かく迎え入れてくれた。7人の大家族で、小さな家に皆でぎゅうぎゅうと楽しく賑やかに暮らしていた。思えば、滞在中はフィリピンの家庭料理やスナックをこれでもかというくらい振る舞ってくれたり、フィリピンの伝統的なゲームを教えてくれたり、日本について積極的に質問してくれた。初日から日本ではあり得ないほどの熱烈な歓迎を受け、異文化交流の出だしは完璧そのものだった。
 だが、そんな浮き立つ気持ちをよそに、払拭されない一つの懸念が頭の片隅にこびりついていた。それがお風呂の問題だ。この留学プログラムに以前参加した姉の話によると、フィリピンはシャワーがなくお湯も出ないため、冷たい水で体を洗うことになったそうだ。留学のチケットは、応募者の中から面接や小論文によって振るいに落とされた末に手に入れたもの。留学が決まった瞬間は期待に胸を膨らませていた反面、「2週間も水浴びをしなければいけないのか・・・」と憂鬱な気分が混じっていたことを覚えている。
 そしてあの忘れもしない出来事は、滞在初日の夜にやってきた。歓迎会の終盤にカードゲームやおしゃべりを楽しんでいると、いよいよお風呂に入って寝床につくムードに。不安な気持ちが先走り、先にこそっと風呂場を確認することにした。風呂場は三階にあったので、足早に階段を駆け上がる。ドアを開いて風呂場を覗いてみると、見渡す必要もない狭い空間が視野を埋めた。
一人の大人がやっと入れるほどの、まるで電話ボックスのような小さなスペースを、薄暗い灰色の壁と、劣化が進んだ白いタイルの床が覆っている。牢獄のような小窓が申し訳程度に付いているものの、あとは壁から蛇口が一つだけぽつりと突き出ているのみ。なお、蛇口には温度調整機能が付いていないことに気づく。ただひねって温度不明の水を出すという単純な作りのようだ。そんな簡素な場所に、大きな赤いバケツと青い椅子が頼りなく置いてある。これが噂に聞いていたフィリピン式バスルーム。原始的な有様を目の前に、私はただ呆然と突っ立ってしまっていた。
 後々聞いた話だが、フィリピンは一年中暑い気候なので、体を冷やすために軽く水浴びをするくらいがちょうどいいそうだ。実家のお風呂といえば、私にとっては温かい湯船につかることができる至福のリラックスタイムの場。留学中はそれが冷水を浴びる苦痛の場所に変わってしまったことを意味しているようだった。先ほどの歓迎会で高揚していた気分はどこかへ飛んでいき、旅の疲れが再び身体にどっと押し寄せる。
 お風呂の一番手はどうやらホストシスターのようだ。自分の番をビクビクしながら待ち構えている私とは打って変わって、なんともないようなそぶりで、鼻歌を歌いながらお風呂を済ませてしまった。これこそが異文化交流か。心細さと諦めの境地のはざまで、学校の留学プログラムの狙い通りの体験が出来ていることを、妙に冷静な視点で分析していた。そしてついに、私がお風呂に入る番がやってきた。緊張からか、支度の足取りが重く、タオルを持っている感覚まで鈍くなっていた。
 「さあ、意を決して入るか・・・」と覚悟を決めたときだった。何やらホストブラザーがお風呂場を行ったり来たりしている様子が目に入る。しかもその手には小さなバケツ。「何をしているのだろうか?」と気になって彼について行ってみた。
すると、衝撃の現場を目撃する。なんと一階のキッチンのやかんでお湯を沸かし、そのお湯を小さなバケツに注ぎ、三階にあるお風呂場まで運んでいた。手にしている小さなバケツ一杯分にも満たない小型のやかんで、何度も何度もお湯を沸かし、階段を何往復もしてお風呂場の大きなバケツに移している。
「何をしているの?!」私はびっくりし、すっかり親しくなったホストシスターに尋ねた。すると彼女は、「日本人はお湯で体を洗うと聞いていたから、あなたたちのためにお湯を準備しているのよ。」と照れくさそうに笑いながら教えてくれた。
 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。わざわざ私たち日本人留学生のために、どうにかしてお湯を用意しようと考えてくれたこと。そして、体を洗うことができるほどのお湯を準備するという、大変な作業を私たちには黙ってやってくれていたこと。そんな驚きと感謝で、しばらくは唖然としてしまった。びっくりしている私たちを見て、ホストシスターは笑いながら「早く早く!」と私をお風呂場に押し込んだ。
 その時のお風呂の時間は、今でも忘れられない。ホストブラザーが何往復もして運んでくれたお湯が、熱い湯気を出しながら大きなバケツの中にたっぷりと入っていた。なるべくこぼれないように、桶でゆっくりすくいながら浴びるそのお湯は、旅で疲弊した身体を包んだ。ホストファミリーの優しさに触れているようだった。
 もちろんこのフィリピンでの短期留学で、もっと華やかで目立つような思い出はたくさんある。しかし、この写真に残せないような、一言で言い表せないような「やかんのお湯が教えてくれた優しさ」が、10年以上経った今でも強烈に心に残っている。あの時のお湯は、その温度だけでは計り知れないほどの温かさがあった。
  社会科の時間では学べなかったフィリピンでのリアルな経験を通し、当時の私の価値観は大きく変化した。なぜなら、ホストファミリーがとても大切なことを教えてくれたからだ。
まず困っている人がいたら、ためらわずに手を差し伸べること。そしてその課題を解決するために、力の限り行動する姿勢が大切だということだ。手を差し出す前に、「うまく助けられるかな」や「断られるかな」と考える必要はない。まずは他者に共感し寄り添い、「一人ではないよ」と伝えることが重要なのだ。
  そして、誰かを助けたいという思いが強ければ強いほど、ユニークなアイデアが湧いてくるのだと思う。ホストファミリーの他者を想う気持ちが、やかんのお湯を沸かすという行動に結びついたのだから。生きてきた人生の中で一番心が強く打たれ、そして自分の価値観を変えてくれた、そんな高校一年生のフィリピン留学だった。
サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年07月25日
ドラマの時期:
2012年
8月
--日
文字数:3167

筆者紹介

東京都在住の25歳女性です。教育熱心な親の下で育ちました。上へ上へという思考で高校・大学と進み社会に出ましたが、体を壊したことをきっかけに自分の価値観を見直すようになりました。今では「無理をしない・楽しく生きる」をモットーに、カフェでのんびり働いています。
趣味は愛犬の世話・サイクリングです。