AGE

28

Autobiography

美味しいは心のバロメーター

私は大学卒業後、ある会社に入社し社会人としてのスタートを切った。日系の古くからある企業。保守的な文化で、新卒から勤め上げたお堅い上司にペコペコする毎日だった。 さらに慢性的な人手不足で、いつも業務に追われていた。そんな環境下で、入社2ヶ月目あたりから既に疲弊していた。会社に行く時も帰宅時も、翌日のことを考えて憂鬱になるという日々だった。 そんな毎日だったので、昼休みの自由時間は私のホッとできるひと時だった。せっかくのランチタイムに会社の人に会うのが嫌だったので、会社から離れた場所に行き1人で過ごすのが唯一の楽しみだった。 会社から徒歩で10分ほどの場所に、コリアンタウンがあった。ここまで来る社員はなかなかいない。私は昼休みの度に、コリアンタウンに来てのんびりするのが好きだった。 そのコリアンタウンには、絶品のソルロンタンスープを出すお店があった。従業員は全員韓国人。メニューも、そのスープセットしかないというお店だった。 ソルロンタンとは、牛の骨や肉をじっくり煮込んだスープのことである。何時間もかけて煮込むため、スープが真っ白なのだ。注文すると、ソルロンタンスープとキムチやナムル、そして山盛りのご飯が一気に出てくる。本場スタイルの盛り盛り定食である。 毎日の仕事のストレスで心身共に疲弊していた私は、そのスープによって生き延びていたと言えるだろう。 その後いよいよ体を壊してしまい、会社を休職・退職した。今振り返ると、よく踏ん張っていたなと思う。そしてたっぷりの休養期間を経て、心も体も充電され元気になった。 ある日突然、あのソルロンタンスープが恋しくなった。「久々に行ってみたいな。」そう思い、約2年ぶりにお店に行ってみた。

ドラマの時期:
2022年
--月
--日
文字数:1194
投稿時の年齢:25

保護犬メイとの出会い

我が家は大の犬好きだ。物心付いた時から、常に犬が家にいた。だが、私はそこまで犬が好きというわけではなかったのだ。しかし一匹の保護犬と出会ったことで、私の価値観は大きく変わることになる。 ある日、母親が「かわいい保護犬を見つけた!」と言って帰ってきた。 ペットショップで見つけたその犬は、白いトイプードルで年齢は7歳だった。どうやらペットショップのCSR活動の一環として、保護犬の譲渡活動をやっていたらしい。他の犬と同じように、ショーケースに並んでいたようだ。 その時は「そうなんだ。」くらいにしか思っていなかった。しかし母親にとっては、何度も見に行くほど気に入ったらしい。なかなかに母がしつこいので、私も一応見に行くことにした。 その犬は、ペットショップの端の方のケースで大人しく座っていた。成犬になり体が大きいため、ケージが窮屈そうだった。白いけれどあまり手入れされていないようで、汚れがひどかった。特に口の周りが真っ黒になっていた。みすぼらしいという表現が、皮肉にもピッタリだった。(下記写真左) この犬を見た瞬間、なぜか分からないが「救ってあげないと!守ってあげないと!」と強く思った。もちろんペットショップで人気なのは、生まれたばかりの子犬。この犬の前を通っても、素通りする人ばかりだった。 誰にも相手にされなくても、吠えることなく大人しく寝ている。なんて良い子なんだろうと思った。

ドラマの時期:
2018年
1月
--日
文字数:1137
投稿時の年齢:25

やかんのお湯が教えてくれた思いやりと優しさ

 高校1年生の8月、汗が吹き出る猛暑のフィリピンに降り立った。なぜ私がフィリピンに行くことになったのか。それは、在籍していた高校がフィリピンにある姉妹校への短期留学生を募集していたからだ。留学中は、現地の生徒に混じって数週間ほど授業を受け、異文化を肌で触れることになる。異国への興味や好奇心から応募してみたところ、無事にフィリピン行きのチケットを手に入れた。  ちなみに留学前は「フィリピン」と聞くと、貧しい・暗いという発展途上国のイメージがあった。社会科の時間にビデオで見た、ストリートチルドレンやゴミの山の印象が強かったからだと思う。インフラも整っていないだろうという偏見からか、留学することは内心不安な部分も大きかった。 だが、その不安のほとんどは、ほどなく払拭されることになる。これはお世話になったホームステイ先での生活に初っ端から溶け込めたからだ。実は、留学中の生徒の安全は高校側で考慮されており、現地の滞在先は姉妹校に通うフィリピン人生徒の家となっていた。つまり、フィリピン滞在中はホームステイ先から学校に通い、衣食住もホストファミリーと共に過ごす生活となる。 空港に到着後、私を含めた留学生数人は、車で市街地の裏通りに連れて行かれた。そしてホストファミリーの家があると思しき住宅街を突き進んだ。住宅の多くはグレーを基調としており、かなり密集している様子だ。旅の疲れもあってか、ホームステイ先の家も第一印象はやや無機質に感じられた。  ところが一転、家の外観からは想像もつかないとても陽気なホストファミリーが私たちを温かく迎え入れてくれた。7人の大家族で、小さな家に皆でぎゅうぎゅうと楽しく賑やかに暮らしていた。思えば、滞在中はフィリピンの家庭料理やスナックをこれでもかというくらい振る舞ってくれたり、フィリピンの伝統的なゲームを教えてくれたり、日本について積極的に質問してくれた。初日から日本ではあり得ないほどの熱烈な歓迎を受け、異文化交流の出だしは完璧そのものだった。  だが、そんな浮き立つ気持ちをよそに、払拭されない一つの懸念が頭の片隅にこびりついていた。それがお風呂の問題だ。この留学プログラムに以前参加した姉の話によると、フィリピンはシャワーがなくお湯も出ないため、冷たい水で体を洗うことになったそうだ。留学のチケットは、応募者の中から面接や小論文によって振るいに落とされた末に手に入れたもの。留学が決まった瞬間は期待に胸を膨らませていた反面、「2週間も水浴びをしなければいけないのか・・・」と憂鬱な気分が混じっていたことを覚えている。 そしてあの忘れもしない出来事は、滞在初日の夜にやってきた。歓迎会の終盤にカードゲームやおしゃべりを楽しんでいると、いよいよお風呂に入って寝床につくムードに。不安な気持ちが先走り、先にこそっと風呂場を確認することにした。風呂場は三階にあったので、足早に階段を駆け上がる。ドアを開いて風呂場を覗いてみると、見渡す必要もない狭い空間が視野を埋めた。 一人の大人がやっと入れるほどの、まるで電話ボックスのような小さなスペースを、薄暗い灰色の壁と、劣化が進んだ白いタイルの床が覆っている。牢獄のような小窓が申し訳程度に付いているものの、あとは壁から蛇口が一つだけぽつりと突き出ているのみ。なお、蛇口には温度調整機能が付いていないことに気づく。ただひねって温度不明の水を出すという単純な作りのようだ。そんな簡素な場所に、大きな赤いバケツと青い椅子が頼りなく置いてある。これが噂に聞いていたフィリピン式バスルーム。原始的な有様を目の前に、私はただ呆然と突っ立ってしまっていた。  後々聞いた話だが、フィリピンは一年中暑い気候なので、体を冷やすために軽く水浴びをするくらいがちょうどいいそうだ。実家のお風呂といえば、私にとっては温かい湯船につかることができる至福のリラックスタイムの場。留学中はそれが冷水を浴びる苦痛の場所に変わってしまったことを意味しているようだった。先ほどの歓迎会で高揚していた気分はどこかへ飛んでいき、旅の疲れが再び身体にどっと押し寄せる。  お風呂の一番手はどうやらホストシスターのようだ。自分の番をビクビクしながら待ち構えている私とは打って変わって、なんともないようなそぶりで、鼻歌を歌いながらお風呂を済ませてしまった。これこそが異文化交流か。心細さと諦めの境地のはざまで、学校の留学プログラムの狙い通りの体験が出来ていることを、妙に冷静な視点で分析していた。そしてついに、私がお風呂に入る番がやってきた。緊張からか、支度の足取りが重く、タオルを持っている感覚まで鈍くなっていた。  「さあ、意を決して入るか・・・」と覚悟を決めたときだった。何やらホストブラザーがお風呂場を行ったり来たりしている様子が目に入る。しかもその手には小さなバケツ。「何をしているのだろうか?」と気になって彼について行ってみた。 すると、衝撃の現場を目撃する。なんと一階のキッチンのやかんでお湯を沸かし、そのお湯を小さなバケツに注ぎ、三階にあるお風呂場まで運んでいた。手にしている小さなバケツ一杯分にも満たない小型のやかんで、何度も何度もお湯を沸かし、階段を何往復もしてお風呂場の大きなバケツに移している。 「何をしているの?!」私はびっくりし、すっかり親しくなったホストシスターに尋ねた。すると彼女は、「日本人はお湯で体を洗うと聞いていたから、あなたたちのためにお湯を準備しているのよ。」と照れくさそうに笑いながら教えてくれた。  私は頭を殴られたような衝撃を受けた。わざわざ私たち日本人留学生のために、どうにかしてお湯を用意しようと考えてくれたこと。そして、体を洗うことができるほどのお湯を準備するという、大変な作業を私たちには黙ってやってくれていたこと。そんな驚きと感謝で、しばらくは唖然としてしまった。びっくりしている私たちを見て、ホストシスターは笑いながら「早く早く!」と私をお風呂場に押し込んだ。

ドラマの時期:
2012年
8月
--日
文字数:3167
投稿時の年齢:25

世界一美味しい飲み物

今まで飲んだ中で、最高に美味しいと感じたものはなんだろうか。私には、忘れられない味がある。 「暑い夏の、部活帰りに飲んだカルピスソーダ」だ。 中学生の頃、かなりきつい運動部に入っていた。ありがたいことに、全国大会で毎回入賞するほどの強豪校。練習も規律もそれなりに大変だった。朝練・昼練・放課後練、そして土曜は朝から夜まで練習という日々だった。走って移動しないと先輩に怒られるし、声出しをちゃんとしてないと目を付けられる。今の時代では考えられないが、顧問が怒って暴言を吐くみたいなことも日常茶飯事だった。 特に、夏休みの練習は地獄。授業がないために、週5で1日中部活だった。疲れ果てて、帰りの電車で寝落ちすることもしばしばだった。 そして驚くべきことに、学校の体育館は冷房が効かなかった。よく熱中症患者が出なかったと思う。暑い中で朝から晩まで練習して、家まで1時間かけて帰宅する。それがルーティーンだった。 当然お腹も空く。しかし、学生なのであまりお金がなかった。家には大量のお菓子のストックがあるので、いつもは買い食いを我慢して帰宅していた。 ある日どうしようもなく疲れて、お腹が空いていたことがあった。何か口に入れないと倒れそう。そんな時、駅の自動販売機を見つけた。そこでカルピスソーダを買った。

ドラマの時期:
2011年
8月
--日
文字数:827
投稿時の年齢:25

不器用なおばあちゃんの優しさ

私には、生まれた時から一緒に住んでいるおばあちゃんがいた。父方の母親にあたる人だ。おばあちゃんは、エネルギーに満ち溢れているタイプだった。70歳にして、旅行に行くのが趣味。しかもヨーロッパなどではなく、ペルーやエジプトなどなかなか旅行先に選ばないようなところに行くのが好きだった。料理も手芸も上手で、美味しいもの好き。年齢の割にジャンキーなものが好きで、たこ焼きやカップラーメンをよく買ってきていた。 私はそんなおばあちゃんが大好きだった。私には姉がいるのだが、姉は習い事をたくさんしていた。そのため、いつも家に居るのは私とおばあちゃん。2人でお留守番をしてアニメを見たり、ごろごろしたりしていた。お母さんに内緒で、美味しいものをこっそりもらえるのもとても嬉しかった。 そんな私も中学生になった。中学生くらいになると反抗期を迎える。一般的には親に反抗するようになるが、私の両親は厳しかったので到底できない。そのため、一緒に住んでいるおばあちゃんに反抗するようになった。今考えれば、心の底から甘えることのできる唯一の存在だったのだろう。反抗しても許されると思っているから、反抗できたのだなと思う。 今まで話していたのに私がいきなり無視するようになったり、おばあちゃんが共有スペースに居ると避けるようになった。今考えれば、最悪の行為である。(おばあちゃん、本当にごめんね。) そんな私に対して、どう接すればいいのか分からなかったのだろう。エネルギッシュな性格だが、その反面繊細な部分もあるおばあちゃん。そのうち、話しかけてこなくなった。

ドラマの時期:
2011年
--月
--日
文字数:1062
投稿時の年齢:25

優しい歯医者さんとのひみつ

小学生の頃、私は歯医者に通っていた。生え変わったばかりの歯がガタガタとズレており、歯並びを治すために矯正をしていたからだ。 私は歯医者さんに行くのがとても楽しみだった。なぜなら、先生がとても好きだったからだ。いつも優しく出迎えてくれるし、私のしょうもない話を一生懸命聞いてくれる。 家では叱られてばかりだが、歯医者さんはいつも私のことを褒めてくれた。 施術は、着々と進んでいた。ワイヤー矯正の治療が終わり、透明なマウスピースを装着するという段階まで来ていた。私は、このマウスピースが好きだった。自分だけの歯型で作られた、特別なものだったから。普通の子供は着けるのを嫌がると思うが、私はいつも意気揚々と装着して通学していた。 ある日、事件が起きる。歯医者さんに行く前に、お母さんと寄り道をした。 ウェンディーズに、ナゲットを食べに行ったと思う。おそらく学校帰りで、お腹が空いていたのだろう。 そして、楽しみにしていた歯医者さんにやって来た。施術台に座って、マウスピースを外そうとした。しかし、マウスピースが無いのである。私はその瞬間、「しまった!大変だ!」と思った。 なんと、ナゲットを食べる時にトレーの上に乗せて、そのままウェンディーズの大きなゴミ箱に捨ててしまったのである!歯医者さんに来るまで、気付かなかったのだ。 「どうしようどうしよう、お母さんに怒られる。」そんな風にとても焦った。 慌てている私に歯医者さんが、「どうしたの?」と声をかけてくれた。仕方なく、正直に全てを話した。お母さんに怒られないか心配だ、と。 すると、「じゃあ、一緒に探しに行こう。お母さんに内緒にするから。」と言ってくれた。 そして、歯医者さんと歯科衛生士さんと私の3人でウェンディーズに行って、ゴミ箱を漁った。 ファストフードの強烈な臭いが充満する中、歯医者さんは、嫌な顔を全くせず一生懸命探してくれた。探すにあたって、医療用のゴム手袋が大活躍したのを覚えている。 15分ぐらいは探しただろうか。歯医者さんが「あった!」と私のマウスピースを見つけてくれた。「助かった。」と思った。 無事に、一緒にクリニックに帰った。歯医者さんはマウスピースを綺麗に消毒してくれた。そして約束通り、この事件のことはお母さんに内緒にしてくれたのだ。

ドラマの時期:
2006年
--月
--日
文字数:1189
投稿時の年齢:25
AGE

28

Autobiography

美味しいは心のバロメーター

私は大学卒業後、ある会社に入社し社会人としてのスタートを切った。日系の古くからある企業。保守的な文化で、新卒から勤め上げたお堅い上司にペコペコする毎日だった。 さらに慢性的な人手不足で、いつも業務に追われていた。そんな環境下で、入社2ヶ月目あたりから既に疲弊していた。会社に行く時も帰宅時も、翌日のことを考えて憂鬱になるという日々だった。 そんな毎日だったので、昼休みの自由時間は私のホッとできるひと時だった。せっかくのランチタイムに会社の人に会うのが嫌だったので、会社から離れた場所に行き1人で過ごすのが唯一の楽しみだった。 会社から徒歩で10分ほどの場所に、コリアンタウンがあった。ここまで来る社員はなかなかいない。私は昼休みの度に、コリアンタウンに来てのんびりするのが好きだった。 そのコリアンタウンには、絶品のソルロンタンスープを出すお店があった。従業員は全員韓国人。メニューも、そのスープセットしかないというお店だった。 ソルロンタンとは、牛の骨や肉をじっくり煮込んだスープのことである。何時間もかけて煮込むため、スープが真っ白なのだ。注文すると、ソルロンタンスープとキムチやナムル、そして山盛りのご飯が一気に出てくる。本場スタイルの盛り盛り定食である。 毎日の仕事のストレスで心身共に疲弊していた私は、そのスープによって生き延びていたと言えるだろう。 その後いよいよ体を壊してしまい、会社を休職・退職した。今振り返ると、よく踏ん張っていたなと思う。そしてたっぷりの休養期間を経て、心も体も充電され元気になった。 ある日突然、あのソルロンタンスープが恋しくなった。「久々に行ってみたいな。」そう思い、約2年ぶりにお店に行ってみた。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年09月14日
ドラマの時期:
2022年
--月
--日
文字数:1194

保護犬メイとの出会い

我が家は大の犬好きだ。物心付いた時から、常に犬が家にいた。だが、私はそこまで犬が好きというわけではなかったのだ。しかし一匹の保護犬と出会ったことで、私の価値観は大きく変わることになる。 ある日、母親が「かわいい保護犬を見つけた!」と言って帰ってきた。 ペットショップで見つけたその犬は、白いトイプードルで年齢は7歳だった。どうやらペットショップのCSR活動の一環として、保護犬の譲渡活動をやっていたらしい。他の犬と同じように、ショーケースに並んでいたようだ。 その時は「そうなんだ。」くらいにしか思っていなかった。しかし母親にとっては、何度も見に行くほど気に入ったらしい。なかなかに母がしつこいので、私も一応見に行くことにした。 その犬は、ペットショップの端の方のケースで大人しく座っていた。成犬になり体が大きいため、ケージが窮屈そうだった。白いけれどあまり手入れされていないようで、汚れがひどかった。特に口の周りが真っ黒になっていた。みすぼらしいという表現が、皮肉にもピッタリだった。(下記写真左) この犬を見た瞬間、なぜか分からないが「救ってあげないと!守ってあげないと!」と強く思った。もちろんペットショップで人気なのは、生まれたばかりの子犬。この犬の前を通っても、素通りする人ばかりだった。 誰にも相手にされなくても、吠えることなく大人しく寝ている。なんて良い子なんだろうと思った。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年09月05日
ドラマの時期:
2018年
--日
文字数:1137

やかんのお湯が教えてくれた思いやりと優しさ

 高校1年生の8月、汗が吹き出る猛暑のフィリピンに降り立った。なぜ私がフィリピンに行くことになったのか。それは、在籍していた高校がフィリピンにある姉妹校への短期留学生を募集していたからだ。留学中は、現地の生徒に混じって数週間ほど授業を受け、異文化を肌で触れることになる。異国への興味や好奇心から応募してみたところ、無事にフィリピン行きのチケットを手に入れた。  ちなみに留学前は「フィリピン」と聞くと、貧しい・暗いという発展途上国のイメージがあった。社会科の時間にビデオで見た、ストリートチルドレンやゴミの山の印象が強かったからだと思う。インフラも整っていないだろうという偏見からか、留学することは内心不安な部分も大きかった。 だが、その不安のほとんどは、ほどなく払拭されることになる。これはお世話になったホームステイ先での生活に初っ端から溶け込めたからだ。実は、留学中の生徒の安全は高校側で考慮されており、現地の滞在先は姉妹校に通うフィリピン人生徒の家となっていた。つまり、フィリピン滞在中はホームステイ先から学校に通い、衣食住もホストファミリーと共に過ごす生活となる。 空港に到着後、私を含めた留学生数人は、車で市街地の裏通りに連れて行かれた。そしてホストファミリーの家があると思しき住宅街を突き進んだ。住宅の多くはグレーを基調としており、かなり密集している様子だ。旅の疲れもあってか、ホームステイ先の家も第一印象はやや無機質に感じられた。  ところが一転、家の外観からは想像もつかないとても陽気なホストファミリーが私たちを温かく迎え入れてくれた。7人の大家族で、小さな家に皆でぎゅうぎゅうと楽しく賑やかに暮らしていた。思えば、滞在中はフィリピンの家庭料理やスナックをこれでもかというくらい振る舞ってくれたり、フィリピンの伝統的なゲームを教えてくれたり、日本について積極的に質問してくれた。初日から日本ではあり得ないほどの熱烈な歓迎を受け、異文化交流の出だしは完璧そのものだった。  だが、そんな浮き立つ気持ちをよそに、払拭されない一つの懸念が頭の片隅にこびりついていた。それがお風呂の問題だ。この留学プログラムに以前参加した姉の話によると、フィリピンはシャワーがなくお湯も出ないため、冷たい水で体を洗うことになったそうだ。留学のチケットは、応募者の中から面接や小論文によって振るいに落とされた末に手に入れたもの。留学が決まった瞬間は期待に胸を膨らませていた反面、「2週間も水浴びをしなければいけないのか・・・」と憂鬱な気分が混じっていたことを覚えている。 そしてあの忘れもしない出来事は、滞在初日の夜にやってきた。歓迎会の終盤にカードゲームやおしゃべりを楽しんでいると、いよいよお風呂に入って寝床につくムードに。不安な気持ちが先走り、先にこそっと風呂場を確認することにした。風呂場は三階にあったので、足早に階段を駆け上がる。ドアを開いて風呂場を覗いてみると、見渡す必要もない狭い空間が視野を埋めた。 一人の大人がやっと入れるほどの、まるで電話ボックスのような小さなスペースを、薄暗い灰色の壁と、劣化が進んだ白いタイルの床が覆っている。牢獄のような小窓が申し訳程度に付いているものの、あとは壁から蛇口が一つだけぽつりと突き出ているのみ。なお、蛇口には温度調整機能が付いていないことに気づく。ただひねって温度不明の水を出すという単純な作りのようだ。そんな簡素な場所に、大きな赤いバケツと青い椅子が頼りなく置いてある。これが噂に聞いていたフィリピン式バスルーム。原始的な有様を目の前に、私はただ呆然と突っ立ってしまっていた。  後々聞いた話だが、フィリピンは一年中暑い気候なので、体を冷やすために軽く水浴びをするくらいがちょうどいいそうだ。実家のお風呂といえば、私にとっては温かい湯船につかることができる至福のリラックスタイムの場。留学中はそれが冷水を浴びる苦痛の場所に変わってしまったことを意味しているようだった。先ほどの歓迎会で高揚していた気分はどこかへ飛んでいき、旅の疲れが再び身体にどっと押し寄せる。  お風呂の一番手はどうやらホストシスターのようだ。自分の番をビクビクしながら待ち構えている私とは打って変わって、なんともないようなそぶりで、鼻歌を歌いながらお風呂を済ませてしまった。これこそが異文化交流か。心細さと諦めの境地のはざまで、学校の留学プログラムの狙い通りの体験が出来ていることを、妙に冷静な視点で分析していた。そしてついに、私がお風呂に入る番がやってきた。緊張からか、支度の足取りが重く、タオルを持っている感覚まで鈍くなっていた。  「さあ、意を決して入るか・・・」と覚悟を決めたときだった。何やらホストブラザーがお風呂場を行ったり来たりしている様子が目に入る。しかもその手には小さなバケツ。「何をしているのだろうか?」と気になって彼について行ってみた。 すると、衝撃の現場を目撃する。なんと一階のキッチンのやかんでお湯を沸かし、そのお湯を小さなバケツに注ぎ、三階にあるお風呂場まで運んでいた。手にしている小さなバケツ一杯分にも満たない小型のやかんで、何度も何度もお湯を沸かし、階段を何往復もしてお風呂場の大きなバケツに移している。 「何をしているの?!」私はびっくりし、すっかり親しくなったホストシスターに尋ねた。すると彼女は、「日本人はお湯で体を洗うと聞いていたから、あなたたちのためにお湯を準備しているのよ。」と照れくさそうに笑いながら教えてくれた。  私は頭を殴られたような衝撃を受けた。わざわざ私たち日本人留学生のために、どうにかしてお湯を用意しようと考えてくれたこと。そして、体を洗うことができるほどのお湯を準備するという、大変な作業を私たちには黙ってやってくれていたこと。そんな驚きと感謝で、しばらくは唖然としてしまった。びっくりしている私たちを見て、ホストシスターは笑いながら「早く早く!」と私をお風呂場に押し込んだ。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年07月25日
ドラマの時期:
2012年
--日
文字数:3167

世界一美味しい飲み物

今まで飲んだ中で、最高に美味しいと感じたものはなんだろうか。私には、忘れられない味がある。 「暑い夏の、部活帰りに飲んだカルピスソーダ」だ。 中学生の頃、かなりきつい運動部に入っていた。ありがたいことに、全国大会で毎回入賞するほどの強豪校。練習も規律もそれなりに大変だった。朝練・昼練・放課後練、そして土曜は朝から夜まで練習という日々だった。走って移動しないと先輩に怒られるし、声出しをちゃんとしてないと目を付けられる。今の時代では考えられないが、顧問が怒って暴言を吐くみたいなことも日常茶飯事だった。 特に、夏休みの練習は地獄。授業がないために、週5で1日中部活だった。疲れ果てて、帰りの電車で寝落ちすることもしばしばだった。 そして驚くべきことに、学校の体育館は冷房が効かなかった。よく熱中症患者が出なかったと思う。暑い中で朝から晩まで練習して、家まで1時間かけて帰宅する。それがルーティーンだった。 当然お腹も空く。しかし、学生なのであまりお金がなかった。家には大量のお菓子のストックがあるので、いつもは買い食いを我慢して帰宅していた。 ある日どうしようもなく疲れて、お腹が空いていたことがあった。何か口に入れないと倒れそう。そんな時、駅の自動販売機を見つけた。そこでカルピスソーダを買った。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年08月26日
ドラマの時期:
2011年
--日
文字数:827

不器用なおばあちゃんの優しさ

私には、生まれた時から一緒に住んでいるおばあちゃんがいた。父方の母親にあたる人だ。おばあちゃんは、エネルギーに満ち溢れているタイプだった。70歳にして、旅行に行くのが趣味。しかもヨーロッパなどではなく、ペルーやエジプトなどなかなか旅行先に選ばないようなところに行くのが好きだった。料理も手芸も上手で、美味しいもの好き。年齢の割にジャンキーなものが好きで、たこ焼きやカップラーメンをよく買ってきていた。 私はそんなおばあちゃんが大好きだった。私には姉がいるのだが、姉は習い事をたくさんしていた。そのため、いつも家に居るのは私とおばあちゃん。2人でお留守番をしてアニメを見たり、ごろごろしたりしていた。お母さんに内緒で、美味しいものをこっそりもらえるのもとても嬉しかった。 そんな私も中学生になった。中学生くらいになると反抗期を迎える。一般的には親に反抗するようになるが、私の両親は厳しかったので到底できない。そのため、一緒に住んでいるおばあちゃんに反抗するようになった。今考えれば、心の底から甘えることのできる唯一の存在だったのだろう。反抗しても許されると思っているから、反抗できたのだなと思う。 今まで話していたのに私がいきなり無視するようになったり、おばあちゃんが共有スペースに居ると避けるようになった。今考えれば、最悪の行為である。(おばあちゃん、本当にごめんね。) そんな私に対して、どう接すればいいのか分からなかったのだろう。エネルギッシュな性格だが、その反面繊細な部分もあるおばあちゃん。そのうち、話しかけてこなくなった。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年09月26日
ドラマの時期:
2011年
--月
--日
文字数:1062

優しい歯医者さんとのひみつ

小学生の頃、私は歯医者に通っていた。生え変わったばかりの歯がガタガタとズレており、歯並びを治すために矯正をしていたからだ。 私は歯医者さんに行くのがとても楽しみだった。なぜなら、先生がとても好きだったからだ。いつも優しく出迎えてくれるし、私のしょうもない話を一生懸命聞いてくれる。 家では叱られてばかりだが、歯医者さんはいつも私のことを褒めてくれた。 施術は、着々と進んでいた。ワイヤー矯正の治療が終わり、透明なマウスピースを装着するという段階まで来ていた。私は、このマウスピースが好きだった。自分だけの歯型で作られた、特別なものだったから。普通の子供は着けるのを嫌がると思うが、私はいつも意気揚々と装着して通学していた。 ある日、事件が起きる。歯医者さんに行く前に、お母さんと寄り道をした。 ウェンディーズに、ナゲットを食べに行ったと思う。おそらく学校帰りで、お腹が空いていたのだろう。 そして、楽しみにしていた歯医者さんにやって来た。施術台に座って、マウスピースを外そうとした。しかし、マウスピースが無いのである。私はその瞬間、「しまった!大変だ!」と思った。 なんと、ナゲットを食べる時にトレーの上に乗せて、そのままウェンディーズの大きなゴミ箱に捨ててしまったのである!歯医者さんに来るまで、気付かなかったのだ。 「どうしようどうしよう、お母さんに怒られる。」そんな風にとても焦った。 慌てている私に歯医者さんが、「どうしたの?」と声をかけてくれた。仕方なく、正直に全てを話した。お母さんに怒られないか心配だ、と。 すると、「じゃあ、一緒に探しに行こう。お母さんに内緒にするから。」と言ってくれた。 そして、歯医者さんと歯科衛生士さんと私の3人でウェンディーズに行って、ゴミ箱を漁った。 ファストフードの強烈な臭いが充満する中、歯医者さんは、嫌な顔を全くせず一生懸命探してくれた。探すにあたって、医療用のゴム手袋が大活躍したのを覚えている。 15分ぐらいは探しただろうか。歯医者さんが「あった!」と私のマウスピースを見つけてくれた。「助かった。」と思った。 無事に、一緒にクリニックに帰った。歯医者さんはマウスピースを綺麗に消毒してくれた。そして約束通り、この事件のことはお母さんに内緒にしてくれたのだ。

サービス職業従事者
投稿時の年齢:25
東京
投稿日時:
2022年08月15日
ドラマの時期:
2006年
--月
--日
文字数:1189