隣の芝生は青い
私は現在、日本語学校で日本語を教えている。私の担当するクラスでは毎日二人ずつテーマを決めてスピーチをすることになっている。来日してもう二年。それなのにたどたどしい学生もいれば、日本人以上に会話の上手な学生もいる。どうしてこれほどの違いが生まれるのかと、ため息交じりにぶつぶつつぶやくのが私の日課になっていた。
今日は「私の気になる名言」というタイトルでのスピーチだった。原稿は書いて準備すること、スマホでのコピペは認められないこと、原稿を読み上げるのではなく覚えて発表すること。以上が条件だ。今日の発表のトップバッターは●●さんだ。彼女はベトナム出身で、誤解を恐れずに言えば、田舎の出身と思われた。化粧っ気もなく、髪はひっつめの後ろで束ねた形で、失礼だが若い女性の色気といったものは感じられない学生だった。何より不潔そうなのが嫌だった。毎日手入れしているとは思われない髪、油の浮いた顔、それを恥ずかしいと思わない心が嫌だった。学力的にも他の学生には劣っていた。明らかに会話ができない。コミュニケーション能力が一段低いと言われても仕方がない学生だった。
彼女のスピーチが始まった。”私が今日、皆さんにお話しする名言は「隣の芝生は青い」です。この意味は、人が持っているものは自分のものより良く見えるということです。私のうちにはテレビがあります。でも、隣のうちのテレビの方が値段が高そうに見えます。いいな、うらやましい。そんな気持ちを表したのがこの言葉です。しかし、私はちょっと違った考え方をしました。確かに値段が高いテレビはきれいに映るかもしれません。しかし、誰がそれを見るのでしょうか。たった一人で、その高価なテレビを見ても楽しいのでしょうか。ドラマの内容は高価なテレビでは違うのでしょうか。私のうちではテレビを家族6人で見ます。楽しい番組はみんなで笑いながら、悲しい番組は涙を流しながら、共感しながら見ます。
人は誰でも、自分にないものを欲しがります。しかし、自分の持っているものに誇りを持った方がいいです。私は自分のうちのテレビを、みんなで見られることに誇りをもっています。そして、みんなと一緒に誰かの役に立てる事に喜びを見出したいと思っています。”
●●さんのスピーチは一瞬で終わった。しばらくクラスは静まり返った。そしてその後、クラス中から感動の拍手が沸き上がった。誰も●●さんにこれだけのスピーチができるとは思っていなかったのだ。
私は日頃から学生を評価する立場に立たされている。そして●●さんの評価は低かった。確かに点数的にはみんなより劣るだろう。だが、彼女の持つ心の豊かさ、人を思うやさしさは、どうやって評価するのか。毎日事務的に仕事をこなしている私に、彼女のスピーチは痛いほど突き刺さった。うつむき加減で、目の前に立っている●●さんは、私には今までとは別人のように、輝いて見えた。
シニアとよばれる年代に差し掛かったのだと、自分でも驚いています。知らない間に年を重ねて今に至ったのだけれど、何もしてこなかったとの感が強く私の心を突き上げます。
チャレンジするのが好きで、また人と比べられるのが大嫌い。自分の宝物を持ちたい。そんな思いでこのサイトを訪れました。心に残るエポックを残せるように、記憶をたどりながら、また、読み応えのあるものを残していきたいと考えています。
隣の芝生は青い