昭和39年-高度成長と古き良き時代の狭間で

昭和39年というと、前の東京オリンピックが行われた年です。アジアで開催された初めてのオリンピック。若い人にとっては、歴史の教科書の1頁かもしれませんが、当時を知る人には、「あの懐かしい時代」「日本が最高に良かった時代」と思うのではないでしょうか。

今でも覚えています。東京の代々木・千駄ヶ谷に建てられた国立競技場、そして屋内競技場。
あの建物は、有名な建築家の手による作品です。しかし、大都市・東京とはいえ、当時は今のような高層ビルは無く、高いビルと言っても新宿西口の百貨店です。あの頃の子供たちは、日曜日に屋上に行ってミニ遊園地で遊び、そしてお昼はお子様ランチ。今思うと、本当に些細なことですが、当時は最高の娯楽でした。しかし、電車に乗って新宿駅から一駅、二駅も過ぎると、そこは木造平屋の小さい家、アパートばかり。背が高い建物はというと、お風呂屋さんの煙突くらい。もちろん、道も狭くて車同士がすれ違う道は住宅街にはありませんでした。やはり、まだ国全体でどこか貧しさを引きずっている日々だったと思います。

それでは何が素晴らしかったか。それは戦争で荒廃した日本が、焼け野原状態から立ち上がり、経済成長を通じて豊かな国へと発展していく中で、貧しいながらも日本人が夢・希望を持って生活していたからだと思います。今みたいに勝ち組・負け組という区分けはないです。なぜなら、すべての国民がある意味で負け組からの出発だったので。私もその一人です。
「頑張れば明日はよくなる」という言葉を信じて過ごしてきました。一方で、高みを目ざす努力は失敗の連続です。失敗は嫌ですが、子供の頃から失敗の回数と経験知を積むことで、良い意味で免疫となり、責任ある立場にいたときに活きたと思います。その立場にいるとき、「貧しい時代の生活を考えたら、高みを目ざした努力ができる」という気持ちになります。
これが前向きな気持ちを確立できたと思います。

事務従事者
投稿時の年齢:63
東京
投稿日時:2022年10月01日
ドラマの時期:
1964年
10月
10日
文字数:811

筆者紹介

私は、いたって平凡なシニア・サラリーマンです。これまでの企業人としての働き方・生き方を振り返って、「まぁこんなもんだ」程度に考えております。私はオジ(イ)サンですが、老後のオジ(イ)サンの集いに抵抗があり、若い人との会話のほうが好きです。少し無理してますね。
生れ:東京都杉並区、
学び:経営学(大学)、プロジェクトマネジメント、キャリアコンサルティング、コーチング。
社会への働きかけ::現在シニアで働いている程度で模索中です。
これから経験したいこと:模索中です。
なりたい自分像:これまた模索中です。なんとなく見えていますが、うまく表現できません。
趣味:最近はYoutube(犬と赤ちゃん、本、スポーツ、ビジネス、音楽(西洋古典と小田和正さん)、
特技:なし。情けない。。。。
   (実は、同年代からプロ野球の選手が出るほどの体育会系なのに、インドア派)
好きなもの:コロコロと変わるので、、、、。
弱点:面倒くさがりの割に几帳面というギャップ(笑) 
こだわり:たいしたこだわりはないつもりですが、振り返ると凝り性のようです。

昭和39年-高度成長と古き良き時代の狭間で

昭和39年というと、前の東京オリンピックが行われた年です。アジアで開催された初めてのオリンピック。若い人にとっては、歴史の教科書の1頁かもしれませんが、当時を知る人には、「あの懐かしい時代」「日本が最高に良かった時代」と思うのではないでしょうか。
今でも覚えています。東京の代々木・千駄ヶ谷に建てられた国立競技場、そして屋内競技場。
あの建物は、有名な建築家の手による作品です。しかし、大都市・東京とはいえ、当時は今のような高層ビルは無く、高いビルと言っても新宿西口の百貨店です。あの頃の子供たちは、日曜日に屋上に行ってミニ遊園地で遊び、そしてお昼はお子様ランチ。今思うと、本当に些細なことですが、当時は最高の娯楽でした。しかし、電車に乗って新宿駅から一駅、二駅も過ぎると、そこは木造平屋の小さい家、アパートばかり。背が高い建物はというと、お風呂屋さんの煙突くらい。もちろん、道も狭くて車同士がすれ違う道は住宅街にはありませんでした。やはり、まだ国全体でどこか貧しさを引きずっている日々だったと思います。
それでは何が素晴らしかったか。それは戦争で荒廃した日本が、焼け野原状態から立ち上がり、経済成長を通じて豊かな国へと発展していく中で、貧しいながらも日本人が夢・希望を持って生活していたからだと思います。今みたいに勝ち組・負け組という区分けはないです。なぜなら、すべての国民がある意味で負け組からの出発だったので。私もその一人です。
「頑張れば明日はよくなる」という言葉を信じて過ごしてきました。一方で、高みを目ざす努力は失敗の連続です。失敗は嫌ですが、子供の頃から失敗の回数と経験知を積むことで、良い意味で免疫となり、責任ある立場にいたときに活きたと思います。その立場にいるとき、「貧しい時代の生活を考えたら、高みを目ざした努力ができる」という気持ちになります。
これが前向きな気持ちを確立できたと思います。
事務従事者
投稿時の年齢:63
東京
投稿日時:
2022年10月01日
ドラマの時期:
1964年
10月
10日
文字数:811

筆者紹介

私は、いたって平凡なシニア・サラリーマンです。これまでの企業人としての働き方・生き方を振り返って、「まぁこんなもんだ」程度に考えております。私はオジ(イ)サンですが、老後のオジ(イ)サンの集いに抵抗があり、若い人との会話のほうが好きです。少し無理してますね。
生れ:東京都杉並区、
学び:経営学(大学)、プロジェクトマネジメント、キャリアコンサルティング、コーチング。
社会への働きかけ::現在シニアで働いている程度で模索中です。
これから経験したいこと:模索中です。
なりたい自分像:これまた模索中です。なんとなく見えていますが、うまく表現できません。
趣味:最近はYoutube(犬と赤ちゃん、本、スポーツ、ビジネス、音楽(西洋古典と小田和正さん)、
特技:なし。情けない。。。。
   (実は、同年代からプロ野球の選手が出るほどの体育会系なのに、インドア派)
好きなもの:コロコロと変わるので、、、、。
弱点:面倒くさがりの割に几帳面というギャップ(笑) 
こだわり:たいしたこだわりはないつもりですが、振り返ると凝り性のようです。