コスモスと桜
今は10月。ようやく秋らしい気配が漂い始めた。幹線道路を車で走っていると、田んぼの跡に赤、白、ピンクと色とりどりの秋桜のたゆとう姿がのんびりとした田舎を想起させてくれる。秋桜の花言葉は「乙女の真実」「謙虚」「調和」だ。華奢な茎のわりに大きな花が風に吹かれてユラユラと揺れる姿は、いかにも健気で、可憐な少女のような趣を感じさせてくれる。
私の父は昭和32年11月12日に29歳で亡くなった。交通事故だった。そのころ私は5歳ではっきりとは覚えてはいないが、市バスとバイクの事故だったこと、大正橋辺りでの事故だったこと、長い時間かかってようやく病院にたどり着いたということ、を母から聞いて覚えている。ベッドに横たわる父は、鼻のあたりにぬぐい切れない血のりがたまっていて、全身むき出しの腹部は縦に裂かれて、そのところどころにガムテープのようなものが張られていた。ベッドに横たわる父親の足元で母が泣いている。私は悲しくなかったが、母が泣いてるから泣かないといけないんじゃないかと思っていた。
母は、後から
・父が「痛い痛い」といって死んでいったこと
・事故の相手の名前も住所も聞かなかったこと
・そして、聞かなくてよかったと後から思ったこと
を、よく話していた。
母が「私、コスモスは嫌い」とポツンと言ったことがある。
朝、行ってきますと手を振って出て行った夫が、その日を限りに帰ってこないという現実は、受け止めるには重すぎる。田舎道を5歳と3歳の子供二人の手を引き、ふらふら歩いているときにコスモスが目に留まったのだろうか。コスモスは孤独を表すものになってしまったのだ。
その母も昭和58年に58歳で亡くなった。桜の下で、治療中の母と伯母と私の三人で撮った写真が思い出の一枚になってしまった。桜の季節になると母親の声まで思い出す。
私は桜が嫌いだ。
シニアとよばれる年代に差し掛かったのだと、自分でも驚いています。知らない間に年を重ねて今に至ったのだけれど、何もしてこなかったとの感が強く私の心を突き上げます。
チャレンジするのが好きで、また人と比べられるのが大嫌い。自分の宝物を持ちたい。そんな思いでこのサイトを訪れました。心に残るエポックを残せるように、記憶をたどりながら、また、読み応えのあるものを残していきたいと考えています。
コスモスと桜