「これで帰って」と、出された巨峰の苦い味

私と田中さんが出会ったのは小学校の時でした。田中さんが6年生、私が5年生でした。運動会で男子のマスゲームで組体操をした時、二人組のペアを組みました。彼は野球少年でスポーツ万能でした。私は勉強ばかりしている運動音痴でした。案の定、私のせいで一つ一つの技が決まりません。それでも、彼は優しく、丁寧に教えてくれました。そんな事があって、私は彼を中学卒業まで兄貴のように慕っていました。しかし、高校からは別々の道を歩み、社会人になってからもしばらく会う事もありませんでした。

30年くらい経ちました。大人になってから初めて会う事がありました。会うなり当時にタイムスリップし嬉しさがこみ上げてきました。居酒屋に行き、カラオケに行き、深夜の車の中で、延々と語り合いました。それをきっかけに忙しい時間を調整して時折会って、家族の事、仕事の事を伝えあいました。
楽しい出来事がより楽しく、悲しく辛い事が緩和されて、明日への活力となりました。

そんなある日、彼ががんに侵されている事、完治は厳しい事を耳にしました。
家で療養していると聞いて、いつものように仕事帰りに顔を出しました。喜んでくれました。元気そうでした。私は何も知らない風を装いました。時間を忘れて話をしました。その時、彼のお母さんが、病気の彼にあまり無理はさせたくないと、ちらちら出てきては、「もうそろそろ…」と私を帰るように促しますが彼はそれを遮ります。私を帰したくない思いが伝わりました。これで帰ってと言わんばかりに大きな巨峰を持ってきてくれて二人で食べました。お暇するしかありませんでした。

それから1カ月くらいで彼の死を知らされました。
もっとそばにいてあげたかった。間際に手を握ってあげたかった。どんなにか私に会いたかっただろうと思うと胸が張り裂けそうでした。カラオケでいつも歌っていた因幡晃の「わかってください」が頭の中をめぐります。あの日彼はどんな思いで巨峰を食べたのか?美味しいと言って二人で食べたその味が忘れられません。

15年が経過した今、やっと彼の死と対峙しています。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:2022年10月10日
ドラマの時期:
2007年
10月
--日
文字数:881

筆者紹介

現在70歳の高齢者です。現役時代は「家庭を守る」「家族を守る」という大義名分の中で埋没していた自己が今自由自在に飛び回っています。仕事もしていますが、やりたいように、言いたいように活きています。
出会いを大切にしています。人と大いに絡みながら高め合っていけたら素晴らしいと考えます
それは家族であり、友達であり、仕事関係の人であったり、老いてからの知人もいます。
関わることで、何らかの力になったりなってもらったり寄り添える人間関係でいたいと思います。
趣味は掃除です。特に浴室の掃除は一年365日欠かしたことはありません。基本は化学的手法より物理的手法を好みます。結果としてよりきれいになることより、耐久性を重視します。それは薬液処理よりもこすり洗いの方が壁・床・浴槽の変色等のリスクが少ないという事です。
発端は、リタイア後、妻の喜ぶことをしようとして思い立ったのがこれでした。妻はお風呂好きで毎日の楽しみとしています。長い間お世話になった恩返しにせめてきれいなピカピカ?の
お風呂に入れてあげたいとの想いでした。

「これで帰って」と、出された巨峰の苦い味

私と田中さんが出会ったのは小学校の時でした。田中さんが6年生、私が5年生でした。運動会で男子のマスゲームで組体操をした時、二人組のペアを組みました。彼は野球少年でスポーツ万能でした。私は勉強ばかりしている運動音痴でした。案の定、私のせいで一つ一つの技が決まりません。それでも、彼は優しく、丁寧に教えてくれました。そんな事があって、私は彼を中学卒業まで兄貴のように慕っていました。しかし、高校からは別々の道を歩み、社会人になってからもしばらく会う事もありませんでした。
30年くらい経ちました。大人になってから初めて会う事がありました。会うなり当時にタイムスリップし嬉しさがこみ上げてきました。居酒屋に行き、カラオケに行き、深夜の車の中で、延々と語り合いました。それをきっかけに忙しい時間を調整して時折会って、家族の事、仕事の事を伝えあいました。
楽しい出来事がより楽しく、悲しく辛い事が緩和されて、明日への活力となりました。

そんなある日、彼ががんに侵されている事、完治は厳しい事を耳にしました。
家で療養していると聞いて、いつものように仕事帰りに顔を出しました。喜んでくれました。元気そうでした。私は何も知らない風を装いました。時間を忘れて話をしました。その時、彼のお母さんが、病気の彼にあまり無理はさせたくないと、ちらちら出てきては、「もうそろそろ…」と私を帰るように促しますが彼はそれを遮ります。私を帰したくない思いが伝わりました。これで帰ってと言わんばかりに大きな巨峰を持ってきてくれて二人で食べました。お暇するしかありませんでした。
それから1カ月くらいで彼の死を知らされました。
もっとそばにいてあげたかった。間際に手を握ってあげたかった。どんなにか私に会いたかっただろうと思うと胸が張り裂けそうでした。カラオケでいつも歌っていた因幡晃の「わかってください」が頭の中をめぐります。あの日彼はどんな思いで巨峰を食べたのか?美味しいと言って二人で食べたその味が忘れられません。

15年が経過した今、やっと彼の死と対峙しています。
管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月10日
ドラマの時期:
2007年
10月
--日
文字数:881

筆者紹介

現在70歳の高齢者です。現役時代は「家庭を守る」「家族を守る」という大義名分の中で埋没していた自己が今自由自在に飛び回っています。仕事もしていますが、やりたいように、言いたいように活きています。
出会いを大切にしています。人と大いに絡みながら高め合っていけたら素晴らしいと考えます
それは家族であり、友達であり、仕事関係の人であったり、老いてからの知人もいます。
関わることで、何らかの力になったりなってもらったり寄り添える人間関係でいたいと思います。
趣味は掃除です。特に浴室の掃除は一年365日欠かしたことはありません。基本は化学的手法より物理的手法を好みます。結果としてよりきれいになることより、耐久性を重視します。それは薬液処理よりもこすり洗いの方が壁・床・浴槽の変色等のリスクが少ないという事です。
発端は、リタイア後、妻の喜ぶことをしようとして思い立ったのがこれでした。妻はお風呂好きで毎日の楽しみとしています。長い間お世話になった恩返しにせめてきれいなピカピカ?の
お風呂に入れてあげたいとの想いでした。