AGE

73

Autobiography

仕組まれた「天使の微笑(ほほえみ)」

70歳男性です。まだまだしっかり働きたいのですが、妻の要請により在宅を余儀なくされ、それでもようやく最近、週3日という条件付きで働きに出ています。今、水を得た魚のように泳いでいます。 子供は4人ですが、長男は結婚して家にいて、娘二人は結婚して隣り街に住んでいます。次男はそろそろ結婚かというところです。それぞれに子供が一人ずつで大学2年生、小学1年生、3歳の3人の孫がいます。 2年前の事です。 当時、11か月の男の子にはまっていました。。娘はまだ育休期間で退屈しているのか1週間に1度は彼を連れて来ます。チャイルドシートに乗せられるようになってからもう半年にはなります。だんだん情が移ってきて、帰ったその時から来週が待ち遠しいといった状況です。 「あばたもえくぼ」といいますが何をしてても可愛いと思います。一週間ごとに何か次のステップに進んでいる。それが楽しみです。少し前、やっとハイハイまがいの動きをしていたかと思ったら、翌週、ハイハイとまでいかなくて胴体が床から離れずバタフライの泳法を駆使したハイハイにこぎつけ、次の週には完ぺきなハイハイをしていました。冷静になれば当たり前のことですが、あたかも特殊な技でもマスターしたような騒ぎでギャラリーは勝手に盛り上がっています。 この年齢にして異性を意識しているのか女性に関心があると見えて私と妻がいると私をしかとして妻のほうに愛嬌を振りまいています。妻はそれを誇らしく鼻高々にしています。しかしいつも抱っこして寝かせるのは私の役目です。あくびをしたり、ぼんやりしてくるといつも抱っこします。極力胸と胸を合わせ、私の肩の上に孫の顔を載せるような態勢でゆっくり揺らしながら、トントンをしていると必ず動きが止まって肩の上の顔がもたれかかるような感触になります。時には30分くらい抱っこしている時もありますが、基本的に寝るまでは降ろさないつもりで寝かしつけます。そういった恩を感じること無く私と妻との選択を迫られると必ず妻のほうに軍配が上がります。今回はつかまり立ちから手を添えながらの歩行までクリアーしています。

ドラマの時期:
2020年
6月
--日
文字数:1791
投稿時の年齢:70

私とシロアリとの果てしない戦いは?

6年前の夏のことです。築30年の我が家に初めて羽アリが発生し、シロアリの存在が確認されました。 これは一大事だと、慌てて、シロアリ駆除業者に依頼し、現調をお願いしました。立て続けに3社が現調に来て、床下収納庫を取り外し床下に潜りシロアリの発生状況を調査してくれました。 いずれもシロアリが1か所の基礎下から這い上がり土台を経由して上に向かっているとの見立てでした。 このまま業者に任せればよかったのですが、この目で確認したいという衝動にかられ、それが高じてこの手で退治しようというとんでもない決断をしてしまいました。 ちょうど定年退職し、次の仕事まで間があり暇をもてあましておりましたので、格好のレクリエーションになりました。 まず、戦う前の下準備です。 床下のスペースは狭く、這うことすらできません。ほふく前進あるのみです。向きを変えることもできません。前進したら帰りはそのままあとずさりです。ですから、つなぎの服が必要です 床下は薄暗く、虫の死骸、木材のきれっぱし、コンクリートのかけら、新聞紙・チラシなどの紙類、それらが埃まみれの状態で散在しています。ですから、防塵マスク・ヘッドライト・ゴーグル・被り帽子を揃えました。 さらに、重要なのは掃除機です。床下のコンクリート土間上をまず掃除し、最も大事な仕事である「シロアリの掃除機による吸引」です。 いよいよ、つなぎを着て床下に潜入です。床下収納庫を外し中に入ります。そこには初めての世界が広がっていました。そこから、体をどのように曲げたり伸ばしたりしてよいのか見当がつきません。長い間の生活習慣で床に這いつくばるという行為に抵抗感があります。しかも、床下は束石があったり木の桟が縦横に高さを変えながら配置されていて通過するための難所がいくつかあります。シロアリにたどり着く前に断念しそうです。 しかしながら、腹ばいになって動くコツもだんだん習得し上方をのぞきたいときには体を半回転し仰向けになります。「胃のレントゲン撮影時こういう動きを求められるな」と思いながら、床下での活動に見合った動きができるようになりました。 シロアリは目前でした。 事前の情報通り、潜入か所から数メートルのところにある立ち上がり配管に蟻道と呼ばれるシロアリの通り道がありました。それはうまくルートを作りながら土台から造作材へと続いていました。 その蟻道をつついてみました。 いました。いました。おびただしい数のシロアリがいました。光に弱いと見えて、蟻道を破壊して姿が露呈するとたちまち隠れようとして右往左往します。それを掃除機で吸い取ります。視界にある蟻道をすべて破壊し出てきたシロアリを掃除機にて吸い取りさらに、隠れたであろう土台上及び土間のコンクリートの隙間に駆除剤を振り撒きました。 一日の作業は終わりました。 といっても、1回の稼働時間は10分程度です。帽子・メガネ・防塵マスク・首にタオル・つなぎ服のいでたちで暑さと酸素不足で苦しくなってきます。床下で呼吸困難になったら帰還できません。そんなリスクを背負いながら必死に闘っています。 ふと、シロアリと格闘している自分を想像しました。どんな顔をして掃除機で吸っているんだろう?どんな目をして駆除スプレーをかけているんだろう? 次の日、またどこかに蟻道を作っているだろうかと興味津々で床下に潜りました。案の定、昨日とは異なるルートで蟻道が構築されていました。そして、その中をせっせとアリたちは群れを成して行進しています。私が破壊したものを一晩で築き上げていることに敬意を表するとともにこの戦いは長期戦になると覚悟しました。 何回か繰り返しているうちにありの侵入箇所は1か所であることに気が付きました。 木造の家屋で床下は防湿コンクリートといって土のままだと湿気が上がってくるのを防ぐために土間にコンクリートを流しています。構造的なものではないので、ただ均してあるだけの粗末なものです。その中に様々な種類の配管が立ち上がっていてその1か所に土が見えるほどの隙間がありました。 彼らはそこから侵入していたのです。 ならば、そこを塞ぐことによって進入路を断つことができると考えました。この戦いを通して賢くなった私は 「ここを塞いでも、また他の穴を見つけて入ってくるに違いない」 「ならば、先回りしてコンクリートを見渡し,そういった隙間をことごとく塞げば、絶対に封じ込める」と確信しました。 「言うは易く行うは難し」とはよく言ったものです。 這いつくばっての作業は困難を極めました。大きい隙間はモルタルで、小さい隙間はコーキングで。これらは通常の環境では簡単な作業です。しかしここは床下の狭いスペースです。 モルタルを載せた板をもっていく事さえ至難の業です。悪戦苦闘の末、見たところ隙間はすべて塞ぎました。 「これで、もう入れないだろう!」と勝ち誇った気分でした。

ドラマの時期:
2016年
7月
--日
文字数:2608
投稿時の年齢:70

「これで帰って」と、出された巨峰の苦い味

私と田中さんが出会ったのは小学校の時でした。田中さんが6年生、私が5年生でした。運動会で男子のマスゲームで組体操をした時、二人組のペアを組みました。彼は野球少年でスポーツ万能でした。私は勉強ばかりしている運動音痴でした。案の定、私のせいで一つ一つの技が決まりません。それでも、彼は優しく、丁寧に教えてくれました。そんな事があって、私は彼を中学卒業まで兄貴のように慕っていました。しかし、高校からは別々の道を歩み、社会人になってからもしばらく会う事もありませんでした。 30年くらい経ちました。大人になってから初めて会う事がありました。会うなり当時にタイムスリップし嬉しさがこみ上げてきました。居酒屋に行き、カラオケに行き、深夜の車の中で、延々と語り合いました。それをきっかけに忙しい時間を調整して時折会って、家族の事、仕事の事を伝えあいました。 楽しい出来事がより楽しく、悲しく辛い事が緩和されて、明日への活力となりました。 そんなある日、彼ががんに侵されている事、完治は厳しい事を耳にしました。 家で療養していると聞いて、いつものように仕事帰りに顔を出しました。喜んでくれました。元気そうでした。私は何も知らない風を装いました。時間を忘れて話をしました。その時、彼のお母さんが、病気の彼にあまり無理はさせたくないと、ちらちら出てきては、「もうそろそろ…」と私を帰るように促しますが彼はそれを遮ります。私を帰したくない思いが伝わりました。これで帰ってと言わんばかりに大きな巨峰を持ってきてくれて二人で食べました。お暇するしかありませんでした。

ドラマの時期:
2007年
10月
--日
文字数:881
投稿時の年齢:70

私の信じている事

私のなかに30余年の間熟成された英雄像があります その英雄の名前は、“ゴルビー”ことソビエト連邦最初で最後の大統領「ミハイル・ゴルバチョフ」です。 残念ながら、ロシアのウクライナ侵攻の終息を見ることなく、2022年8月30日亡くなりました。 世界中の誰もがこの名を知っている、歴史上欠くことのできない人物です。彼の功績はあまりにも大きい。 国内にあってはグラスノスチ(情報公開)・ペレストロイカを推進し、帝政ロシアの圧政に抑圧されていた国民に自由をもたらし、対外的にも新思考外交により、当時のアメリカ合衆国ブッシュ大統領との間で交わした冷戦終結宣言に至ります。(マルタ会談)。 さらに、その流れは東欧諸国に波及し、ベルリンの壁の崩壊につながります。 そして、1990年、冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化に対してノーベル平和賞が贈られました。当時のゴルビー人気は世界中を席巻しました。 しかし、西欧諸国で絶大な人気を博したゴルビーの国内での評価はよくありません。就任当初を除いて在任中から不人気であり続けました。「偉大で強い古き良き時代(スターリン・ブレジネフ時代のこと)であったソ連を崩壊させた」、「アメリカに魂を売った売国奴」と揶揄されています。さらに、飲酒制限政策を展開したことにより、酒好きのロシア人からさらなる反感を買ってしまいました。 彼に対する評価は様々です。それは情報を発信する側の主観でいかようにも報道されます。時には英雄にもなり時には野心家にもなり、また敗北者にもなります。

ドラマの時期:
1987年
--月
--日
文字数:1666
投稿時の年齢:70

企業の社会的責任とは?

最近、といってもここ数年、気になっていることがあります。 私が住む街には工業団地がいくつかあります。その中には全国区の企業も何社か入っています。これらの企業は街の財政に寄与するとともに雇用の創出をもたらしてくれています。 いわば、私たちにとってありがたい企業です。 私はその中の一つの工業団地を毎日の散歩コースとしています。そこにはそれこそ誰もが知る大手企業の工場があります。 ふと気が付くと、その建物は汚れが目立ちそれを改修するでもなく、さらに正面玄関のキャッチコピーを掲げた社名看板も水洗いするだけでもきれいになるだろうなと思う程、手が加えられていません。極めつけは、道路側の植栽が荒れ放題で道路に進出しているほどです。 思わず、どうしたんだろう?と。 工場は普通に稼働しています。閉鎖されている様子はありません。 工場で働く人たちがこの現状を知らない訳がありません。 工場長は何をしているんだろう?  本社はこの事に気が付いているのだろうか? 業績が思わしくなく、それどころではないのかな? 何故?この状態に危機感を感じていないのだろうか?と。

ドラマの時期:
1974年
--月
--日
文字数:1450
投稿時の年齢:70
AGE

73

Autobiography

仕組まれた「天使の微笑(ほほえみ)」

70歳男性です。まだまだしっかり働きたいのですが、妻の要請により在宅を余儀なくされ、それでもようやく最近、週3日という条件付きで働きに出ています。今、水を得た魚のように泳いでいます。 子供は4人ですが、長男は結婚して家にいて、娘二人は結婚して隣り街に住んでいます。次男はそろそろ結婚かというところです。それぞれに子供が一人ずつで大学2年生、小学1年生、3歳の3人の孫がいます。 2年前の事です。 当時、11か月の男の子にはまっていました。。娘はまだ育休期間で退屈しているのか1週間に1度は彼を連れて来ます。チャイルドシートに乗せられるようになってからもう半年にはなります。だんだん情が移ってきて、帰ったその時から来週が待ち遠しいといった状況です。 「あばたもえくぼ」といいますが何をしてても可愛いと思います。一週間ごとに何か次のステップに進んでいる。それが楽しみです。少し前、やっとハイハイまがいの動きをしていたかと思ったら、翌週、ハイハイとまでいかなくて胴体が床から離れずバタフライの泳法を駆使したハイハイにこぎつけ、次の週には完ぺきなハイハイをしていました。冷静になれば当たり前のことですが、あたかも特殊な技でもマスターしたような騒ぎでギャラリーは勝手に盛り上がっています。 この年齢にして異性を意識しているのか女性に関心があると見えて私と妻がいると私をしかとして妻のほうに愛嬌を振りまいています。妻はそれを誇らしく鼻高々にしています。しかしいつも抱っこして寝かせるのは私の役目です。あくびをしたり、ぼんやりしてくるといつも抱っこします。極力胸と胸を合わせ、私の肩の上に孫の顔を載せるような態勢でゆっくり揺らしながら、トントンをしていると必ず動きが止まって肩の上の顔がもたれかかるような感触になります。時には30分くらい抱っこしている時もありますが、基本的に寝るまでは降ろさないつもりで寝かしつけます。そういった恩を感じること無く私と妻との選択を迫られると必ず妻のほうに軍配が上がります。今回はつかまり立ちから手を添えながらの歩行までクリアーしています。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月19日
ドラマの時期:
2020年
--日
文字数:1791

私とシロアリとの果てしない戦いは?

6年前の夏のことです。築30年の我が家に初めて羽アリが発生し、シロアリの存在が確認されました。 これは一大事だと、慌てて、シロアリ駆除業者に依頼し、現調をお願いしました。立て続けに3社が現調に来て、床下収納庫を取り外し床下に潜りシロアリの発生状況を調査してくれました。 いずれもシロアリが1か所の基礎下から這い上がり土台を経由して上に向かっているとの見立てでした。 このまま業者に任せればよかったのですが、この目で確認したいという衝動にかられ、それが高じてこの手で退治しようというとんでもない決断をしてしまいました。 ちょうど定年退職し、次の仕事まで間があり暇をもてあましておりましたので、格好のレクリエーションになりました。 まず、戦う前の下準備です。 床下のスペースは狭く、這うことすらできません。ほふく前進あるのみです。向きを変えることもできません。前進したら帰りはそのままあとずさりです。ですから、つなぎの服が必要です 床下は薄暗く、虫の死骸、木材のきれっぱし、コンクリートのかけら、新聞紙・チラシなどの紙類、それらが埃まみれの状態で散在しています。ですから、防塵マスク・ヘッドライト・ゴーグル・被り帽子を揃えました。 さらに、重要なのは掃除機です。床下のコンクリート土間上をまず掃除し、最も大事な仕事である「シロアリの掃除機による吸引」です。 いよいよ、つなぎを着て床下に潜入です。床下収納庫を外し中に入ります。そこには初めての世界が広がっていました。そこから、体をどのように曲げたり伸ばしたりしてよいのか見当がつきません。長い間の生活習慣で床に這いつくばるという行為に抵抗感があります。しかも、床下は束石があったり木の桟が縦横に高さを変えながら配置されていて通過するための難所がいくつかあります。シロアリにたどり着く前に断念しそうです。 しかしながら、腹ばいになって動くコツもだんだん習得し上方をのぞきたいときには体を半回転し仰向けになります。「胃のレントゲン撮影時こういう動きを求められるな」と思いながら、床下での活動に見合った動きができるようになりました。 シロアリは目前でした。 事前の情報通り、潜入か所から数メートルのところにある立ち上がり配管に蟻道と呼ばれるシロアリの通り道がありました。それはうまくルートを作りながら土台から造作材へと続いていました。 その蟻道をつついてみました。 いました。いました。おびただしい数のシロアリがいました。光に弱いと見えて、蟻道を破壊して姿が露呈するとたちまち隠れようとして右往左往します。それを掃除機で吸い取ります。視界にある蟻道をすべて破壊し出てきたシロアリを掃除機にて吸い取りさらに、隠れたであろう土台上及び土間のコンクリートの隙間に駆除剤を振り撒きました。 一日の作業は終わりました。 といっても、1回の稼働時間は10分程度です。帽子・メガネ・防塵マスク・首にタオル・つなぎ服のいでたちで暑さと酸素不足で苦しくなってきます。床下で呼吸困難になったら帰還できません。そんなリスクを背負いながら必死に闘っています。 ふと、シロアリと格闘している自分を想像しました。どんな顔をして掃除機で吸っているんだろう?どんな目をして駆除スプレーをかけているんだろう? 次の日、またどこかに蟻道を作っているだろうかと興味津々で床下に潜りました。案の定、昨日とは異なるルートで蟻道が構築されていました。そして、その中をせっせとアリたちは群れを成して行進しています。私が破壊したものを一晩で築き上げていることに敬意を表するとともにこの戦いは長期戦になると覚悟しました。 何回か繰り返しているうちにありの侵入箇所は1か所であることに気が付きました。 木造の家屋で床下は防湿コンクリートといって土のままだと湿気が上がってくるのを防ぐために土間にコンクリートを流しています。構造的なものではないので、ただ均してあるだけの粗末なものです。その中に様々な種類の配管が立ち上がっていてその1か所に土が見えるほどの隙間がありました。 彼らはそこから侵入していたのです。 ならば、そこを塞ぐことによって進入路を断つことができると考えました。この戦いを通して賢くなった私は 「ここを塞いでも、また他の穴を見つけて入ってくるに違いない」 「ならば、先回りしてコンクリートを見渡し,そういった隙間をことごとく塞げば、絶対に封じ込める」と確信しました。 「言うは易く行うは難し」とはよく言ったものです。 這いつくばっての作業は困難を極めました。大きい隙間はモルタルで、小さい隙間はコーキングで。これらは通常の環境では簡単な作業です。しかしここは床下の狭いスペースです。 モルタルを載せた板をもっていく事さえ至難の業です。悪戦苦闘の末、見たところ隙間はすべて塞ぎました。 「これで、もう入れないだろう!」と勝ち誇った気分でした。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月08日
ドラマの時期:
2016年
--日
文字数:2608

「これで帰って」と、出された巨峰の苦い味

私と田中さんが出会ったのは小学校の時でした。田中さんが6年生、私が5年生でした。運動会で男子のマスゲームで組体操をした時、二人組のペアを組みました。彼は野球少年でスポーツ万能でした。私は勉強ばかりしている運動音痴でした。案の定、私のせいで一つ一つの技が決まりません。それでも、彼は優しく、丁寧に教えてくれました。そんな事があって、私は彼を中学卒業まで兄貴のように慕っていました。しかし、高校からは別々の道を歩み、社会人になってからもしばらく会う事もありませんでした。 30年くらい経ちました。大人になってから初めて会う事がありました。会うなり当時にタイムスリップし嬉しさがこみ上げてきました。居酒屋に行き、カラオケに行き、深夜の車の中で、延々と語り合いました。それをきっかけに忙しい時間を調整して時折会って、家族の事、仕事の事を伝えあいました。 楽しい出来事がより楽しく、悲しく辛い事が緩和されて、明日への活力となりました。 そんなある日、彼ががんに侵されている事、完治は厳しい事を耳にしました。 家で療養していると聞いて、いつものように仕事帰りに顔を出しました。喜んでくれました。元気そうでした。私は何も知らない風を装いました。時間を忘れて話をしました。その時、彼のお母さんが、病気の彼にあまり無理はさせたくないと、ちらちら出てきては、「もうそろそろ…」と私を帰るように促しますが彼はそれを遮ります。私を帰したくない思いが伝わりました。これで帰ってと言わんばかりに大きな巨峰を持ってきてくれて二人で食べました。お暇するしかありませんでした。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月10日
ドラマの時期:
2007年
--日
文字数:881

私の信じている事

私のなかに30余年の間熟成された英雄像があります その英雄の名前は、“ゴルビー”ことソビエト連邦最初で最後の大統領「ミハイル・ゴルバチョフ」です。 残念ながら、ロシアのウクライナ侵攻の終息を見ることなく、2022年8月30日亡くなりました。 世界中の誰もがこの名を知っている、歴史上欠くことのできない人物です。彼の功績はあまりにも大きい。 国内にあってはグラスノスチ(情報公開)・ペレストロイカを推進し、帝政ロシアの圧政に抑圧されていた国民に自由をもたらし、対外的にも新思考外交により、当時のアメリカ合衆国ブッシュ大統領との間で交わした冷戦終結宣言に至ります。(マルタ会談)。 さらに、その流れは東欧諸国に波及し、ベルリンの壁の崩壊につながります。 そして、1990年、冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化に対してノーベル平和賞が贈られました。当時のゴルビー人気は世界中を席巻しました。 しかし、西欧諸国で絶大な人気を博したゴルビーの国内での評価はよくありません。就任当初を除いて在任中から不人気であり続けました。「偉大で強い古き良き時代(スターリン・ブレジネフ時代のこと)であったソ連を崩壊させた」、「アメリカに魂を売った売国奴」と揶揄されています。さらに、飲酒制限政策を展開したことにより、酒好きのロシア人からさらなる反感を買ってしまいました。 彼に対する評価は様々です。それは情報を発信する側の主観でいかようにも報道されます。時には英雄にもなり時には野心家にもなり、また敗北者にもなります。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年11月02日
ドラマの時期:
1987年
--月
--日
文字数:1666

企業の社会的責任とは?

最近、といってもここ数年、気になっていることがあります。 私が住む街には工業団地がいくつかあります。その中には全国区の企業も何社か入っています。これらの企業は街の財政に寄与するとともに雇用の創出をもたらしてくれています。 いわば、私たちにとってありがたい企業です。 私はその中の一つの工業団地を毎日の散歩コースとしています。そこにはそれこそ誰もが知る大手企業の工場があります。 ふと気が付くと、その建物は汚れが目立ちそれを改修するでもなく、さらに正面玄関のキャッチコピーを掲げた社名看板も水洗いするだけでもきれいになるだろうなと思う程、手が加えられていません。極めつけは、道路側の植栽が荒れ放題で道路に進出しているほどです。 思わず、どうしたんだろう?と。 工場は普通に稼働しています。閉鎖されている様子はありません。 工場で働く人たちがこの現状を知らない訳がありません。 工場長は何をしているんだろう?  本社はこの事に気が付いているのだろうか? 業績が思わしくなく、それどころではないのかな? 何故?この状態に危機感を感じていないのだろうか?と。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月26日
ドラマの時期:
1974年
--月
--日
文字数:1450