企業の社会的責任とは?

最近、といってもここ数年、気になっていることがあります。
私が住む街には工業団地がいくつかあります。その中には全国区の企業も何社か入っています。これらの企業は街の財政に寄与するとともに雇用の創出をもたらしてくれています。
いわば、私たちにとってありがたい企業です。

私はその中の一つの工業団地を毎日の散歩コースとしています。そこにはそれこそ誰もが知る大手企業の工場があります。

ふと気が付くと、その建物は汚れが目立ちそれを改修するでもなく、さらに正面玄関のキャッチコピーを掲げた社名看板も水洗いするだけでもきれいになるだろうなと思う程、手が加えられていません。極めつけは、道路側の植栽が荒れ放題で道路に進出しているほどです。
思わず、どうしたんだろう?と。
工場は普通に稼働しています。閉鎖されている様子はありません。
工場で働く人たちがこの現状を知らない訳がありません。
工場長は何をしているんだろう? 
本社はこの事に気が付いているのだろうか?
業績が思わしくなく、それどころではないのかな?
何故?この状態に危機感を感じていないのだろうか?と。


私は、48年前大学生でした。建築科で都市計画を専攻し、卒論に取り組んでいました。
そのテーマが「既成市街地における工場収容形態」でした。
1970年代、都内の下町では家内工業が盛んで「職住近接」という必然性から地方に移転することは出来ず、その受け皿となる「工場団地」が都内各所に出現しました。
そんな住宅地から逃れてきた工場がそこでかろうじて生産活動を継続することができました。
しかし、公害問題が全国的に大きな関心事となり、大気汚染防止法・水質汚濁防止法等の規制が徐々に厳しくなりました。
そういった社会状況の中で、その工場団地でそれぞれの工場主はどのような展望を持ち
どこに行こうとしているのかを調査しこれからの工場の在り方を模索しました。
所詮、家内工業にあって、移転という選択肢はありませんでした。その地で存続できなければ廃業です。その中で、家内工業から少しずつ従業員を増やし躍進する企業は真剣に地方の近場の工業団地への移転を検討し始め、実際に移転した企業もありました。
まさに、「既成市街地の工場団地」から「地方の工業団地」へ移転が加速していく時だったのかもしれません。
いわゆる「工業団地」は、当該地域における共存共栄を目指し、生産性の向上だけでなく、公害問題への真摯な取り組みを余儀なくされていました。
その当時、よく使用された言葉が「企業の社会的責任」です。
そこには、大気汚染・水質汚濁等の防止、振動・騒音に対する抑制策、物流の動向に対する安全対策等のマイナス面の除去だけでなく、地域住民の雇用の創出・地域ぐるみのイベント開催等のプラスの側面も含まれていました。

そこで私は、冒頭で取り上げた企業に物申す。
私たちの街にこんな企業が来てくれたことを誇れる存在であって欲しい。
子どもたちが「大きくなったらあの会社で働きたい」と思ってもらえるような企業であっていただきたい。
草が生い茂っているから。建物が汚れているから。看板の文字がくすんでいるから。
これらの事でその企業の在り様を否定するわけではありません。ただ、ちょっとしたことに気づきが欲しい。気を配れる企業であっていただきたい。そう思います。
それが一つの「企業の社会的責任」ではないでしょうか!。

管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:2022年10月26日
ドラマの時期:
1974年
--月
--日
文字数:1450

筆者紹介

現在70歳の高齢者です。現役時代は「家庭を守る」「家族を守る」という大義名分の中で埋没していた自己が今自由自在に飛び回っています。仕事もしていますが、やりたいように、言いたいように活きています。
出会いを大切にしています。人と大いに絡みながら高め合っていけたら素晴らしいと考えます
それは家族であり、友達であり、仕事関係の人であったり、老いてからの知人もいます。
関わることで、何らかの力になったりなってもらったり寄り添える人間関係でいたいと思います。
趣味は掃除です。特に浴室の掃除は一年365日欠かしたことはありません。基本は化学的手法より物理的手法を好みます。結果としてよりきれいになることより、耐久性を重視します。それは薬液処理よりもこすり洗いの方が壁・床・浴槽の変色等のリスクが少ないという事です。
発端は、リタイア後、妻の喜ぶことをしようとして思い立ったのがこれでした。妻はお風呂好きで毎日の楽しみとしています。長い間お世話になった恩返しにせめてきれいなピカピカ?の
お風呂に入れてあげたいとの想いでした。

企業の社会的責任とは?

最近、といってもここ数年、気になっていることがあります。
私が住む街には工業団地がいくつかあります。その中には全国区の企業も何社か入っています。これらの企業は街の財政に寄与するとともに雇用の創出をもたらしてくれています。
いわば、私たちにとってありがたい企業です。

私はその中の一つの工業団地を毎日の散歩コースとしています。そこにはそれこそ誰もが知る大手企業の工場があります。
ふと気が付くと、その建物は汚れが目立ちそれを改修するでもなく、さらに正面玄関のキャッチコピーを掲げた社名看板も水洗いするだけでもきれいになるだろうなと思う程、手が加えられていません。極めつけは、道路側の植栽が荒れ放題で道路に進出しているほどです。
思わず、どうしたんだろう?と。
工場は普通に稼働しています。閉鎖されている様子はありません。
工場で働く人たちがこの現状を知らない訳がありません。
工場長は何をしているんだろう? 
本社はこの事に気が付いているのだろうか?
業績が思わしくなく、それどころではないのかな?
何故?この状態に危機感を感じていないのだろうか?と。

私は、48年前大学生でした。建築科で都市計画を専攻し、卒論に取り組んでいました。
そのテーマが「既成市街地における工場収容形態」でした。
1970年代、都内の下町では家内工業が盛んで「職住近接」という必然性から地方に移転することは出来ず、その受け皿となる「工場団地」が都内各所に出現しました。
そんな住宅地から逃れてきた工場がそこでかろうじて生産活動を継続することができました。
しかし、公害問題が全国的に大きな関心事となり、大気汚染防止法・水質汚濁防止法等の規制が徐々に厳しくなりました。
そういった社会状況の中で、その工場団地でそれぞれの工場主はどのような展望を持ち
どこに行こうとしているのかを調査しこれからの工場の在り方を模索しました。
所詮、家内工業にあって、移転という選択肢はありませんでした。その地で存続できなければ廃業です。その中で、家内工業から少しずつ従業員を増やし躍進する企業は真剣に地方の近場の工業団地への移転を検討し始め、実際に移転した企業もありました。
まさに、「既成市街地の工場団地」から「地方の工業団地」へ移転が加速していく時だったのかもしれません。
いわゆる「工業団地」は、当該地域における共存共栄を目指し、生産性の向上だけでなく、公害問題への真摯な取り組みを余儀なくされていました。
その当時、よく使用された言葉が「企業の社会的責任」です。
そこには、大気汚染・水質汚濁等の防止、振動・騒音に対する抑制策、物流の動向に対する安全対策等のマイナス面の除去だけでなく、地域住民の雇用の創出・地域ぐるみのイベント開催等のプラスの側面も含まれていました。

そこで私は、冒頭で取り上げた企業に物申す。
私たちの街にこんな企業が来てくれたことを誇れる存在であって欲しい。
子どもたちが「大きくなったらあの会社で働きたい」と思ってもらえるような企業であっていただきたい。
草が生い茂っているから。建物が汚れているから。看板の文字がくすんでいるから。
これらの事でその企業の在り様を否定するわけではありません。ただ、ちょっとしたことに気づきが欲しい。気を配れる企業であっていただきたい。そう思います。
それが一つの「企業の社会的責任」ではないでしょうか!。
管理的業務従事者
投稿時の年齢:70
千葉
投稿日時:
2022年10月26日
ドラマの時期:
1974年
--月
--日
文字数:1450

筆者紹介

現在70歳の高齢者です。現役時代は「家庭を守る」「家族を守る」という大義名分の中で埋没していた自己が今自由自在に飛び回っています。仕事もしていますが、やりたいように、言いたいように活きています。
出会いを大切にしています。人と大いに絡みながら高め合っていけたら素晴らしいと考えます
それは家族であり、友達であり、仕事関係の人であったり、老いてからの知人もいます。
関わることで、何らかの力になったりなってもらったり寄り添える人間関係でいたいと思います。
趣味は掃除です。特に浴室の掃除は一年365日欠かしたことはありません。基本は化学的手法より物理的手法を好みます。結果としてよりきれいになることより、耐久性を重視します。それは薬液処理よりもこすり洗いの方が壁・床・浴槽の変色等のリスクが少ないという事です。
発端は、リタイア後、妻の喜ぶことをしようとして思い立ったのがこれでした。妻はお風呂好きで毎日の楽しみとしています。長い間お世話になった恩返しにせめてきれいなピカピカ?の
お風呂に入れてあげたいとの想いでした。