好きなことをして生きるということ
好きなことを仕事にする、誰もが望み憧れることでしょう。
もし実現できればこれ以上幸せなことはありません。
私は音楽が好きなので、若い頃は音楽家になりたいと思っていましたが、これはかなわない夢でした。
中学生の頃からブラスバンドで担当していたクラリネットで音楽の大学に進み、更には大学院の修士課程まで行きましたが、6年間でコンクールの類は一切通らず、挙げ句には定職にも就けないという挫折を味わい、お世話になった先生達を失望させてしまいました。
今でもこの頃のことを思い出すと恥ずかしく、申し訳ない気持ちになります。
それでは何故私の夢はかなわなかったのでしょうか?
これにはいくつかの理由があると考えています。
一つには努力、根性が足りなかったことです。
楽器の演奏家というのは、ある意味スポーツのアスリートに似ています。
どれだけ頭の中に良い音楽のイメージを持っていたとしても、それを実際に音にするのは肉体の力です。
プロの演奏家になりたいのであれば、一日も休まずに己の身体を鍛え続ける必要があり、これがいわゆる基礎練習なのですが、私はこれが嫌いでした。
もう一つは、クラシックというジャンルの音楽に理解と愛情が足りなかったことです。
ロックやジャズと比べてクラシック音楽が決定的に違うのは、演奏家は作曲家が書いた曲を演奏するということであり、自分がこう演奏したいという望みよりも、作曲家の意図を優先しなければいけません。
また、特に時代の古いクラシック音楽には、100年以上も演奏され続ける間に積み重ねられたスタイル(様式)のようなものがあり、この作曲家のこの音符はこういう風に演奏する、というようなものが演奏家の間では暗黙の了解事になっています。
私にはこれらのことが全く理解できていませんでした。
そもそも「音楽家になりたいと思っていた」と最初に書きましたが、当時の私はその意味が十分にわかっていなかったのでしょう。
先生達は、生徒が職業としてクラシック音楽で生きていくことを前提に指導をして下さいます。
ですが私は、本当に好きな音楽はジャズやロックだけれどもそれらの音楽は学校で学べないから、楽器やジャンルはなんでも良いから音楽の学校へ行ければ、という程度に考えていました。
そんな甘い考え方では、好きなことで生きていくのは無理なんですね。
では、6年間音楽の学校で学んだことは全て無駄だったのでしょうか?
実は、私はそうは思っていません。
楽器のレッスンや音楽の歴史、理論を継続的に学んだ結果、もともと大好きだったクイーン、レッド・ツェッペリン、チャーリー・パーカーといった音楽の全てが私の中でより一層輝き始めましたし、クラシック音楽も興味を持って聴くようになりました。
そして何よりも、駄目な私のことを、非常に厳しくも暖かく、根気強く指導して下さった先生達には感謝しかありません。
この音楽大学、大学院での6年間の体験は、私の甘えた心根に対する厳しい戒めであると同時に、これから生きていく上での暖かい支えになっているのです。
はじめまして、茨城在住の54歳男性です。
中学生の頃から音楽が大好きで、部活のブラスバンド、友人とのロックバンド、大学に入ってからはジャズのビッグバンド、と経験した挙げ句に音楽家を目指して音大に入り直したりしましたが夢はかなわず・・結局歳だけとってしまい、恥ずかしい人生をおくっております。
こんな私にも人生の大切な思い出はいくつかありますし、将来自分で読み返すことがあれば楽しいかなぁ、なんて思います。
よろしくお願いします。
好きなことをして生きるということ