親父の曲がった指
父は、運送会社を経営していた。自宅の庭は車庫であり、オート三輪が6台ほど留まっているのが当たり前の景色だった。車庫には2本のドラム缶があって、片方は新しいエンジンオイル、もう片方はオイル交換した後の廃油入れだった。荷台に荷物を固定するためのロープが常にうず高く積まれていた。オイルと排ガスの匂いが、父の仕事場のにおいだった。
父の会社を継いだのは、28歳になってからだった。留学して、好きな仕事に就いて数年。それらを全て捨てて、継いだ。義務や定めと言うよりは、それが浮世の義理、人の道だと思っていた。最初は、嫌で仕方なかった。跡継ぎとは言え、現場仕事の定石は、まず現場からだ。当然、助手、運転手と、仕事を覚えていった。『遅いぞ』『荷物を丁寧に扱え』、当たり前だがお客様は神様だ、理不尽な文句には笑顔。『ありがとう』『ご苦労様』労いの言葉には感謝。大人にさせてもらった。それでも、仕事は嫌いだった。やがて、管理者の立場になって、子供の頃から訊けずにいた父の曲がった指のことを訊いた。『親父の人差し指、なんでが曲がってるんだ?』
口数の少ない強面の親父は、ぶっきらぼうに答えた。『積荷の鉄板で挟んでな、先っちょが取れそうなった。届け先が待ってるから、手ぬぐいで巻いて届けたんだ。それから医者に行ったらこんな具合になった』。運送屋は嫌いな仕事だったが、誇りに思えた。なにかにつけ煙たいクソ親父だったが、信頼ということの大切さを教わった瞬間だった。
思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。
親父の曲がった指