トヨダくんの出来心と勇気の教え
理科の実験の授業があった日のことです。あれはカエルだったか、鯉であったか、記憶が曖昧になってしまうほどに昔の日のお話ですが、今でも鮮明に覚えている、その日の出来事があります。生き物と刃物を扱う刺激の強い授業のあとだったせいか、クラスの皆が興奮気味に、思い思いの感想を話しながら、実験室から普段の教室へと戻りました。いつもの席に座っても、まだざわつきの治まらない教室に担任の先生が入って来ました。いつも楽しい話で皆を笑わせてクラスをまとめる先生の顔は、その時はいつになく険しいものでした。
『みんな、目をつぶって、先生の話を聞いてください』という、冷静で落ち着いたトーンの先生の声は大人の威厳に満ちていて、噛んで含めるような言葉の運びに、重々しさと、なにかしら深刻な事態を感じたのは、ほかの皆も同じだったと思います。クラスは水を打ったように静まり返りました。おそらく、生徒の全員の様子を見渡されたのだと思うのですが、少しの間を置いて、先生が話されました。『実験室の前の手洗い場と、その先のいくつかの手洗い場の石鹸入れのネットが、切られていました。なにか鋭い刃物のようなもので切られたようです。だれか、なにか知っている人は、手を挙げて先生に教えてください』重苦しい空気が数秒流れた後で、先生はこう続けました『はい、それでは手を下げて、ゆっくり目をあけてください』。皆の手が下りているはずが、トヨダくんだけは手を挙げたままでした。野球チームの仲間でもあるわたしは、思わず『トヨダ、なにやってんだよ、もう手を下げていいんだよ』と、声をかけると彼は言いました。『俺がやったんだ。みんな、ごめん』。驚きが大き過ぎると、言葉が頭の中で空回りするんですね。その言葉の意味をすぐには理解できませんでした。
先生とトヨダくんは二人で教室を出て行って、しばらくして戻りました。そしていつもの愉快で楽しい先生といつものトヨダくんになっていました。その日の帰りの会で、先生が仰いました。『トヨダくんのしたいたずらは悪いことだけれど、勇気を出して正直に話してくれたことが先生は嬉しかったです』。誰にでも出来心の失敗は起こりえるものだと思います、人間ですから。そのこと自体は褒められたことではないけれど、間違いを認めて正直に話す勇気は大事なことなのだと、あの日のトヨダくんに教わりました。
思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。
トヨダくんの出来心と勇気の教え