電話ノムコウの温故知新

お正月に、大学生の子供と一緒に90年代初めころのテレビドラマを観ておりましたときの子供の何気ない一言でした、『この時代のドラマのほうが、ドラマチックだよね』。
言われてみれば、最近のドラマは設定や展開はドラマチックだけれど、心情の機微にあまり深さが感じられないような気がして、その理由を考えようとしていると、『携帯(電話)がない時代のほうが、相手との物理的な距離感があって、それを埋めるために相手のことを深く思っている気がする』子供がそう続けました。
その言葉に、私の若い頃、90年代をさらに遡ること10年、80年代初めのころにかけた一本の電話を思い出しました。

“中・高と男子校だから“と言い訳をしたくなるほどに、浮いた話のひとつもない、部活に明け暮れ、申し訳程度の勉強をして、といった男子校にありがちな中学・高校生活でしたが、大学では、晴れて共学のキャンパスライフを満喫することになったわけです。いやがおうにも期待が高まる大学一年生の自分でした。
高校時代の先輩の誘いもあって、大学でも米式蹴球部(アメリカンフットボール)に入りました。春の新人戦が過ぎ、夏の合宿が終わり、それでも一向に彼女ができる気配はまるでありませんでした。その秋の公式戦開始直前でした。練習試合中に膝を負傷してしまいました。テーピングで傷めた膝の応急処置をして、どうにかその試合を乗り切りましたが、膝の傷み具合は軽くはありませんでした。幸いなことに、アメフトのポジションごとの分業制や専門性の高さという特徴に助けられて、選手を続けることに大きな支障はありませんでした。
ある日、練習を終えて膝のアイシングをしていると、『膝、大丈夫ですか?』と、ひとりの女子マージャーから声をかけられました。妹や親戚以外の同世代の女性とまともに話すのは、小学校以来それが初めてでした。それから少しずつ話す機会が増えて、文化祭のキャンパスを一緒に歩く話になりました。グランド上でそんな話はできませんから、当然帰ってからの電話という運びになります。まだ携帯電話のない時代で、固定の家電が一般的でした。当然、誰が電話を取るかはわかりません。『どうか彼女が出ますように』と祈りつつ、心臓は緊張で爆発しそうでした。
案の定、最初に出たのは彼女の弟でした。『お姉ちゃん、彼氏から電話だよ~』、当時としては当たり前の”家電あるある”の状況です。

あの頃に比べると、現代はなにかと便利ですね。スマホでかける電話のむこうの相手は決まっていますし、ネット、ライン、お財布代わりなど、便利な機能やアプリが満載です。けれど、不便だったあのころにかけた一本の電話は、今思うとなにものにも変え難い、いい思い出です。
不便な時代のほうが良かったとは思いません。ただ、利便性の追求も必要なことだけれど、時に立ち止まって振り返って、不便さの中にあった豊かさ、便利さの中で失ったもの、そういったことを考えることも必要なのではないだろうかと、ふと思ったのです。

分類不能の職業
投稿時の年齢:54
千葉
投稿日時:2023年01月20日
ドラマの時期:
1980年
11月
--日
文字数:1244

筆者紹介

思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。

電話ノムコウの温故知新

お正月に、大学生の子供と一緒に90年代初めころのテレビドラマを観ておりましたときの子供の何気ない一言でした、『この時代のドラマのほうが、ドラマチックだよね』。
言われてみれば、最近のドラマは設定や展開はドラマチックだけれど、心情の機微にあまり深さが感じられないような気がして、その理由を考えようとしていると、『携帯(電話)がない時代のほうが、相手との物理的な距離感があって、それを埋めるために相手のことを深く思っている気がする』子供がそう続けました。
その言葉に、私の若い頃、90年代をさらに遡ること10年、80年代初めのころにかけた一本の電話を思い出しました。
“中・高と男子校だから“と言い訳をしたくなるほどに、浮いた話のひとつもない、部活に明け暮れ、申し訳程度の勉強をして、といった男子校にありがちな中学・高校生活でしたが、大学では、晴れて共学のキャンパスライフを満喫することになったわけです。いやがおうにも期待が高まる大学一年生の自分でした。
高校時代の先輩の誘いもあって、大学でも米式蹴球部(アメリカンフットボール)に入りました。春の新人戦が過ぎ、夏の合宿が終わり、それでも一向に彼女ができる気配はまるでありませんでした。その秋の公式戦開始直前でした。練習試合中に膝を負傷してしまいました。テーピングで傷めた膝の応急処置をして、どうにかその試合を乗り切りましたが、膝の傷み具合は軽くはありませんでした。幸いなことに、アメフトのポジションごとの分業制や専門性の高さという特徴に助けられて、選手を続けることに大きな支障はありませんでした。
ある日、練習を終えて膝のアイシングをしていると、『膝、大丈夫ですか?』と、ひとりの女子マージャーから声をかけられました。妹や親戚以外の同世代の女性とまともに話すのは、小学校以来それが初めてでした。それから少しずつ話す機会が増えて、文化祭のキャンパスを一緒に歩く話になりました。グランド上でそんな話はできませんから、当然帰ってからの電話という運びになります。まだ携帯電話のない時代で、固定の家電が一般的でした。当然、誰が電話を取るかはわかりません。『どうか彼女が出ますように』と祈りつつ、心臓は緊張で爆発しそうでした。
案の定、最初に出たのは彼女の弟でした。『お姉ちゃん、彼氏から電話だよ~』、当時としては当たり前の”家電あるある”の状況です。
あの頃に比べると、現代はなにかと便利ですね。スマホでかける電話のむこうの相手は決まっていますし、ネット、ライン、お財布代わりなど、便利な機能やアプリが満載です。けれど、不便だったあのころにかけた一本の電話は、今思うとなにものにも変え難い、いい思い出です。
不便な時代のほうが良かったとは思いません。ただ、利便性の追求も必要なことだけれど、時に立ち止まって振り返って、不便さの中にあった豊かさ、便利さの中で失ったもの、そういったことを考えることも必要なのではないだろうかと、ふと思ったのです。
分類不能の職業
投稿時の年齢:54
千葉
投稿日時:
2023年01月20日
ドラマの時期:
1980年
11月
--日
文字数:1244

筆者紹介

思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。