半分違って、半分同じ

家内は、イギリス出身。私は日本人。そこに新しい家族が加わるという幸運が訪れると、両方の背景を持つ子供が誕生します。両方ですから、ダブルなのですが、一般的には、ハーフと呼ばれることが多いですね。でも、半分というのは、どういうことでしょう。
ハーフジャパニーズというのはわからないでもないですが、それでも『いやいや、半分って、何?』と得心がいきません。
小学校、中学校は地元の学校でしたので、小さなころからの顔見知りの子供たち同士で、さほど大きな問題もなかったのですが、受験を経て高校生ともなると少し様相が変わりました。
お洒落に関心を持つ子、可愛い持ち物が気になる子、ファッション好きな子、それぞれに興味関心が芽生え、だんだんと髪の色や、瞳の色、顔かたち、違いが気になり始めます。

多感な年頃ですから、何気ない言動の中に、違いの押し付けを感じて、一人抱え込んでいたようでした。子供の通う学校には英語会話の授業を担当する、二人のイギリス人の先生がいらっしゃって、お二人とも日本人の女性と結婚されていて、小学校入学前のお子さんをお持ちであり、休み時間にはよく子供の話し相手になっていただいていたそうです。
ある日、子供のそんな悩みを聞いてくださって、先生はこう話されたそうです。
君は、東洋と西洋の両方の良いところを持っているんだ。例えるなら『テリヤキバーガー』だね。東洋の人にも、西洋の人にも、どちらの文化にも馴染むことができて、どちらの人からも愛される。ハンバーガーが苦手な人も、テリヤキなら大丈夫ということもある。僕もイギリスの両親もテリヤキバーガーが大好きだよ。
それに、君の目は、ひとつのことを日本人の見方とイギリス人の見方と、両方の見方とで見ることができるんだ。素晴らしい事だと思わないかい。
子供はその日、嬉しそうに、先生とのお話のことを話して聞かせてくれました。

違うものを違うと感じるのは当たり前のことですが、同じであることが当たり前という前提はどうでしょう。個々に違うのが当たり前という前提における“違う”と、同じのが当たり前という前提における“違う”は、同じ“違う”でもまったく違います。同じではないから“違う”という認識に潜む危険性が差別ではないでしょうか。
グローバル化が叫ばれて久しいけれど、語学力や国際情勢の理解の前に、違うことが当たり前であるという認識を持つことがグローバル化の基礎ではないだろうか。もちろん、自分の生まれ育った背景にある文化や価値観を大事に思い、確固たるセルフアイデンティティーを持たなければ自己の存在の意味がないと思います。ただ、それと同時に、自分とは違った、他のアイデンティティーを尊重する認識を持ってはじめてそのセルフアイデンティディーがグローバルの場で活かされるのではないだろうか。
その日以来、テリヤキバーガーを頬張りながら、そんなことを考えるようになりました。

分類不能の職業
投稿時の年齢:54
千葉
投稿日時:2023年01月30日
ドラマの時期:
2019年
--月
--日
文字数:1221

筆者紹介

思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。

半分違って、半分同じ

家内は、イギリス出身。私は日本人。そこに新しい家族が加わるという幸運が訪れると、両方の背景を持つ子供が誕生します。両方ですから、ダブルなのですが、一般的には、ハーフと呼ばれることが多いですね。でも、半分というのは、どういうことでしょう。
ハーフジャパニーズというのはわからないでもないですが、それでも『いやいや、半分って、何?』と得心がいきません。
小学校、中学校は地元の学校でしたので、小さなころからの顔見知りの子供たち同士で、さほど大きな問題もなかったのですが、受験を経て高校生ともなると少し様相が変わりました。
お洒落に関心を持つ子、可愛い持ち物が気になる子、ファッション好きな子、それぞれに興味関心が芽生え、だんだんと髪の色や、瞳の色、顔かたち、違いが気になり始めます。
多感な年頃ですから、何気ない言動の中に、違いの押し付けを感じて、一人抱え込んでいたようでした。子供の通う学校には英語会話の授業を担当する、二人のイギリス人の先生がいらっしゃって、お二人とも日本人の女性と結婚されていて、小学校入学前のお子さんをお持ちであり、休み時間にはよく子供の話し相手になっていただいていたそうです。
ある日、子供のそんな悩みを聞いてくださって、先生はこう話されたそうです。
君は、東洋と西洋の両方の良いところを持っているんだ。例えるなら『テリヤキバーガー』だね。東洋の人にも、西洋の人にも、どちらの文化にも馴染むことができて、どちらの人からも愛される。ハンバーガーが苦手な人も、テリヤキなら大丈夫ということもある。僕もイギリスの両親もテリヤキバーガーが大好きだよ。
それに、君の目は、ひとつのことを日本人の見方とイギリス人の見方と、両方の見方とで見ることができるんだ。素晴らしい事だと思わないかい。
子供はその日、嬉しそうに、先生とのお話のことを話して聞かせてくれました。

違うものを違うと感じるのは当たり前のことですが、同じであることが当たり前という前提はどうでしょう。個々に違うのが当たり前という前提における“違う”と、同じのが当たり前という前提における“違う”は、同じ“違う”でもまったく違います。同じではないから“違う”という認識に潜む危険性が差別ではないでしょうか。
グローバル化が叫ばれて久しいけれど、語学力や国際情勢の理解の前に、違うことが当たり前であるという認識を持つことがグローバル化の基礎ではないだろうか。もちろん、自分の生まれ育った背景にある文化や価値観を大事に思い、確固たるセルフアイデンティティーを持たなければ自己の存在の意味がないと思います。ただ、それと同時に、自分とは違った、他のアイデンティティーを尊重する認識を持ってはじめてそのセルフアイデンティディーがグローバルの場で活かされるのではないだろうか。
その日以来、テリヤキバーガーを頬張りながら、そんなことを考えるようになりました。
分類不能の職業
投稿時の年齢:54
千葉
投稿日時:
2023年01月30日
ドラマの時期:
2019年
--月
--日
文字数:1221

筆者紹介

思い出は、単なるノスタルジーではなく、これからの未来に向かって放たんとする矢をより正確に、より遠くに飛ばすために、深く、大きく、そして力強く轢くことで得られる、弓の力のようなもの。