好きなこととの出会い

私は大変な運動音痴で、小さい頃からスポーツ全般が大の苦手でした。
小学校の体育の授業で長距離走をすれば、他の生徒達とは周回遅れの差を付けられ、皆がゴールした後もしばらく一人で走り続けることになります。
これは当時の私にはとても屈辱的なことでした。
また、その頃は巨人軍の王選手がホームランの世界記録を更新したりしていた時期で(1977年9月に達成)、小学生の間では野球が大人気であり、友達との遊びも決まって野球でした。
しかし、運動音痴の私は飛んでくるボールが怖く、外野フライをほぼ全てヒットにしてしまうので、その度に仲間から○○のせいで試合に負けたなどと責められることになります。
そんな状況の中で、いつしかこの運動神経の低さがそのまま自分の価値の低さのような感覚に陥ってしまい、毎日がとても憂鬱でいつも下ばかり向いていました。

そんな小学校生活を送っていた私ですが、忘れもしない小学校三年生の時、始めて自分が本当に好きだと思うことに出会うことになります。
きっかけは、Gという若い男の先生が私のクラスの音楽の授業の担当になったことです。
この先生はとても優しくて、他の男の先生達のように威張っていませんでした。
また、授業に直接関係ないのにわざわざにトランペットを持ってきて吹いてくれるような先生で、本当に音楽が好きな感じが伝わってきて、優しさも相まって生徒達から慕われていました。

そんなある日、G先生の何回目かの音楽の授業で、リコーダーの「タンギング」の練習をすることになったのです。
「タンギング」とは、音楽用語で舌を使って音を切る(或いは発音する)ことで、リコーダーに限らず殆ど全ての管楽器で使われる非常に重要なテクニックです。

先生は「真っ直ぐの糸をイメージして、それにハサミでプツンと切れ目を入れていくように」と教えて下さって、生徒一人ずつ順番にタンギングをさせ個別にアドバイスを始めました。
この時、私はクラスメイト達の音を聴きながら「おや?」と思いました。
皆のタンギングは力が入り過ぎて音が濁っていたり、反対にちゃんと舌が使えておらず音が不明瞭だったりでどれも今一な感じに聞こえます。
「体を使うことはなんでも下手な私だけど、もしかするとこれだけは自分の方がずっと上手に出来ているのではないか」という予感がしました。

そして私の番が回ってくると、私は先生から教わった通り、真っ直ぐ伸びた自分の息に舌で切れ目を入れるように「トゥートゥートゥー」と吹いてみました。
何故かクラス中がシーンとしています。
そして、静まりかえった教室の中で先生はゆっくりと口を開き「○○(私の名前)、とーっても良い音だよ」と私のことを褒めて下さったのです。
先生は決してお世辞を言ったのではなく、私の音にしっかりと耳を傾けた上で評価してくれました。
このことが本当に嬉しくて、また、野球では私のことを責めるクラスの男子達まできょとんとして私の音に聴き入っているのが不思議な感じがして、人前で何かを表現することの気持ち良さにこの時始めて気がつきます。
これは人生の中で極めて貴重な瞬間でした。

また、同じ頃東京の小学校から転校生がやってきたのですが、これがもう一つの転機になりました。
この転校生は名前をBといいましたが、大変な変わり者で周囲の評価など全く気にしない完全にマイペースな性格。
男子なのに読書や音楽が好きで、休み時間にはグラウンドに走る他のクラスメイト達には目もくれず、一人で本を読んだりリコーダーを吹いたりしています。
特に音楽に関しては、東京では児童合唱団に入っていてレコーディングの経験まであったそうで(アーティストのレコード録音で合唱パートを歌ったことがあるそうです)、歌もリコーダーも大変な腕前でした。

私とB君は直ぐに意気投合して一緒に遊ぶようになり、音楽の教科書に載っている楽譜の中から二重奏になっているものを探しては、それを二人でリコーダーで演奏することを繰り返しました。
二重奏とは二つの楽器で一緒に演奏することであり、二人でハーモニーになるもの、メロディーと伴奏に分かれているもの、二つの違うメロディーを同時に演奏するもの等がありますが、二人の音が一つの音楽になるのはとても気持ちが良く、B君のリコーダーがとても上手いこともあり、どれだけ繰り返しても決して飽きることがありません。

この二重奏は学年が上がってクラスが別々になっても続き、中学に入ると二人で「クイーン」や「レッド・ツェッペリン」のレコードやカセットテープを聴くようになり、やがて、私がギターを弾いてB君ベースを弾く、私の最初のロックバンドへと発展することになります。

リコーダーという楽器の楽しさに触れたことで、私は音楽という人生の中で一番好きなことの一つに出会うことができ、また、B君という生涯の友人も得ました。
もちろんその後も毎日学校に通っていれば嫌なことはたくさんありましたし、たまに友達とする野球やサッカーや体育の授業は相変わらず苦痛でした。
ですが、以前のように下ばかり向いていることはなくなったと思います。

本当に好きなことが見つかると、何かが他の誰かのように上手にできないとか、或いは、男子二人が休み時間にリコーダーを吹いているなんて変に見られるんじゃないかとか、そういうことは割とどうでも良くなっちゃうんですね。

そんな「本当に好きなこと」との出会いを作ってくれたG先生、そして、好きなことを堂々とすれば良い、他人の目なんか気にする必要ない、ということを私に教えてくれたB君には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

分類不能の職業
投稿時の年齢:54
茨城
投稿日時:2023年02月25日
ドラマの時期:
1977年
--月
--日
文字数:2369

筆者紹介

はじめまして、茨城在住の54歳男性です。
中学生の頃から音楽が大好きで、部活のブラスバンド、友人とのロックバンド、大学に入ってからはジャズのビッグバンド、と経験した挙げ句に音楽家を目指して音大に入り直したりしましたが夢はかなわず・・結局歳だけとってしまい、恥ずかしい人生をおくっております。
こんな私にも人生の大切な思い出はいくつかありますし、将来自分で読み返すことがあれば楽しいかなぁ、なんて思います。
よろしくお願いします。

好きなこととの出会い

私は大変な運動音痴で、小さい頃からスポーツ全般が大の苦手でした。
小学校の体育の授業で長距離走をすれば、他の生徒達とは周回遅れの差を付けられ、皆がゴールした後もしばらく一人で走り続けることになります。
これは当時の私にはとても屈辱的なことでした。
また、その頃は巨人軍の王選手がホームランの世界記録を更新したりしていた時期で(1977年9月に達成)、小学生の間では野球が大人気であり、友達との遊びも決まって野球でした。
しかし、運動音痴の私は飛んでくるボールが怖く、外野フライをほぼ全てヒットにしてしまうので、その度に仲間から○○のせいで試合に負けたなどと責められることになります。
そんな状況の中で、いつしかこの運動神経の低さがそのまま自分の価値の低さのような感覚に陥ってしまい、毎日がとても憂鬱でいつも下ばかり向いていました。

そんな小学校生活を送っていた私ですが、忘れもしない小学校三年生の時、始めて自分が本当に好きだと思うことに出会うことになります。
きっかけは、Gという若い男の先生が私のクラスの音楽の授業の担当になったことです。
この先生はとても優しくて、他の男の先生達のように威張っていませんでした。
また、授業に直接関係ないのにわざわざにトランペットを持ってきて吹いてくれるような先生で、本当に音楽が好きな感じが伝わってきて、優しさも相まって生徒達から慕われていました。

そんなある日、G先生の何回目かの音楽の授業で、リコーダーの「タンギング」の練習をすることになったのです。
「タンギング」とは、音楽用語で舌を使って音を切る(或いは発音する)ことで、リコーダーに限らず殆ど全ての管楽器で使われる非常に重要なテクニックです。

先生は「真っ直ぐの糸をイメージして、それにハサミでプツンと切れ目を入れていくように」と教えて下さって、生徒一人ずつ順番にタンギングをさせ個別にアドバイスを始めました。
この時、私はクラスメイト達の音を聴きながら「おや?」と思いました。
皆のタンギングは力が入り過ぎて音が濁っていたり、反対にちゃんと舌が使えておらず音が不明瞭だったりでどれも今一な感じに聞こえます。
「体を使うことはなんでも下手な私だけど、もしかするとこれだけは自分の方がずっと上手に出来ているのではないか」という予感がしました。

そして私の番が回ってくると、私は先生から教わった通り、真っ直ぐ伸びた自分の息に舌で切れ目を入れるように「トゥートゥートゥー」と吹いてみました。
何故かクラス中がシーンとしています。
そして、静まりかえった教室の中で先生はゆっくりと口を開き「○○(私の名前)、とーっても良い音だよ」と私のことを褒めて下さったのです。
先生は決してお世辞を言ったのではなく、私の音にしっかりと耳を傾けた上で評価してくれました。
このことが本当に嬉しくて、また、野球では私のことを責めるクラスの男子達まできょとんとして私の音に聴き入っているのが不思議な感じがして、人前で何かを表現することの気持ち良さにこの時始めて気がつきます。
これは人生の中で極めて貴重な瞬間でした。

また、同じ頃東京の小学校から転校生がやってきたのですが、これがもう一つの転機になりました。
この転校生は名前をBといいましたが、大変な変わり者で周囲の評価など全く気にしない完全にマイペースな性格。
男子なのに読書や音楽が好きで、休み時間にはグラウンドに走る他のクラスメイト達には目もくれず、一人で本を読んだりリコーダーを吹いたりしています。
特に音楽に関しては、東京では児童合唱団に入っていてレコーディングの経験まであったそうで(アーティストのレコード録音で合唱パートを歌ったことがあるそうです)、歌もリコーダーも大変な腕前でした。

私とB君は直ぐに意気投合して一緒に遊ぶようになり、音楽の教科書に載っている楽譜の中から二重奏になっているものを探しては、それを二人でリコーダーで演奏することを繰り返しました。
二重奏とは二つの楽器で一緒に演奏することであり、二人でハーモニーになるもの、メロディーと伴奏に分かれているもの、二つの違うメロディーを同時に演奏するもの等がありますが、二人の音が一つの音楽になるのはとても気持ちが良く、B君のリコーダーがとても上手いこともあり、どれだけ繰り返しても決して飽きることがありません。

この二重奏は学年が上がってクラスが別々になっても続き、中学に入ると二人で「クイーン」や「レッド・ツェッペリン」のレコードやカセットテープを聴くようになり、やがて、私がギターを弾いてB君ベースを弾く、私の最初のロックバンドへと発展することになります。

リコーダーという楽器の楽しさに触れたことで、私は音楽という人生の中で一番好きなことの一つに出会うことができ、また、B君という生涯の友人も得ました。
もちろんその後も毎日学校に通っていれば嫌なことはたくさんありましたし、たまに友達とする野球やサッカーや体育の授業は相変わらず苦痛でした。
ですが、以前のように下ばかり向いていることはなくなったと思います。

本当に好きなことが見つかると、何かが他の誰かのように上手にできないとか、或いは、男子二人が休み時間にリコーダーを吹いているなんて変に見られるんじゃないかとか、そういうことは割とどうでも良くなっちゃうんですね。

そんな「本当に好きなこと」との出会いを作ってくれたG先生、そして、好きなことを堂々とすれば良い、他人の目なんか気にする必要ない、ということを私に教えてくれたB君には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
分類不能の職業
投稿時の年齢:54
茨城
投稿日時:
2023年02月25日
ドラマの時期:
1977年
--月
--日
文字数:2369

筆者紹介

はじめまして、茨城在住の54歳男性です。
中学生の頃から音楽が大好きで、部活のブラスバンド、友人とのロックバンド、大学に入ってからはジャズのビッグバンド、と経験した挙げ句に音楽家を目指して音大に入り直したりしましたが夢はかなわず・・結局歳だけとってしまい、恥ずかしい人生をおくっております。
こんな私にも人生の大切な思い出はいくつかありますし、将来自分で読み返すことがあれば楽しいかなぁ、なんて思います。
よろしくお願いします。