AGE

32

Autobiography

母と祖母、そして父

私の家は祖母、両親、私たち兄弟の3世帯で暮らしていた。家事は嫁がするものという考えの祖母と、悪い人ではないが自分の時間を大切にする父だったため、母はフルタイムで働いているにも関わらず負担が大きかった。朝も父たちの弁当を作りながら、祖母の朝と昼のご飯を準備する。仕事から帰ればまた夜ご飯。母が苦労しているのを見ているため、私たち兄弟も祖母には寄り付かなくなっていた。祖母は友人が少なく、近所では“大奥”と呼ばれていたので、話し相手は必然と父の兄弟になる。祖母視点の意見という名の悪口を親戚に流されるため、母にとってはそれもストレスのようだった。病気をほとんどしたことがなかった祖母だったが、急に体調を崩しみるみるうちに弱っていった。入院しても死期を待つしかないと言われ、祖母は家で余生を送ることを選択した。休みの融通が付けやすい叔父が手伝いに来ていたのだが、母が何かを感じ取って仕事を休んだ日に祖母は他界した。叔父の知らせを聞いて駆け付けた叔母たちにも見守られ、幸せな最期だったと思う。最期のことばは母への感謝だったそうだ。確執は少なからず残っているものの、母も喜んでいた。

ドラマの時期:
2021年
1月
18日
文字数:602
投稿時の年齢:29

慣れによる大きな落とし穴

平成から令和へと変わる2019年限定で即位式のためGW周辺の祝日が増え、超大型連休になりましたよね。祝日が休みの私は大歓喜!旅行友達と2人でカリフォルニアのディズニーランドへ行く計画を立てました。国内外問わず月に1回程旅行をしていた私は、今までの旅行の中でも1番長距離移動なこの旅行にも慣れたもの。いつも通り様々なサイトを比較し、1番良いと思われるプランで予約を行いました。初めて使うサイトだったにも関わらず、サクサクッと予約を完了させました。滞在先でのプランの計画も立て、あとは楽しい時を迎えるだけ…のはずだったのですが、思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです。わかりやすく説明するため、私の名前と響きが似ている元AKB48の北原里英さんの名前をお借りしたいと思います。“きたりえ”というあだ名で呼ばれることも多く、アドレスなどもそれに因んだものを使用していました。そのためアルファベットでの登録の際、予測変換を用いた結果、“Kitarie Rie”と登録してしまっていることに全く気付かなかったのです。飛行機のチェックインの際にそのことが判明し、自分でも自覚できる程手を震わせながら、泣く泣くその場でキャンセル&購入。帰路も予約サイトのカスタマーセンターに日本にいる母を通して連絡を取ろうとしましたが、GWのため受け付けてもらえませんでした。航空会社にも母が連絡をしてくれたのですが、後1文字一致していたら変更できたとのこと。予約していた帰りの飛行機もキャンセルを行い、新しく航空券をとりました。ちなみに行きの飛行機はその場で購入したので友人と一緒に行けましたが、安さを重視した結果、帰りの飛行機は航空会社も違うものだったので、チェックイン後の2時間を含め友人とは別々の時間を過ごすことになってしまいました。

ドラマの時期:
2019年
4月
28日
文字数:885
投稿時の年齢:29

セブ島での恐怖体験

綺麗な海に行きたい!ということで、アジアを代表するビーチリゾートであるセブ島へ行くことに。航空券・ホテルの予約が完了し、旅先での日程を立てようとしていたのですが、調べれば調べるほど、セブは治安が悪いという口コミがあり、楽しさ7割不安3割という心境となっていました。必ず経由するマニラ空港(ニノイ・アキノ空港)で、スーツケースのチャック部分をナイフで切られて荷物を盗まれたという体験談もあったので、特に空港はビクビクして過ごしました。結果として、激しいスコールでマニラからセブ行きの飛行機が遅延したこと以外トラブルはありませんでした。 そして次なる関門は空港からホテルのタクシーです。前もっていくらで行けるか確認しておかないと、すごい金額をふっかけられることもあるとの事で、ある程度の相場を確認した上で乗車する必要があります。無事相場の範囲内では乗車できたのですが、帰りのホテルから空港までのタクシー代とはかなり差があったので、到着したばかりの観光客は良いカモなのでしょう。移動はほとんどタクシーを使用したのですが、セブでの滞在時間が長くなるにつれ、私たちも慣れた雰囲気が出てきたのか、ほとんどふっかけられなかった印象です。 予期しないトラブルが起きてしまったのが2日目のことです。現地の日本人が船を出して様々な離島に連れて行ってくれるツアーに参加するため、タクシーで集合場所へ向かったときのことです。友人が旅行に向け新しく変えたばかりのiPhoneを車内に忘れてしまったのです。セブではiPhoneを売れば何カ月分の給料に相当するらしく、手元に戻ってくる確率は限りなく低いようでした。実際ツアーに参加していた他の日本人の方も前日にiPhoneを盗まれ、連絡がついて、いくらでもお金を渡すから…と伝えたものの、それからは音信不通になってしまったと言われていました。私たちの場合は幸いホテルから乗車していたので、ホテルスタッフがタクシーのナンバーをメモした紙を渡してくれていました。集合場所の近くにも大きなホテルがあったので、お願いしてそのタクシーを呼び戻してもらうことができました。ドライバーの方がiPhoneを持ってきてくれたのですが、なぜか野次馬が集合。お金を渡さなければ返すなと仲介を始めたのです。日本円で5千円ほど支払ったと思います。iPhoneが戻ってくる方がよいと考え、そこまではよかったのですが、女2人だったのでなめられたのでしょう、次は野次馬たちが仲介料として金銭を要求してきたのです。大きい金額のお札しかなく、近くの売店でも両替ができず…と時間をかけているときに、なんとか隙をみて逃げ出すことができました。 他にも何度も断っているのに換金所に連れて行かれそうになったり(帰ってきてTVで見ましたがお金を渡す際にくすねる手法のようです)、タクシーの停車中に物乞いの子どもたちが車道にも関わらず寄って来てノックされたり、荒い運転をする車に轢かれそうになったり…。

ドラマの時期:
2018年
8月
--日
文字数:1437
投稿時の年齢:29

人生でやりたい100のこと

22歳のとき“女性は100円で食べ飲み放題”という同僚の誘いに乗り、お見合いパーティに参加した。そこで6歳年上の薬剤師の男性と出会ったのだが、所謂ネズミ講をやっている人だった。顔もそこそこかっこよく、2人でご飯に行った時には席を外しているときにお会計が済んでいる。人生経験が豊富で話も面白い。学生時代にはいなかった大人の男性の魅力とはこんなものかと感じていた。スポーツ大会をするから参加しないかと誘われ、行ってみると20人ぐらいが集まっており、結構本格的に試合もできて楽しかった。次は自分の家でホームパーティをするから来ないかと誘われ、行ってみるとお高そうなマンションの最上階で、参加者はまた20人ほど。そこでこの集まりがネズミ講の勧誘イベントであることを知った。 ネズミ講に足を踏み入れるほどお金に頓着がなかったので、私がその後参加することはなかったが、そのホームパーティは居心地が良いとは言えないものの、有意義なものだった。ホームパーティで使うからと、“人生でやりたい100のこと”を考えてきてくれと言われていた。旅行が好きだし行きたい場所はいっぱいある。けれど100個考えるのは割と骨が折れる作業だった。ほとんどが旅行に関することだが、改めて自分の人生を考えるよいきっかけとなった。またその会に参加していた女性が印象的な話をしていた。「自分が綺麗な花になればミツバチや蝶が寄ってくる、自分が腐ってしまえばハエが寄ってくる」彼女の真意としては、自分たちの会に参加し高め合おうというものだったと思うが、妙に納得したのを覚えている。

ドラマの時期:
2015年
--月
--日
文字数:869
投稿時の年齢:29

人生の分岐点

人との出会い、関わり方によって人生は大きく変わると思います。誰しももしあの人に出会っていなければ…という経験はあるのではないでしょうか。私には大きな分岐点が2度ありました。1度目は高校3年生の時。漠然と大学に進学したいなとは考えていましたが、特に目標があるわけでもないため、志望校もなかなか決まりませんでした。3年の時の担任の先生がとても熱心な方で、さらに年齢的に最後の担任クラスということもあり、より力が入ってしました。先生が私の興味がありそうな大学を提案してくださり、無事志望校が決定。しかも推薦入試で合格を決めることができたので、一足先に受験から解放されました。その先生が受け持つクラスに入らなければ、人生が変わってしまっていただろうなと思います。 2度目は大学3年生の時。私が通っていた大学は4年生から研究室配属があるのですが、このときも私は悩んでいました。実家から通える場所に大学があったのですが、別のキャンパスはもっと近距離にあり、友人が通っている大学とも近いため、そのキャンパスにある研究室に入ろうかと考えていました。転機となったのは1年生が入学後に行く1泊2日の研修のお世話係になったことです。夜にあった教授たちの酒盛りに参加させてもらい、そこで別のキャンパスの研究室に入ることを考えている旨を話しました。別のキャンパスということは学科も形式上変わるので、せっかくこの学科を選んで入学したのだから、このままいて欲しいということ。そして様々な研究室で行っている魅力的な研究について詳しく教えていただきました。結局キャンパスを変えることなく、興味を持って入った研究室のメンバーがとても最高で、大学4年生は特に思い出深い楽しい日々を送ることができました。また卒業研究で共同研究を行っていた病院に就職するなど、もし別のキャンパスに移っていたら、今の人生は絶対に歩んでいませんでした。

ドラマの時期:
2010年
--月
--日
文字数:891
投稿時の年齢:29

辞める勇気

母が学生時代にやっていたこともあり、中学生になったらテニス部に入る!と活きこんでいた私だったが、入学後気づけば吹奏楽部に入ってしまっていた。小学生の頃にもピアノを習っていたが、友達と遊ぶ方が楽しく、よくサボっており、音楽を聴くのは好きだが、奏でる方にはあまり興味がなかったのだろう。結局1学期間で吹奏楽部からテニス部に転部した。吹奏楽部に入ってしまったのは、学校の構造上仕方がない部分もあったように思う。1年生が教室から昇降口に行くためには音楽室の前を通る必要があった。登下校を一緒にしていた友人が初日の勧誘で吹奏楽部に興味を持ち、私も1日くらいならとついて行った。これがいけなかった。次の日も昇降口に向かう途中で吹奏楽部の先輩からの「今日も来るよね?」といった圧力を感じ、屈してしまったのだ。吹奏楽部の3年生は部活こそきちんとしていたが見た目はやんちゃで、入学したての1年生にとっては少し怖い存在だった。そしてそのまま入部してしまったのだ。 楽器こそまだだったが、木管楽器だったため、楽器のメンテナンスグッズは買ってもらっていた。両親に申し訳ない。吹奏楽部も、もちろんテニス部だって新チームで始動している。様々な葛藤の中時間だけが過ぎた。

ドラマの時期:
2005年
--月
--日
文字数:873
投稿時の年齢:29
AGE

32

Autobiography

母と祖母、そして父

私の家は祖母、両親、私たち兄弟の3世帯で暮らしていた。家事は嫁がするものという考えの祖母と、悪い人ではないが自分の時間を大切にする父だったため、母はフルタイムで働いているにも関わらず負担が大きかった。朝も父たちの弁当を作りながら、祖母の朝と昼のご飯を準備する。仕事から帰ればまた夜ご飯。母が苦労しているのを見ているため、私たち兄弟も祖母には寄り付かなくなっていた。祖母は友人が少なく、近所では“大奥”と呼ばれていたので、話し相手は必然と父の兄弟になる。祖母視点の意見という名の悪口を親戚に流されるため、母にとってはそれもストレスのようだった。病気をほとんどしたことがなかった祖母だったが、急に体調を崩しみるみるうちに弱っていった。入院しても死期を待つしかないと言われ、祖母は家で余生を送ることを選択した。休みの融通が付けやすい叔父が手伝いに来ていたのだが、母が何かを感じ取って仕事を休んだ日に祖母は他界した。叔父の知らせを聞いて駆け付けた叔母たちにも見守られ、幸せな最期だったと思う。最期のことばは母への感謝だったそうだ。確執は少なからず残っているものの、母も喜んでいた。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月20日
ドラマの時期:
2021年
文字数:602

慣れによる大きな落とし穴

平成から令和へと変わる2019年限定で即位式のためGW周辺の祝日が増え、超大型連休になりましたよね。祝日が休みの私は大歓喜!旅行友達と2人でカリフォルニアのディズニーランドへ行く計画を立てました。国内外問わず月に1回程旅行をしていた私は、今までの旅行の中でも1番長距離移動なこの旅行にも慣れたもの。いつも通り様々なサイトを比較し、1番良いと思われるプランで予約を行いました。初めて使うサイトだったにも関わらず、サクサクッと予約を完了させました。滞在先でのプランの計画も立て、あとは楽しい時を迎えるだけ…のはずだったのですが、思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです。わかりやすく説明するため、私の名前と響きが似ている元AKB48の北原里英さんの名前をお借りしたいと思います。“きたりえ”というあだ名で呼ばれることも多く、アドレスなどもそれに因んだものを使用していました。そのためアルファベットでの登録の際、予測変換を用いた結果、“Kitarie Rie”と登録してしまっていることに全く気付かなかったのです。飛行機のチェックインの際にそのことが判明し、自分でも自覚できる程手を震わせながら、泣く泣くその場でキャンセル&購入。帰路も予約サイトのカスタマーセンターに日本にいる母を通して連絡を取ろうとしましたが、GWのため受け付けてもらえませんでした。航空会社にも母が連絡をしてくれたのですが、後1文字一致していたら変更できたとのこと。予約していた帰りの飛行機もキャンセルを行い、新しく航空券をとりました。ちなみに行きの飛行機はその場で購入したので友人と一緒に行けましたが、安さを重視した結果、帰りの飛行機は航空会社も違うものだったので、チェックイン後の2時間を含め友人とは別々の時間を過ごすことになってしまいました。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月18日
ドラマの時期:
2019年
文字数:885

セブ島での恐怖体験

綺麗な海に行きたい!ということで、アジアを代表するビーチリゾートであるセブ島へ行くことに。航空券・ホテルの予約が完了し、旅先での日程を立てようとしていたのですが、調べれば調べるほど、セブは治安が悪いという口コミがあり、楽しさ7割不安3割という心境となっていました。必ず経由するマニラ空港(ニノイ・アキノ空港)で、スーツケースのチャック部分をナイフで切られて荷物を盗まれたという体験談もあったので、特に空港はビクビクして過ごしました。結果として、激しいスコールでマニラからセブ行きの飛行機が遅延したこと以外トラブルはありませんでした。 そして次なる関門は空港からホテルのタクシーです。前もっていくらで行けるか確認しておかないと、すごい金額をふっかけられることもあるとの事で、ある程度の相場を確認した上で乗車する必要があります。無事相場の範囲内では乗車できたのですが、帰りのホテルから空港までのタクシー代とはかなり差があったので、到着したばかりの観光客は良いカモなのでしょう。移動はほとんどタクシーを使用したのですが、セブでの滞在時間が長くなるにつれ、私たちも慣れた雰囲気が出てきたのか、ほとんどふっかけられなかった印象です。 予期しないトラブルが起きてしまったのが2日目のことです。現地の日本人が船を出して様々な離島に連れて行ってくれるツアーに参加するため、タクシーで集合場所へ向かったときのことです。友人が旅行に向け新しく変えたばかりのiPhoneを車内に忘れてしまったのです。セブではiPhoneを売れば何カ月分の給料に相当するらしく、手元に戻ってくる確率は限りなく低いようでした。実際ツアーに参加していた他の日本人の方も前日にiPhoneを盗まれ、連絡がついて、いくらでもお金を渡すから…と伝えたものの、それからは音信不通になってしまったと言われていました。私たちの場合は幸いホテルから乗車していたので、ホテルスタッフがタクシーのナンバーをメモした紙を渡してくれていました。集合場所の近くにも大きなホテルがあったので、お願いしてそのタクシーを呼び戻してもらうことができました。ドライバーの方がiPhoneを持ってきてくれたのですが、なぜか野次馬が集合。お金を渡さなければ返すなと仲介を始めたのです。日本円で5千円ほど支払ったと思います。iPhoneが戻ってくる方がよいと考え、そこまではよかったのですが、女2人だったのでなめられたのでしょう、次は野次馬たちが仲介料として金銭を要求してきたのです。大きい金額のお札しかなく、近くの売店でも両替ができず…と時間をかけているときに、なんとか隙をみて逃げ出すことができました。 他にも何度も断っているのに換金所に連れて行かれそうになったり(帰ってきてTVで見ましたがお金を渡す際にくすねる手法のようです)、タクシーの停車中に物乞いの子どもたちが車道にも関わらず寄って来てノックされたり、荒い運転をする車に轢かれそうになったり…。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月23日
ドラマの時期:
2018年
--日
文字数:1437

人生でやりたい100のこと

22歳のとき“女性は100円で食べ飲み放題”という同僚の誘いに乗り、お見合いパーティに参加した。そこで6歳年上の薬剤師の男性と出会ったのだが、所謂ネズミ講をやっている人だった。顔もそこそこかっこよく、2人でご飯に行った時には席を外しているときにお会計が済んでいる。人生経験が豊富で話も面白い。学生時代にはいなかった大人の男性の魅力とはこんなものかと感じていた。スポーツ大会をするから参加しないかと誘われ、行ってみると20人ぐらいが集まっており、結構本格的に試合もできて楽しかった。次は自分の家でホームパーティをするから来ないかと誘われ、行ってみるとお高そうなマンションの最上階で、参加者はまた20人ほど。そこでこの集まりがネズミ講の勧誘イベントであることを知った。 ネズミ講に足を踏み入れるほどお金に頓着がなかったので、私がその後参加することはなかったが、そのホームパーティは居心地が良いとは言えないものの、有意義なものだった。ホームパーティで使うからと、“人生でやりたい100のこと”を考えてきてくれと言われていた。旅行が好きだし行きたい場所はいっぱいある。けれど100個考えるのは割と骨が折れる作業だった。ほとんどが旅行に関することだが、改めて自分の人生を考えるよいきっかけとなった。またその会に参加していた女性が印象的な話をしていた。「自分が綺麗な花になればミツバチや蝶が寄ってくる、自分が腐ってしまえばハエが寄ってくる」彼女の真意としては、自分たちの会に参加し高め合おうというものだったと思うが、妙に納得したのを覚えている。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月25日
ドラマの時期:
2015年
--月
--日
文字数:869

人生の分岐点

人との出会い、関わり方によって人生は大きく変わると思います。誰しももしあの人に出会っていなければ…という経験はあるのではないでしょうか。私には大きな分岐点が2度ありました。1度目は高校3年生の時。漠然と大学に進学したいなとは考えていましたが、特に目標があるわけでもないため、志望校もなかなか決まりませんでした。3年の時の担任の先生がとても熱心な方で、さらに年齢的に最後の担任クラスということもあり、より力が入ってしました。先生が私の興味がありそうな大学を提案してくださり、無事志望校が決定。しかも推薦入試で合格を決めることができたので、一足先に受験から解放されました。その先生が受け持つクラスに入らなければ、人生が変わってしまっていただろうなと思います。 2度目は大学3年生の時。私が通っていた大学は4年生から研究室配属があるのですが、このときも私は悩んでいました。実家から通える場所に大学があったのですが、別のキャンパスはもっと近距離にあり、友人が通っている大学とも近いため、そのキャンパスにある研究室に入ろうかと考えていました。転機となったのは1年生が入学後に行く1泊2日の研修のお世話係になったことです。夜にあった教授たちの酒盛りに参加させてもらい、そこで別のキャンパスの研究室に入ることを考えている旨を話しました。別のキャンパスということは学科も形式上変わるので、せっかくこの学科を選んで入学したのだから、このままいて欲しいということ。そして様々な研究室で行っている魅力的な研究について詳しく教えていただきました。結局キャンパスを変えることなく、興味を持って入った研究室のメンバーがとても最高で、大学4年生は特に思い出深い楽しい日々を送ることができました。また卒業研究で共同研究を行っていた病院に就職するなど、もし別のキャンパスに移っていたら、今の人生は絶対に歩んでいませんでした。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月22日
ドラマの時期:
2010年
--月
--日
文字数:891

辞める勇気

母が学生時代にやっていたこともあり、中学生になったらテニス部に入る!と活きこんでいた私だったが、入学後気づけば吹奏楽部に入ってしまっていた。小学生の頃にもピアノを習っていたが、友達と遊ぶ方が楽しく、よくサボっており、音楽を聴くのは好きだが、奏でる方にはあまり興味がなかったのだろう。結局1学期間で吹奏楽部からテニス部に転部した。吹奏楽部に入ってしまったのは、学校の構造上仕方がない部分もあったように思う。1年生が教室から昇降口に行くためには音楽室の前を通る必要があった。登下校を一緒にしていた友人が初日の勧誘で吹奏楽部に興味を持ち、私も1日くらいならとついて行った。これがいけなかった。次の日も昇降口に向かう途中で吹奏楽部の先輩からの「今日も来るよね?」といった圧力を感じ、屈してしまったのだ。吹奏楽部の3年生は部活こそきちんとしていたが見た目はやんちゃで、入学したての1年生にとっては少し怖い存在だった。そしてそのまま入部してしまったのだ。 楽器こそまだだったが、木管楽器だったため、楽器のメンテナンスグッズは買ってもらっていた。両親に申し訳ない。吹奏楽部も、もちろんテニス部だって新チームで始動している。様々な葛藤の中時間だけが過ぎた。

事務従事者
投稿時の年齢:29
福岡
投稿日時:
2022年08月20日
ドラマの時期:
2005年
--月
--日
文字数:873