母と祖母、そして父
私の家は祖母、両親、私たち兄弟の3世帯で暮らしていた。家事は嫁がするものという考えの祖母と、悪い人ではないが自分の時間を大切にする父だったため、母はフルタイムで働いているにも関わらず負担が大きかった。朝も父たちの弁当を作りながら、祖母の朝と昼のご飯を準備する。仕事から帰ればまた夜ご飯。母が苦労しているのを見ているため、私たち兄弟も祖母には寄り付かなくなっていた。祖母は友人が少なく、近所では“大奥”と呼ばれていたので、話し相手は必然と父の兄弟になる。祖母視点の意見という名の悪口を親戚に流されるため、母にとってはそれもストレスのようだった。病気をほとんどしたことがなかった祖母だったが、急に体調を崩しみるみるうちに弱っていった。入院しても死期を待つしかないと言われ、祖母は家で余生を送ることを選択した。休みの融通が付けやすい叔父が手伝いに来ていたのだが、母が何かを感じ取って仕事を休んだ日に祖母は他界した。叔父の知らせを聞いて駆け付けた叔母たちにも見守られ、幸せな最期だったと思う。最期のことばは母への感謝だったそうだ。確執は少なからず残っているものの、母も喜んでいた。