AGE

33

Autobiography

普通に生活するということ

3月になると、ふと思い出す。 「今年は桜を見ることができそうだな・・・」 わりと最近の話ではあるが、私には自宅で過ごせなかった春がある。 それは、次男を妊娠中のこと。いつものように妊婦健診へ行くと、先生から思わぬことを言われた。 「今から歩かないでください!すぐに入院してもらいます。」 このとき私は妊娠8カ月。何が起こったのか分からず、同席していた夫と無言のまま目を合わせた。 先生の話によると、予定日まで2カ月以上あるにも関わらず15分おきに軽い陣痛が来ているとのこと。 確かに少しお腹が張っている気はしたが、先生の言葉はまさに青天の霹靂であった。 そしてこの日から地獄の入院生活が始まった。 歩かないでとまで言われた私は、もちろん荷物を取りに自宅へ帰ることは許されない。 頭の中は大混乱である。 「布団干しっぱなしだ・・・」 「冷蔵庫の中に作りかけのおかずが・・・」 「というか、これから長男の面倒は誰が見るんだ!?」 今となっては笑いのネタになるが、当時は本当に焦った。 病室で1人になると、長男のことが気がかりで仕方なかった。コロナ禍のこのご時世、家族ですら面会はできない。今まで母親にべったりだった3歳児が突然離ればなれになったらどうなってしまうのだろう。考えるだけで涙が出てきた。 結局長男は夫の実家でしばらく暮らすことになったが、ご飯もおやつも食べず、機嫌の悪い日が続いていると聞かされた。 そして、私は私で24時間点滴を繋がれ、歩行禁止の入院生活はとても辛いものだった。唯一の希望はお腹の赤ちゃんの成長だけだ。 それから1カ月半、幸いにして薬がよく効き、臨月を迎えたあたりで退院許可が下りた。外へ出ると、寒かった冬は終わり、暖かな春になっている。 この日、幼稚園から帰宅した長男は、1カ月半ぶりに私を見ると号泣しながら抱きついてきた。ぎゅっとつかむ手から伝わる「もうどこにも行かないで」という強い思いは、この先も一生忘れることはないだろう。

ドラマの時期:
2022年
3月
--日
文字数:1048
投稿時の年齢:31

スポーツは意外と楽しい

私は趣味の一環で市民マラソンに出場するほどスポーツ、特に走ることが大好きだ。 しかしながら、これは幼少期から続くものではない。むしろ、小学校までは運動が嫌いだった。幼稚園時代は毎日のように転んで膝を擦りむき、小学校時代はマラソン大会で最下位を取り、悔しくて泣いたことを今でもよく覚えている。 そんな私の転機ともいえるのが、中学校の部活動であった。入学当初は文化系の部活に入る予定だったが、小学校時代からの親友に誘われるがままバドミントン部に入ることになったのだ。私の通っていた中学では、バドミントン部は練習が厳しいことで有名、陸上部並みの走り込みがあると言われていたほどだった。実際に練習が始まると、元々体力のない私は到底みんなについていけず、居残りでメニューをこなす日々。何度も入部を後悔し、何度も辞めようと思った。 それでも、親や友人に励まされ、続けること1年。中学2年になったある日、突然いつもの走り込み練習が楽に感じるようになったのだ。それだけではない。バドミントンの勝率もぐんぐん上がり、さまざまな大会に出場できるようになった。 まるで霧が晴れたかのように、持久力・バドミントン技術ともに体の芯から習得したこの感覚は、とても不思議で気分が良かったことを思い出す。 それからというもの、私は走ることもバドミントンの試合をすることも楽しくて仕方がなかった。真面目に練習していれば、結果は何らかの形で付いてくる。この言葉を胸に、中学3年の総体で私のバドミントン競技は集大成を迎えた。

ドラマの時期:
2004年
4月
--日
文字数:926
投稿時の年齢:31

ありがとう、お姉ちゃん

私の長男はすごくおしゃべり好きな反面、人見知りで相手を目の前にすると「ありがとう」や「ごめんなさい」が出てこない。まだ4歳だから仕方ないと思いつつも、親としては悩みの種だ。 この間もおもちゃの取り合いが原因で、弟を叩いて泣かせてしまったことがあった。それでも謝ろうとしない長男に、私はつい怒ってしまった。 「きちんとごめんなさいが言えないと、幼稚園でもお友だちに嫌な思いをさせてしまうよ!」 あれ?このフレーズ、どこかで聞いたことがあるぞ・・・ 私は長男を怒りながら、そんなことを考えていた。その夜、私はようやく思い出した。 「ごめんなさいが言えないと幼稚園で困るよ!」 この言葉は、私が4歳のときに姉から言われたものである。 姉は私より12歳年上、いわゆる年の差姉妹だ。実家で一緒に暮らしていたのは6年ほどだが、そのうち記憶に残っているのは、私が物心ついてからのわずか2~3年しかない。 姉は昔から面倒見が良く、幼いころはたくさん可愛がってもらった。そして、いけないことはいけないと、きちんと教えてくれた。 当時の私にとって姉は少し怖かったが、どうしてやってしまったのか、どう思っているのか、私の話を遮ることなく最後まで聞いてくれたことは今でも鮮明に覚えている。 そんな姉からのサポートもあり、私はいつの間にか、誰が相手であってもきちんと謝罪や感謝の言葉を言えるようになった。

ドラマの時期:
1996年
--月
--日
文字数:840
投稿時の年齢:31
AGE

33

Autobiography

普通に生活するということ

3月になると、ふと思い出す。 「今年は桜を見ることができそうだな・・・」 わりと最近の話ではあるが、私には自宅で過ごせなかった春がある。 それは、次男を妊娠中のこと。いつものように妊婦健診へ行くと、先生から思わぬことを言われた。 「今から歩かないでください!すぐに入院してもらいます。」 このとき私は妊娠8カ月。何が起こったのか分からず、同席していた夫と無言のまま目を合わせた。 先生の話によると、予定日まで2カ月以上あるにも関わらず15分おきに軽い陣痛が来ているとのこと。 確かに少しお腹が張っている気はしたが、先生の言葉はまさに青天の霹靂であった。 そしてこの日から地獄の入院生活が始まった。 歩かないでとまで言われた私は、もちろん荷物を取りに自宅へ帰ることは許されない。 頭の中は大混乱である。 「布団干しっぱなしだ・・・」 「冷蔵庫の中に作りかけのおかずが・・・」 「というか、これから長男の面倒は誰が見るんだ!?」 今となっては笑いのネタになるが、当時は本当に焦った。 病室で1人になると、長男のことが気がかりで仕方なかった。コロナ禍のこのご時世、家族ですら面会はできない。今まで母親にべったりだった3歳児が突然離ればなれになったらどうなってしまうのだろう。考えるだけで涙が出てきた。 結局長男は夫の実家でしばらく暮らすことになったが、ご飯もおやつも食べず、機嫌の悪い日が続いていると聞かされた。 そして、私は私で24時間点滴を繋がれ、歩行禁止の入院生活はとても辛いものだった。唯一の希望はお腹の赤ちゃんの成長だけだ。 それから1カ月半、幸いにして薬がよく効き、臨月を迎えたあたりで退院許可が下りた。外へ出ると、寒かった冬は終わり、暖かな春になっている。 この日、幼稚園から帰宅した長男は、1カ月半ぶりに私を見ると号泣しながら抱きついてきた。ぎゅっとつかむ手から伝わる「もうどこにも行かないで」という強い思いは、この先も一生忘れることはないだろう。

主婦
投稿時の年齢:31
千葉
投稿日時:
2023年03月03日
ドラマの時期:
2022年
--日
文字数:1048

スポーツは意外と楽しい

私は趣味の一環で市民マラソンに出場するほどスポーツ、特に走ることが大好きだ。 しかしながら、これは幼少期から続くものではない。むしろ、小学校までは運動が嫌いだった。幼稚園時代は毎日のように転んで膝を擦りむき、小学校時代はマラソン大会で最下位を取り、悔しくて泣いたことを今でもよく覚えている。 そんな私の転機ともいえるのが、中学校の部活動であった。入学当初は文化系の部活に入る予定だったが、小学校時代からの親友に誘われるがままバドミントン部に入ることになったのだ。私の通っていた中学では、バドミントン部は練習が厳しいことで有名、陸上部並みの走り込みがあると言われていたほどだった。実際に練習が始まると、元々体力のない私は到底みんなについていけず、居残りでメニューをこなす日々。何度も入部を後悔し、何度も辞めようと思った。 それでも、親や友人に励まされ、続けること1年。中学2年になったある日、突然いつもの走り込み練習が楽に感じるようになったのだ。それだけではない。バドミントンの勝率もぐんぐん上がり、さまざまな大会に出場できるようになった。 まるで霧が晴れたかのように、持久力・バドミントン技術ともに体の芯から習得したこの感覚は、とても不思議で気分が良かったことを思い出す。 それからというもの、私は走ることもバドミントンの試合をすることも楽しくて仕方がなかった。真面目に練習していれば、結果は何らかの形で付いてくる。この言葉を胸に、中学3年の総体で私のバドミントン競技は集大成を迎えた。

主婦
投稿時の年齢:31
千葉
投稿日時:
2023年02月26日
ドラマの時期:
2004年
--日
文字数:926

ありがとう、お姉ちゃん

私の長男はすごくおしゃべり好きな反面、人見知りで相手を目の前にすると「ありがとう」や「ごめんなさい」が出てこない。まだ4歳だから仕方ないと思いつつも、親としては悩みの種だ。 この間もおもちゃの取り合いが原因で、弟を叩いて泣かせてしまったことがあった。それでも謝ろうとしない長男に、私はつい怒ってしまった。 「きちんとごめんなさいが言えないと、幼稚園でもお友だちに嫌な思いをさせてしまうよ!」 あれ?このフレーズ、どこかで聞いたことがあるぞ・・・ 私は長男を怒りながら、そんなことを考えていた。その夜、私はようやく思い出した。 「ごめんなさいが言えないと幼稚園で困るよ!」 この言葉は、私が4歳のときに姉から言われたものである。 姉は私より12歳年上、いわゆる年の差姉妹だ。実家で一緒に暮らしていたのは6年ほどだが、そのうち記憶に残っているのは、私が物心ついてからのわずか2~3年しかない。 姉は昔から面倒見が良く、幼いころはたくさん可愛がってもらった。そして、いけないことはいけないと、きちんと教えてくれた。 当時の私にとって姉は少し怖かったが、どうしてやってしまったのか、どう思っているのか、私の話を遮ることなく最後まで聞いてくれたことは今でも鮮明に覚えている。 そんな姉からのサポートもあり、私はいつの間にか、誰が相手であってもきちんと謝罪や感謝の言葉を言えるようになった。

主婦
投稿時の年齢:31
千葉
投稿日時:
2023年02月28日
ドラマの時期:
1996年
--月
--日
文字数:840